「契約の龍」(151)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/01 20:00:27
座って待つ、と言ったクリスだが、座ってはみたものの、何やら落ち着かない様子だ。手を組んだり解いたり、ついているかどうかも判らないローブの膝の糸屑をつまんで捨ててみたり。
「…緊張してるのか?」
「しない訳ないだろう。だいたい、昨日の話では、明るくなったらすぐにでも準備ができるような事を言ってたのに。……覚悟を決めてきたっていうのに、こうやって待たされるのは、ほんと、心臓に悪い」
自分の膝の上で頬杖をついて、クラウディアの方をなんとも言えない目付きで見ながら、クリスが苛立たしげに言う。
「あー…きっとそれは、俺が悪いんだな」
「アレクが?…どうして?」
クリスの顔が、こちらに向けられる。目付きからは険が消えたが、眉間には皺がまだ残っている。
「無意識で使う魔法はたちが悪い、って言ってただろう?……クリスが、「旅立つ」のが遅くなればいい、って願ってたからな。ずっと」
目を丸くしたクリスの顔を、両手でそっとすくい上げ、眉間に残った皺を指先でつついてやる。
「…言っとくが、七年は待てないぞ。待ちきれなくなったら、迎えに行くからな。……だから、その前に戻ってくるか、呼ぶんだ」
「…ええと……私だって、そんなに長く、行ってるつもりは、無いよ?」
戸惑ったように、クリスの視線が、束の間、横――クラウディアのいる方――へ逸れ、また戻される。
「…でも、その言葉には、感謝するよ。…うん、アレクが待ちきれなくなる前に帰って来たい、と思う」
クリスが躊躇いがちに、こちらへ手をのばしてくる。おそらく、祖母の様子を窺っているのだと思う。
「クリス、こっちを見て」
クラウディアは自分に割り振られた仕事をしている。
そのためにわざわざ呼びよせた。他でもない、クリス自身が。
…では、俺がここへ残された理由って何だ?
「クリスが緊張するのは判るし、するな、とも言えない。クリス自身が言った通り、これはクリスにしかできない事なんだ、と思う。…だから、今は、できない時の事は考えるな。…それとも、まだ何か不安材料があるのか?」
じっと見つめていると、不意にクリスの顔が、柔らかく和む。
「不安な事なんて、潰しても潰してもきりがないよ。…アレクの様子がいつもと違うから、どうかしちゃったのか、とか」
「俺の事は、どうでもいいだろう?」
「どうでもよくはないよ?言ったでしょ?アレクは、私の、切り札、なんだから」
「…それは、「龍」に対して、の?」
「…この場合は、そう、かな」
「この場合?他の場合も、あるのか?」
「それはもう、いろいろと。ずいぶん、アレクの知らないところで、名前を使わせてもらった。…特に、ここ半月ばかりは、ずいぶん乱発した」
「…ここ半月?」
冬至祭の期間中、って事か?それっていったい、どういう状況で…
「いちゃついてても構わない、とは言ったけど、まさか本当にやるとはね」
いつの間にやら、クラウディアが傍まで来ていた。クリスがぎくり、と跳ねる。
「励ましていただけですよ。いちゃついてるように見られるなんて、心外な」
…まあ、そう見られても仕方がない近さだが。
「そーお?いまにもキスしそうな雰囲気だったけど?」
「…自分たちが、傍目にどう見えるか反省すればいい」
腕の中のクリスが、不機嫌そうに祖母に言い返す。…という事は、この人とその夫は、普段からこんな様子なのか?
「…まあ、傍からどう見えるか、っていう意見は措いといて。こっちの方は九割方準備ができたわよ。いつでも始めていいわ。……と、その前に一つ質問があるんだけど」
「…質問?」
あの質問か、とこちらが身構えると、予想外の方向からの質問を投げてきた。
「次の月経予定日は、いつだか判る?」
「次の?えーと…」
クリスが中空に視線をさまよわせ、指を折って数え始める。
「今月の末…二十日過ぎくらい、かな…って、それアレクにまで聞かせる必要は……」
聞かされるこっちも、何か身の置き所に困るが。
「…そっか、ある、のか。あー………これは、早く戻る努力しなくちゃ」
「まさかとは思うけど、その辺のお世話については、考えてなかったの?」
「えーと……確か止める手段、あったよね?」
「手段なら、いくつかあるけど…それより、その予定日は確実に来るんだろうね?一年先とかじゃなかろうね?」
「えーと……」
目が泳いで、一瞬こちらを見る。
「……たぶん、大丈夫、……だと思う」
「たぶん?」
「…ええと……」
「…まあ、深くは追及しないであげましょ。あんたの半分はゲオルギアなんだしね」
……どういう意味だろう?王家の血が流れていると、何かあるのか?