「契約の龍」(152)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/03 12:26:09
「じゃあ、そこのところがはっきり判るまでは、下手にいじらない方がいいわね。あんたが不妊になられるのは困るし」
「………そうなの?」
「そうなのよ。だから、安易に頼られても、困るの」
「……解った。肝に銘じとく。……でも、安易に頼った訳じゃ無いよ?…少なくとも、今回泣きついた件については」
「まあ、そりゃね、私もいろいろと珍しいものが見られたし、あんたの気持はわからないでもないから、強くは言わないけどね。……ところで、うちの孫娘を励ましてくれるのはありがたいし、離しがたい、というのは解らないでもないけど、ぐずぐずしてると、帰り道がきつくなるわよ?」
前触れなくこちらに話が振られる。
「あ…す、すみません」
慌てて手を離すと、「別に疾しい事をしてる訳じゃないのなら、うろたえる必要はないだろう?」とクリスにたしなめられる。
「それとも、励ます、というのは口実で、何か疾しい気持でもあったのか?」
「別にうろたえている訳じゃ…」
前から思っていたが、どうしてクリスは、人をからかうとき、やけに嬉しそうになるんだろう?
「…クリスの緊張がほぐれたなら、まあいいか」
ひとつ溜め息をついて、クリスを立ち上がらせる。
「準備ができてるなら行っといで。…ここで見てるから」
送り出そうと軽く押すと、「今回は支えてはくれないの?」と、不安げにこちらに向けて身をよじってつぶやく。
「…らしくもない事を言う。切り札は温存しとくんじゃなかったのか?」
「……だって、物理的な支えは必要だもの。…それまでおばあさまに頼れ、とは言わないよね?」
「なるほど。……それもそうだ」
そう言って立ち上がると、クリスの表情が晴れる。今日は表情の変化が妙に著しい。
曖昧な笑いを浮かべているクラウディアの横を通り抜けて、クレメンス大公のベッドの横へ立つ。
「さて…と」
そう呟いたクリスが、大公の上掛けをめくって寝間着の前を開ける。半ば閉ざされていた「金瞳」の瞳孔が瞬時に全開になったのが判った。
「ああ、やっぱり飢えてるんだな。自業自得だろうに」
おもむろに「金瞳」から、無数の輝点が漂い出す。と、クリスが両手を広げて、障壁を作る。…いや、障壁、というよりは「網」か。阻まれた輝点が、すべてクリスに集中する。
「…クリス?大丈夫か?」
「…平気。これくらい。…今まで払わずに来た分を、まとめて払ってるようなもんだから」
こちらに背中を向けたまま、そう応える。
「…でも、ちょっと集中がしにくいかな。気が散るから、そこ、動かないでね。……二人とも」
集中しにくい、という理屈は解るが。
「注文が多いわねえ。…了解」
果たして「注文が多い」の一言で済ましていいものだろうか。
内心で首を傾げていると、クリスが返答を促してきた。
「……了解」
応えた声が聞こえたかどうか定かではないが、クリスの張った網が次第に収束しだした。ゆっくりと引き絞られつつ、大公の体を…いや、「金瞳」を覆う。
最終的には、「金瞳」とクリスとの間に、明滅する綱のようなものが渡される形になった。
なおも見守り続けると、クリスの輪郭がぼんやりとにじみはじめた。
不意に、クリスの体がぐらりと傾ぎ、後ろ向きに倒れる。
慌てて受け止めると、その場に残ったクリス――の精神体――が、こちらにかがみこんで、(じゃあ、体の方はお願いするね)と囁いて、頬に感触のないキスを残す。
「行っておいで。なるべく早く帰ってくるように」
言われなくても、と唇が動いて、クリス――の精神体――が、「金瞳」に引っ張られるように姿を消す。それと同時に、ベッドの上から伸びていた、光る綱のようなものも消える。
「もう動いてもいいのかしらね?」
クリスの消えた空間を、ぼんやり眺めていると、後ろの方で控えていたクラウディアが、のんびりした様子で問いかけてくる。
「えーと…」
クリスの体を抱えたまま、伸びあがってベッドの上を窺う。「金瞳」は見えない角度だが、どうやらおとなしくなっているようだ。
「大丈夫そうですね。…これは抜け殻になってるし、「金瞳」もおとなしくしているみたいです」
クリスの体を抱え直す。「中身」が入っていないと、重い訳でもないのに妙に扱いづらい。
「じゃあこれ、しっかり包んでね。私は「王子様」の方の後始末をしとくから」
クリスがここまで着てきたコートが手渡される。すっかり乾いているばかりでなく、ほのかに温かい。
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