ダンサーの中にある瞬間(MJのビート)
- カテゴリ:日記
- 2010/02/03 22:34:00
僕の日常の中で、「THIS IS IT」から最も遠いのが、ダンスだと思う。
僕は、ダンスを知らないし、少しもやったことが無い。
ただ、見ている分には楽しいし、少しは感じるところがある。
ダンスを志す者なら、たぶん、THIS IS ITのわずかな映像の中からでも得るところが多いと思う。
なにしろ、門外漢の僕でさえも、マイケルの動きに感動するのだから。
マイケルを見ていればわかる。
マイケルの体の中で、正確なビートが響いている。
確実な一瞬が刻まれている。
そして、その一瞬のために体が動く。
例えば、ドラムが正確なビートを鳴らすためには、ドラマーは音が鳴る前にスティックを振り、鳴ってほしい瞬間に、ドラムとスティックが接する。
ビートが体に染み付いていて、未来の瞬間に向かって体が動く。
正確に、未来を創らなければならない。
誰でも、未来へ向かって体を動かしているものだ。
予測に基づいて動作を計画し、体を動かす。
しかし、多くの人は、未来へ向かって体が動いていることを忘れている。
無意識で、何となく行動する。
だから、楽器演奏ができない人も多いし、踊ることもできない。
ダンサーも、意外と、このことを忘れている人が多いのではないか。
決められた動作を思い出して、追いかけて行く。
未来へ向かって行動するのではなく、付いて行く人たち。
これでは、正確な動作をしても、それ以上の感動は無いだろう。
たやすい想像だ。
産業ロボットが正確無比に動作し、美しく流れるように形を変えても、その美しさに感動するのは最初だけだ。
ロボットに、心の奥底まで動かされることは無い。
(余談だけど、ロボットの技術者に成りたい人などは、当然、ロボットの動きに感動するよね。ここで言いたいのは、芸術のことだよ)
マイケルの動きは、マイケルの中に刻まれるリズムと、「あるべき瞬間へ向けて動く体」に支えられている。
そして、瞬間が刻まれるのだ。
それがマイケルの美しさである。