人がそこにおるんよね
- カテゴリ:仕事
- 2010/02/09 15:53:49
仕事でこんな人間と出会った。
命に代えてでも守りたいと思う人がいる。
しかし、些細な誤解で愛する人と会う事が出来なくなったと言う。
そんな理由から、彼は小賢しい小さな機械を使用した。
その機械を使い、愛する人の情報を得ようとした。
そこで問題です。
たとえ何億分の一でも、愛する人と再び会える可能性を持つ者と
どんなに愛していても、その可能性が残されていない者と
いったいどちらが悲しいのだろうか?
私は答えが出せないでいる。
いい加減なヤツじゃけん、ほっといてくれんさい。
シンクロニシティねぇ・・・
ユングの理論でしたね。
ひまわりと違う幸せ。
自分の中の深層心理にあるのは理解しています。
彼女のいない生活の中で、そういった「幸せ」に出くわした事も事実あったんです。
しかし、それもユング曰く「必然の偶然」で消滅してしまったのかもしれません。
いい加減なヤツじゃけぇ、ほっといてくれんさい
アンタと一緒に泣きとぅはありましぇん♪
人生は不思議よ。
いつかまた、違う幸せを見つけることもある。
http://www.youtube.com/watch?v=36Ti4O8guJ0
うん、誤解ってのも色々なケースがあるじゃん。
不本意なものもあればさ、誤解を受けて当然って場合も。
心が病んでいると、どうしても自分中心になって人の痛みがわからなくなっちゃう。
仕方ないんかなぁ?
あ、人の痛みがわからんから自分中心なのかな?
そこなんだよね。。。
ホントにねぇ、悲しいってのは消えんねぇ。
まぁ、何にしても続けるってのは大変なエネルギーが必要です。
愛し続けるのも大変ですが、やり遂げましょうとも。。。
あぁ、本質からはズレまくっている彼でしたねぇ。
でなければ、あのような手段は選択せんとです。
そういう意味で十分に悲しい人だと私は感じました。
悲しみにも愛にも、どっちが・・・なんて無いですよね~。
優越も無ければ、大きさも図れるものではありませんでした。。。
そーでした。
自分は自分の色で愛すればいいし、それを受け入れてくれるか否かは相手次第。
愛の基本形は一方通行で成り立つんですよ。
それを彼は無理やり往復させようとした。
だから愛はエゴへと変化してしまったのでしょうね。
おぉ!読んでくださってありがとうございます!
執着や固執になってしまうと、元の「愛」と言う形からはかけ離れてしまいますね。
ただし、愛が執着に変化したのか、それともまだ愛に到達すらしていないのか・・・
その彼のそれまでも生き様を知らない私には、いまひとつ伺い得る事は出来ませんでした。
修行がたりませんねぇ・・・。
一番悲しい時期
もう過ぎてしまったかもしれません。
一年目は逝ってしまった彼女がかわいそうで
そして残された息子がかわいそうで
泣いて暮らしました。
二年目は今度は残された自分がかわいそうで
残りの人生をどう生きようか、ずっと泣いて暮らすのか
そう思うともうそれだけで泣けてきました。
自分の中に悲しみがあって、彼女が入って来れないのであれば
悲しみが減った私の隙間には、今は息子の事がいっぱいで未だに彼女は入れないでいるかもしれません。
まぁ、それでも仏壇の写真は、あのいつもの笑顔を見せてくれています。
そうですねぇ。
たまには夢で叱って欲しいですねぇ。
ここの所、夢にも出てきてくれません。
最低でも月に一度くらい出てきて欲しいですよ。。。
この彼は、自分は相手の事を十分に考えているという大前提の上で語っています。
相手を考えている自分ならば、当然相手も自分の話を聞く義務があり自分は話をする権利がある。
そう考えてしまった時点で、彼は全ての権利を放棄しちゃってるんですよね、実は。
この機械を使用する事を考慮した時点で、私は全ての主張も言い訳も受け入れません。
廉さんが言うように、彼がいくら「愛ゆえに!」と主張してもです。
この人の大きな過ちは2つあると思います。
まずは、誤解を解こうとしてしまった事。
「命に代えてでも守りたい」と言うのであれば、自分への誤解などたいした問題にはならないんですよ。
それよりも相手への幸せを祈る事の方が、どんなに失うものが少なかっただろうか?
そしてもうひとつは、例の機械を使ってしまった事。
それによって私の仕事に発展してしまいました。。。
彼の最大の不幸は、それらの過ちにいまひとつ気付けない事でしょう。
本人の見解では、誤解を受けた事が一番の悲しみになってしまっていて、非常に視野が狭くなっているようです。
そだねぇ
あたしゃ幸せ者だよねぇ。。。
でも、みんなが言ってるように愛された事実も消えないから。
そして愛し続ける気持ちもね。
手段を選ばないってのは、相手のこと考えてない所以だね・・・
それはそれで、別の意味で未来が無くて悲しいことだけど
本人が感じる悲しみは、きっと本質からズレてる。
愛にどっちがって考えにくいです。
いろんな愛があると思うから…比べるのはつらいかな…
悲しいですかっていうのがつらい…
でもブログ読むたびに招き猫さんのひまわりさんへの愛はすごく感じます。
招き猫さん…
失礼しました。
涙がポロポロ出ちゃった。
「本当の愛」って美しいものです。
常に自分よりも大切に想う心を試す試練を乗り越えて行くから。
それから外れると、愛というより執着になってしまう。
その彼は、愛じゃない、執着してるのね。
たぶん、今が一番、辛い時期なのかもしれませんね。招き猫さん。
ぶざまでもいいから、思いっきり泣いてもいいんですよ。
子どもみたいに泣き疲れるまで、気がすむまで。
そして、眠って、ひまわりさんに怒られてくださいね。
もう少し時が経てば、きっと、ひまわりさんは招き猫さんのこころのどこかに
永遠に棲みつくと思うの。今は悲しみでいっぱいだから、入り込もうとしても
居場所がないのよ。
楽しい時も、哀しい時も、ひまわりさんは招き猫さんに語りかけてくれるし
招き猫さんも語りかけずにはおれないでしょう。
愛し愛された記憶や時間は、現実の喪失の痛みを、いつかは超えていくと思います。
招き猫さんが生きている限り、ひまわりさんの愛もそこにあるもの。
覚えているでしょう。
ひまわりさんがどんなに素敵な女性だったか。
どんなに招き猫さんを愛していたか。
愛し合ったご夫婦ほど、失った時の喪失感の落ち込みは激しいのですが
立ち直りも早いとききます。
きっと、自分の内側に愛している人がいることに、気づくのでなないか
そんな気がしてなりません。
招き猫さん、もうしばらく頑張りましょう。
泣いたっていいんです。
でも、ヒマワリさんの声が聞えてきそう。
「男って、どうしてこう弱虫なの」
どうぞ、夢の中で叱られてください。
けれど、愛する人、愛することが生きる糧なら、可能性の問題じゃない気がします。
でもそれは、相手の事が分かっていればの場合なのかな・・・。
断絶されてしまった場合は・・・自分の苦しさじゃなく、どれだけ相手を考えられるか、じゃないかしら。
その「小賢しい機械」は、彼の愛ゆえか。
それとも彼自身の苦しさから逃れるためか。
それを「愛」と言い換えて、彼女を見ない。
机上の空論。かな・・・。
ここで思う事は、アナタは愛され、後に命の終わりが等しく人に来るならば、
もう一度必ず逢える。
その彼は、二度と愛される事は無いわ。
しかもね、その「愛」自体がね、エゴで思い遣りない、思い込みだけのもんだったよねぇ。
アナタは確かに愛されて、いまだって愛されてるんだ。
どっちが悲しいよりも、どっちが幸せな人?