Nicotto Town


時にはサムいこと言ってみたりして


消えた翼 (3)


 耳をつんざくようなサイレンが辺りに響き、強烈なライトが男女を襲う。
 執拗に迫る追跡者は慈悲の心を持たず、ただ望むのはあの男の命のみ。

 男は女を引きずるように裏路地を走りまわり、ようやく辺りが静かになった。
 痛がる女の手を離し、男は側壁にもたれかかる。 

 
 (どうやら、もう持ちそうにない)

 
 周りをうかがう男の顔には異常なまでの汗が流れ、月の光に照らされて青白い顔をしていた。
 「くそっ! あの野郎。 俺を騙しやがった」
 歯を食いしばる男のジャケットには、暗い染みが時を経るごとに拡大していく。荒々しい呼吸を繰り返しつつ、興奮した身体を宥めようとしていた。

 これより数時間前、男は仲間の売人に騙され、もみ合いになっている内に止めに入った警官を誤って刺し殺してしまう。仕事を初めて間もない、若く、正義感に溢れる警察官(ルーキー)。同僚たちは皆一様に嘆き、怒り、殺人鬼へと変貌させたのは当然の結果だった。
 そして、追ってから逃げる最中、手近にいたこの女を人質として捕まえた。だが、躍起になって男を追い詰める彼らには女の姿など見えず、誰かが放った銃弾が彼の腹部に命中したのだった。

 「だが、あいつもただじゃ済まない。これがあるんだから なぁ?」
 そうだろう、と男は血で汚れた茶色い紙袋を女の目の前でちらつかせる。中身は大量の薬物。仲間のあの売人は彼に殺されなかっただけで、これを盗まれた責めを違う方法で科せられることとなるだろう。
 女は嫌悪感を隠すように顔をそらした。男はおどけたふうに紙袋と女を見やる。
 「あんたみたいに身なりのいいお嬢様には、大麻は刺激的かな? それとも見たくないのはこの血か」
 馬鹿にしたように鼻を鳴らした男は、足を引きずりながら廃墟と化したビルに入って行く。
 危うい足取りに、思わず肩をかそうと駆け寄った女の手を男は払いのけた。
 「お前はもう帰れ。いるだけで不愉快だ」
 興味を失い、目を合わせようともしない男は、女の横を通り過ぎようとして再び身体が傾いだ。
 「もう、歩けないじゃないですか。そこまで肩を貸します」
 倒れかけた男の身体を支え、一歩ずつ女はビルの中に入って行った。
 何段かの階段を上り終わった時、男の力がつきた。押さえても押さえても、脇腹からはどす黒く濁った血が止まらない。


 (あと数時間の命だ。ほら、音が小さくなってきた)


 鈍痛だったものが再び熱を帯びて男を苦しめる。懸命に脇腹を押えながら、男は小さな窓しか見えない部屋に入って行った。窓のすぐそこには隣のビルの壁が見え、空などほんの数センチほどしか見えない。けれど月のあかりは、ほんのわずかな隙間からでもその恩恵を与えてくれた。おかげで、顔が認識できるほどの明るさが部屋にはあった。
 近くでパトカーのサイレンが聞こえ、二人して身を強張らせる。だが、それは徐々に遠ざかり、辺りは静寂に包みこまれた。
 外の音に気を取られていた女が、静かになった男の呼吸音に気付く。先程まで荒々しかった男の顔は、写真で見たそれと同じになっていた。

  「俺は悪魔だ」
 ぼそりと呟いた男は、女の肩から手をどかし、よろつきながら部屋の隅に座った。
 「独りでいたほうが気が楽だ。だからあんたは家へ帰れ」
 近づく死に、本能で気付いたのか。男からは怒りの表情が消え、端麗な人形のような顔つきになっていた。落ち着いた口調で告げる男に、女は少したじろいだ。
 「今さらそんなの、嫌よ  (なるほど、彼は己を悪魔の化身だと信じているのか。ならば尚更、神の救いが必要なのではないか?)」
 実はこの女、男の死にたまりかねて飛び出した、あの下級天使である。人間の女に姿を変えて、男に近づいたのだった。
 男の死期は徐々に近づいていた。それが今や音となって女の耳に伝わっている。死が近づいている人間の身体からは雨音が聞こえ始める。それは人によって違い、男から聞こえる音は、梅雨に降る断続的で穏やかな雨のようだった。
 天使は無表情で男を見つめる。
 「それに貴方はただの人間よ。死が怖いから、人質と称して私を捕まえたんだわ」
 男はだるそうに顔を上げ、女を見つめる。大人しかった女の雰囲気が急に変わり、男は少し驚いたようだった。
 「貴方は誰かに救いを求めてる。 そうでしょう?」

 「……神の救いを得たいならば、神に仕えよ。 お前もそう言いたいんだろう?」

#日記広場:自作小説

アバター
2010/02/11 18:20
ありがとう(^◇^)
まだまだ、続きますので よければお付き合いくださいな(^_^;)
アバター
2010/02/11 00:49
おもしろい!

バックナンバーから見に行っちゃいまいした!




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