消えた翼 (4)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/11 19:35:09
逆に切り返されて、女は押し黙った。
男が放ったこの台詞は、今自分が言おうとしていたものだった。女は事を急ぎ過ぎたことを感じていたが、男の顔に浮かぶ冷やかな笑みに、何も言えなくなってしまった。
ふわりと、今度は優しく男がほほ笑んだ。
「もう十分に尽くしたさ」
どんな言葉を吐き捨てられるのかと恐怖していた彼女にとって、男の台詞は考えてもみないことだった。
「昔、世話になった修道女が同じことを言っていたよ。 俺は十分に神に尽くしてる。感謝してほしいくらいさ」
天界で読んだ書類には、上級天使が彼に会いに行ったことがあると記載されていた。恐らくは、その時のことを言っているのだろう。ただし、後半の言っている意味は解らなかった。
「貴方は、神に何をしたの?」
顔の皮膚が引きつるのを女は初めて経験した。これより先のことは、書類にいっさい記載されていなかったものだろう。聞いてはいけないような気がしたが、彼女は口を開いてしまった。
「魂の洗浄さ。世界にいる腐った人間の魂を洗濯機に放り込んでやったんだ。 そうすれば、神の手間も省けるってもんじゃないか」
にこやかに話す男を女はなかなか理解出来ずにいた。続けて男が言った。
「わからないかな。生き間違えた人間は、生まれなおした方がいい。 俺はその手助けをしてやったんだよ。 今頃俺の両親も良い子に育ってるんじゃないか?」
両親の話をしたおかげで、男がどれほど恐ろしい話をしているのかが女には理解できた。
男の初めての「手助け」は、自分の両親を殺害したことだった。
月が雲に隠れ、男から発する負の感情で部屋が覆われていく。女は立っている努力をやめた。
「あいつらの趣味は、俺をいたぶることだった」
男の生い立ちは、酷いほど祝福のないものだった。両親は男に対し親としての感情は一切なく、世話もろくにせず、乱暴を繰り返した。その都度男は協会に保護されていた。
「あの時の俺は、別にそれを苦にしてはいなかった。むしろこう考えた。自分の代わりに、他の場所で救われた子がいるかもしれないと。シスターも、俺にそう言っていたしな。 だがある日、その考えが誤りだと気付いた。俺が代わりにこんな目にあってるんじゃない。俺だからこそあっているのだ」
言い終わると男は目を閉じた。瞼の奥で目玉が小刻みに動いている。そして開いた瞳には何も映ってはいなかった。
「幼いころ両親を殺した。 酒を飲んで、ソファーでいびきをかいてる奴らの後頭部に、俺はナイフを突き立てたんだ」
歪んだ笑顔を作りながら、目だけは何も変わらなかった。
「最初は何てことをしてしまったのかと、情けないがうろたえたさ。 まだ毛の生えてないガキのころだったしな。あんな親でも失うのが怖かったんだろう。 だが、奴らの死に顔を見た途端理解したよ。俺は奴らを助けてやったんだ。いつもいつも醜い顔をさらして、文句ばかり言って。自分やこの人生に何の希望も持ってはいなかった。それがようやく安らかな顔が出来たんだ」
その光景を思い出しているのか、男は恍惚な表情を見せていた。
神の代理人と信じている者は、過去少なからずいた。だが明らかにそれらとは雰囲気が違う。男が言うと、それは本当のことのように思えた。
(この男は恐ろしい。なのに、何故こんなにも離れがたいのか)
一目会った時から、女は強烈に惹かれるものを男に感じていた。だから近寄ることも禁止されていたのに、こうして姿を変えてまでも男の傍にいる。最初の目的は果たしたのだから、男が死を迎えたらすぐに立ち去ればよかった。しかし、初めて芽生えたこの感情を制御することは、既に不可能だった。
「だが、もうそれも終わりだ。俺が殺した人間は天国に行ったが、俺はどこにも行けない……」
落ちるように眠り始めた男の顔は、無垢な赤子のようだった。
女はゆっくりと男の頭を膝に載せ、青白い頬を優しくなでる。
部屋を覆っていた冷たさは消え、女は心地よい感情の渦に身をゆだねていた。これは、人の言う愛情だろうか。
そっと男の額に手を置く。こんなことをしても、この男は喜ばないかもしれない。そう理解していても、女はやめようとはしなかった。
「ほんの一瞬の、擬い物であったとしても、貴方に優しい時間を与えてあげたい……」






























毎回読んでくれてありがとうね♪
次々読みたいけど、終るのが怖いような気持ち。