【龍】‐2(「契約の龍」SIDE-C)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/12 11:44:26
「誤った、呼びかけ……」
女が茫然と繰り返す。
「その方が生まれた頃の事をあなたがご存じなのでしたら、その方にとって、「ユーサー」というのは自分の事ではなくて、遠いご先祖の事なんです。だから、何度ユーサーと呼びかけても、応えは返ってこない」
「では、本当に…これは…妾の待ち続けていた背の君、ではないのか?」
青い女が目に見えてしょげる。腕から力が抜けたのか、抱えていた体がずるりと滑り落ちる。あの高さから落ちたら、とひやりとするが、かろうじて腕に引っかかっている。
「…少し言い過ぎたかもしれません。その方の体の一部は、確かにあなたの言うように、ユーサーであったものからできているのだし、……魂だって、かつて「ユーサー」と呼ばれたものであった可能性は否定できません」
「なのに、ユーサーではない、と?そなたにどうしてそれがわかる?」
「それは、私が人の子だから、です。人の子の体を持ち、人の子の魂を持つから…人の子の在り様がわかるのです。人の子の魂は、かつて自分であったものの記憶を持たない」
青い女がそれ見た事か、と言わんばかりに嘲りの笑みを浮かべる。
「……そういえば、昔同じような事を言った人の子の女がいたな」
…誰だか知らないが、豪胆な人だ。「幻獣憑き」の幻獣に、喧嘩を売るなんて。…それも、こんな見るからにおっかない相手に。
「人の子の魂に寄り添うことができるのは、人の子だけだと言って…お前もあの女のように、この魂が欲しいのではないのか?」
「要・り・ま・せ・ん」
全力で否定する。
他の事ならば、彼女自身で検証できる。でも、これは…私の心の問題だから、彼女には判らない。できる事なら、見せてやりたい。…だが、そうしたら、私のついている些細な嘘――だが、放置しておけば、いずれ現実になってしまう事――が露見してしまう、かもしれない。
胸元に手を置いて。首からそこに下げられた物をそっと指先でなぞる。
「その方のご意見には賛同いたしますが、私が寄り添いたい魂は、別にありますから」
心の中に、金と青を思い浮かべる。この女とは別の。
おそらくは今、自分の体の傍らにいてくれるはずの。
……いるよね?
…それともまだ課題と格闘中?
「ほぉ?」
「ですが、あなたが何かのついでのように私の一部を掴んでいて放さないので、……危なくってその魂に寄り添うことができません」
仮初の逢瀬では物足りない。ずっと寄り添っていたい。……叶う事なら。
「危ない、とは?」
「あなたが時々、私や私ののそばにいるものの力をつまみ食いなさるからです。私だけではなくて、その方も含めた、他の裔の方からも。そして、時々、度が過ぎて食いつくしてしまわれる」
「…そうだったかの?」
自覚がなかったとみえる。七年も――あるいは、それ以上――泣き続けていたのだとしたら、空腹で見境がなくなっていてもしかたのない事、なのかもしれない。だからといって、首肯できるものではないが。
「ええ。ですから、私の要望としては、あなたにつまみ食いをやめていただきたい…もしくは、私を掴んでいる手を放していただきたい、ということなんですが」
「手を放す…?」
「はい。幸い、と言っては何ですが、ユーサーの裔の者は、もうその方と私しか残っておりませんので、いったん契約を解除していただいて、改めてその方と契約を結びなおしていただければ、と」
「他におらぬ、とな?」
「…はい」
…全くの真実、という訳ではない。だが、数少ない他の「金瞳」はこの女との接続が断たれている…はずだ。
「何故じゃ?」
「あなたが、食いつくしておしまいになりましたので」
青い女が虚を衝かれたような顔をする。
「妾が…?そなたの言った、「食いつくす」とは、そういう意味だった、のか?」
「ええ。他ならぬ、あなたが。ユーサーの裔の者を保護する、と言っていた、あなたが」
「………何故、妾がそのようなことをせねばならぬ?」
「存じ上げません。私はあなたではありませんので。…お疑いでしたら確かめてごらんになってみればよろしいわ。他にあなたとつながっている者がいるかどうか」
青い女が宙を仰いで目を閉じる。
「…そなたの言うとおりであるの。今ある道はそなたとこの者に通じるもの以外、断たれておる。…だが」
女が頭上の空間を払う仕草をする。
「道を通す事のできそうな、裔の者はまだおるぞ?」
女は片手を掲げたまま、こちらを向いてにっこりと笑う。
「それは……つまみ食いはやめられない、と仰る?」
「つまみ食い、とそなたは言うがの、妾とて糧もなしには守護の力は揮えぬぞ?」
「…それは私も承知しています。でも、あなたがその方を手に入れてからは、糧を得るばかりでちっとも返さない、と聞きましたが。…しかも、その度合いが甚だしい、と。……その方の体を維持するのに、そんなに力が必要なんですか?」