【永遠の愛】永遠の愛:自己愛 家族愛 無償愛♫♬
- カテゴリ:日記
- 2010/02/13 18:49:20
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※バレンタインデーも兼ねて、前ブログぐらいから【愛】について書いています。
永遠の愛が存在しないのなら、恋人や役所に提出し、法律上の結婚は
永遠の愛として成り立たないのか?これも賛否両論ありそうですが・・・・
※私は、永遠の愛は存在すると思っています。
恋人との愛だけではなく、家族愛だったり、友人との愛だったり。
愛にも色々な形があります。大事なものがそれぞれ違うように愛の形も...
皆それぞれ違う。でも、私の言う永遠の愛は、自分が感じてる愛ではなくて
求める愛ではなく、自分が与える愛。
自分が相手に対して、与えなくなった愛は・・・
永遠の愛にはならない気がするんです。自分が相手を信じてる以上
友人に向ける愛、家族愛、勿論、恋人や婚約者、旦那さんや奥さんに対して
与える愛、信じる愛は永遠に続く愛に繫がるんじゃないかな?って思います・・・。
勿論、彼が言うように永遠の愛なんて存在しません。
人は【死】を迎える以上、永遠なんて存在しない。だから、継続の愛。
相手が私から離れてくまで、私は相手を信じる。
※私が私自身が相手に対して、何も求めない。
勿論、何も求めない訳ではないです。求めるものはたくさんあるし
そうあって欲しいものは、たくさんあります。それを言葉にする前に
相手を考える。自分が欲しい愛は何なのか(?)
これは友人の愛だったり、家族に向ける愛、彼への愛♫♬
きっとこれは最終的に自己愛に繫がると思うんです。
私は、自分の事が好きです。でも、それは自分の事が嫌いだから
自分の事が好きなんだと思うんです。
少し矛盾してるようにも見えるけれど、自分が大嫌いだから
凄く長く、人生の過半数が自分の事が嫌いで生活していました・・・。
自分の事が嫌いになってしまうと、相手の事も見えなくなってしまうんです。
自分の事が嫌いだから、相手に対して【愛】を求めてしまう。
※何でしてくれないの?なんで私のワガママ聞いてくれないの。
私と仕事どっちが大事なの?私と趣味、あなたはどっちが大事なの?
これってきっと、比べる対象でも何でも無いんですよね。
押し付けにしかならないんだと思うんです。私は、この言葉を過去に彼に
友達にも何回も言った事があります。その度に、比べる対象が違うと言われていました。
何も相手に求めなければ凄く楽なのに。相手に【愛】を求めてしまう。
途中で気が付いたんです。求めるのではなく、与えればいいんだ。
相手に期待をするから、愛情は冷めていく。あそこが嫌い。そこが嫌いと...
でも、相手に期待を求めなければ、自分の愛を与えるだけで良い。
※これは、相手を信用して無いとか相手に期待して無いとかではなくて❤
きっと、永遠の愛を継続するのは、自分を犠牲にして
相手を守る事が永遠の愛に繫がるのではないかなと思うんです。
犠牲の仲で生まれる【愛】が、永遠の愛。お互いの絆は強いものになる。
お腹を痛めた母親の愛情が、永遠の愛であるように・・・
人は 【死】 がある以上は永遠の愛は存在しない。だから、継続の愛。
何も求めずただ、相手を一身に信じる。相手に何も求めない。
これが永遠に続く愛なのかな?と、ふと思いました。
でも、その永遠の愛をお互いがお互い、察して相手に愛を求めない。
勿論、愛を求めないと言う表現はおかしいけれど、損得を求めない。
相手に尽くす。が正しいかな^^;
尽くしてる間、私はこうしてるのに、あなたは何もしてくれないetc・・・
じゃなくて、尽くしてるのは自分自身。私はしたいからしてるだけ。
あれをしたから、あなたには別のものを求める。ではなくて――
相手に何も求めない。愛の上にも損得は存在すると思うんです。
それは悪い意味ではなく、ごく当り前の事。そこに損得が生まれた瞬間から
永遠の愛は、きっと難しくなるんじゃないかなって思うんです。
家族にも友達にも言える事。家族だから当り前。
友達だから同じ場所に居なきゃいけない。
じゃなくて、きっと大事と思う心と相手を信じる心が大事。当り前と思ってる以上
そこに損得が生まれてるんだよね。だから継続の愛や永遠の愛は
その時点で成り立たなくなるのかもしれない。
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今少し悩んでたけど、なんかふっきれた!
育った背景や環境、接する人などによって、
その定義や価値観は様々でしょうね。
”永遠の命”について、さよなら銀河鉄道999でハーロックの名言があります。
「親から子へ、子からまたその子へ、血は流れ、永遠に続いていく。
それが本当の永遠の命だと、俺は信じる。」
”永遠の愛”というのも、これと同じようなものなんじゃないかと思ってます。
「~してくれない、私はこれだけ~したのに!」
最近、こういうひと、多い気がするwww
見返り求めた時点で、「欲望」でしかなくなる
と思うのだ~♪♪♪
私は母を亡くしましたが、いつも身近に母の愛を感じていますよ。
「もしも」の愛。← 条件付の愛。
「だから」の愛。← 理由と根拠付の愛。
「にもかかわらず」の愛。← 無条件の愛。
条件付の愛には「条件」と「要求」が常に付きまとう。
理由と根拠付の愛には愛するに値する「何か」が必要。
この2つの愛は、常に変化して移ろいやすい。。。
それに対し「にもかかわらず」の愛はたとえ相手がどうあろうとも
変わらず愛し続ける無償の愛。何も求めず、ただ与え尽くす愛である
昔、教会で聞いたこのお話は、今でも心にのこってます。
Rinaさんのブログを読ませてもらって、思い出してしまいました。^ ^
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女は、子供を産む使命があるから母性愛が常に、体に染み付いてると言われています。
たぶん、私も母性愛は持ってるとは思うのですが、多分。自分では何が母性愛だとかは
分からないのですが。形の見えない愛情表現なので^^;
逆に私は、女だから。男の愛の形は、守る愛なのかな?
とも思うのですが、女性の母性愛と違い、男性の持つ、別の愛は何だろう?
とふと、考えます。
人間ってきっと、愛があるから生きてける部分がありますよね。
この世に 「愛」 が無くなってしまったら、きっと、私は生きてけ無い。
愛には慈しむ心、優しさや、相手を想う気持ち、相手を感じるパワーの源
プラスの行動、思考全てが入ってると思うから♫♬
※ここに書き込んでるコメントをくれる皆さんのコメント一つ一つにも...
そこに 【愛】 があるから、コメントをくれると思っています。言い方はおかしいけど
これも、愛の形。そして、私が感謝してる気持ちも 【愛の形】 なんですよね。
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いろんな感情もあります。
愛もその1つ。
自分を大切にできることも愛。
ヒトを大切に思えることも愛。
とっても深い言葉ですよね(^^)
そして、いいものですよね(^^)
でも、愛のことまだ知らないから、愛をもとめる彼が
できたら…またべつのことを考えるのかも
答えは無いと思います。
1つの人生の、最後に、良かったとおもえれば、それで良いのかもしれません。
人というのは、悩んで、悩んで、生きるのが宿命かもしれないです。
自分が相手に尽くさなきゃ!
バレンタイン、少し「愛」について考えてみようかな♡
Rinaさんのブログをみて、思えたことです^^
話が変わってしまいますが、
放置しようと思います;;
学生なので、テストが・・・><
また、INできたときにお会いしましょう♡
無償の愛…
何をしてもどんな事があっても愛せるのはやはり…
子供かな…もうれっきとした大人ですが…
主人は…腹が立つ時は思いっきり腹が立つものね…ハハハ^^;;;
でもこれも愛するがゆえ…かな…?^^;
思うこと、信じること、助け合うこと、見守ること、叱ること、突き放すこと、抱きしめること
それもこれも愛だと思います
愛と仕事・・・確かに比べる対象ではないですね!
女性はとかく比べがちなのですが、
男性にとっては「今大事なのは仕事、いつも大事なのはお前!」なのだと思います
男性はshyな人が多いから敢えてそういうことを口に出して言ったりしないだけなのかもですよ(^_-)-☆
「猫を手放すなんて言い出すのは、お前らしくもないから、改めて言ってやる。」
「自分や身近な人の命とお前しかいない猫の命と天秤にかけて、お前が猫を手放すならおれは猫のために安楽死しか選択できない。でも、安楽死はお前の手で必ずさせるから、猫を飼い続けるのか手放すのかよく考えろ。」
忘れかけたものを思い出させてもらって、有難さとと情けなさで涙が溢れた。
この子を飼うと決めた日に、この子を最期を看取ってやるのだと心に誓ったのに、忘れかけるなんて・・・。
だから、術後退院するのをきっかけとして過去のいろいろなものを整理して、断ち切って、新しい人生を歩む決断は固まった。
空気みたいになっちゃって。いなくなってから気がついたり。
ちなみに私は生まれ変わっても、又、今の旦那と結婚したい。。と旦那には言ってます。
旦那はオレはもっと優しい人と結婚したいな~。なんて。
でも、嬉しそうににやにやしてます。
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※愛って、ほんとに色々な形があるんだと思うんです・・・。
結構深刻で悩んだ 【愛の形】 を書こうと思います。今してる治療が一区切りしたら
沖縄に帰郷するのですが、その話を母とした時に言われた言葉なんです。
私は猫アレルギー持ちだと発覚したのです。母も動物アレルギーが酷く
動物に近付くと、呼吸困難を起こすレベルです。そして、私はと言うと8年愛猫を
飼っており、溺愛してるレベルです。
喘息持ち、そして猫アレルギー持ちにも関わらず、愛情は日に日に増してく・・・。
今飼ってる猫を、人にあげなさいと言うのです。母の事が大事なのだと思うのなら
母に言われた一言なのですが、私からしてみれば、勿論母も大事です。
でも、8年も連れ添った猫も大事な家族なのです・・・。
【私と、その猫どっちが大事なの?】
結局、この話は完全に解決することも無いまま、今は保留になっておりますが...
愛の形って、そもそも全てに置いて違うんですよね。
私が母を愛してる形と、猫を溺愛してる形とはまた、違います。
たぶん、個人個人で愛してる形も違えば、その愛じたいも違うんですよね。
我が子が3人居たとします。3人同じ愛情を向けてはいるものの、やっぱり3人とも
愛し方が違う。私の母がそうなんです!
愛って色々な形があります。例えば、車に愛情を注いで
名前を付けたり。これも、その物じたいには、車本体には、心は無いけれど
愛情を向けたりするんだと思うんです。
※ほんと、愛もそうだけど、愛の表現や形は無限大なんだろうなぁ~と・・・。
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愛って、いろんな形で存在するものなんですよね。
家族も、友人も、伴侶も・・・
それぞれに対する「愛」があります。
不変であり続けたいと思います。
皆さんのコメントにも色々と考えさせられました。読みに来れてよかったです。
想いが残る…
そんな恋愛です、私にとっては。
彼にとってそうじゃなかったってのは、すごく残念ですけどね。
死ぬ間際に、
初めて気づく 本当に好きだった人のこと
それが「永遠の愛」
私は、それを楽しみに生きてます^^
犠牲と思わないから苦労できてその苦労を楽しいとも思えてしまうんだと思う。
そして感情ってのは周囲に伝えてこそ初めて疎通でき意味を生じさせる行為であって、最終決定じゃなくて最新履歴の提示であるってのがポイントなんだと思う。
つまり死のうが意識不明になろうが周囲に見せた最後の感情がその人の今現在の感情の最新版であって、それ以降は更新がないってだけなんだな。
その意味では愛を含めた永遠の感情って定義をしても良いんじゃないかな?
生物は死んでしまえばただの有機物であってそれ以上でもそれ以下でもない、人類は自我を持ってしまったおかげで自己存在の探求や規定をしないと不安になってしまうんで宗教や哲学をはじめ自己存在を肯定できる何かに傾倒しないと精神の安定をはかれないんだけどね(w
そしてそれは死してなお自己存在を肯定できる安心感の為って事でもあるんだよね、その意味で自分や周囲に何かしらの意味付けをしないと安心できない生物とも言えるね、本来は意味などなくただ必然の積み重ねの結果が現状なんだけどね(w
とはいえ「人」ではなくて「人間」って表記するのは、個人ではなく人と人との間に喜怒哀楽や愛憎を含めた感情の交流がある事が重要で、そのおかげで人間の社会性と自己はここまで発達したんだろうね。
ちなみに法制度上の結婚は永遠の愛ではなく家族単位を形成する為の契約だな(火暴)
どっちかってぇと神に誓う結婚式の方が永遠の愛の表現でね?(w
肉体は『死』がありますが、魂は死にません。永遠です。
誰もが無償の愛を持っていると思いますよ。無償の愛を回りに与える為に生まれてきています。
生きてると色々あって、それどころじゃない!なんて思ってしまうあたりが学びなんでしょうね?
信じなくってもいいです。
求めないと、自分が楽です。
足りないと思うから求めるのか?
『足りるを知る』と、自分の周りに愛があふれていることに気づけるかもしれませんね^^
それから仕事が終わったあと5ヶ月間毎日、寝ているだけの父をただ見守るだけの日々が
続きました。そして最後の日、私が母を連れて看病に行ったとき待っていたかのように逝きました。
ただ見守るだけのそれも愛・・・。
母は自分が死んだあと、待って居てくれているから父のところに行くといってます。
相手傷つけてきた気がします。
親子の愛は離れていても、聞こえる心の声がある。繋がった糸があります。母親になって知った、親子の絆です。
相手に求めない愛、難しいけどそれが良いのかもしれないですね。
今は自分を好きになることが大切かもしれない。
まだパートナーが広い心で見守っていてくれているから、今は許されている関係でも、一歩間違えば別れの形になる。今Rina様のブログで気づけて良かった。
今日から相手の事求めず、尽くす愛頑張ってみます。
幸せになりたいもの、笑顔で生きて行きたいものね
永遠の愛に繋がっていると良いなと今は思います。
あちきも 「永遠の愛」を信じてます!
そして・・・・親が子へ与える愛 「無償の愛」
これこそが 真実の愛ではないのかと・・・・
相手に 何かを求めてしまってるうちは、まだまだ 行き着いてないと思ってまふ(*^v^*)エヘヘ
自分が嫌いな時は何も見えなかった(✿ฺ-ω-)ゥンゥン
でも嫌いな自分がいたから今の自分を好きな自分がいる!
損得が出てくると続かなくなる…
人間って欲の塊だから1つ、欲を出して叶ってしまうと
次ぎもっと!ってどんどん欲が出ちゃう。
私がしてあげてるのにじゃなくて
私がしたいからしてるのにねo(*^▽^*)o~♪
最近自分が好きになれた理由として
何事も自分がしたいかしたくないかで考えるようになったら
すごく楽になりました。
子どもに対しても何かをしてあげてるんじゃなく
自分がしたいからやってるだけってね^^
恋愛に対しても、自分がマイナスの時には
愛されるのが幸せなのかなって
流されていた部分があったけれど
今の自分になってからは
まず、自分が好きかどうかが大切って想うようになりましたよ^^;
人に想われたいと思うより
自分が想いたいってね♡(。◕‿◕。)ノ♡
切ないことも多いけれど
前より今の自分が好きになれています!!!
ホント愛の形はいろいろあるナーって・・。
無償の愛とか愛憎とか期待や打算など相手によってその時の感情によって変わるものや、
歴史的に悲しい戦争のきっかけも"愛”のすれ違いかも、思い違いかもなんて考えてしまいました。
身近にあるのにとても難しい、コントロールの効かない、ものだな~と考えてしまいました。
そして無しでは生きていけない、夢や希望につながるものですね。
僕の根底には“人に幸せになって欲しい…”って思いが有るんだけど、
Rina❤さんのコメントを読んで
無償の愛 と 信頼
親切 と 打算
が、僕の心の中ではペアーなのかな~って 思いました。
家族愛は 無償の愛 と 信頼、友情とは 親切 と 打算、仕事仲間は 責務(誇り) と 信頼 って感じ…
例えるとすれば、そんな感じなのでしょうか。。。
友情・親切とは 自分が他人に親切にすれば、多分 他人も自分に親切にしてくれるだろう…って期待や打算
そう言った物が 有る程度は含まれて要るような気がします。
例えば、遠方に独立した子供を持つ親は、子供と同年代の人に ついつい優しくしてしまう。
それは、自分の子供も 遠方で人に親切にして貰いたいと願うから…って感じでしょうか?
家族愛は、ただ愛を与える、尽くす…その行為に自分の損得関係は無く、自己愛に近い感じでしょうか。
状況によっては、自分の身を犠牲にしても 家族を守る…そんなレベルの愛ですよね。
大変 驕った表現になってしまいますけど、家族って自分の身体の中に居る、自分の一部だ…って感覚。
自分が守るべきもの、極端な話をすれば 自分の残りの人生は 家族を守る為に存在する…そんな感覚
だって 感じるような気がします。
逆に 自分が困れば きっと家族が助けてくれるだろう…それは信頼・確信に近い感覚ですよね。
ただ、(家族が)自分を助けてくれなくっても 恨まない と言うか、自分自身の一部か下した結論だから
それは 止むを得ないって言うか、しょうがないって思えるような感覚なのかな~。。。
それと、求める愛 ですか~…。
僕は 愛って人との関係 だと思うんです。 自分が求められる、存在し得る意義、自分の居る位置付け…
二人(若しくはそれ以上の人間が)お互いに無償で相手の事を思う 尽くす その気持ちと言うか…
もっと言えば、自分が“他人から無償の愛を受けている”と確信できるような人間関係…自分の居場所…
自分の居場所が有る安心感。 それが 求める愛 なのかな~…って 思ったりもしています。
そんな事をフッと思ったので、少しコメントを入れさせていただきました。稚拙乱文でスミマセン。m( )m
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コメントの返し遅れてしまい申し訳ありませんです。話せば長くはなるのですが
父が病で治療の時に父の姉の家にお世話になっていた時期が長く、その父の姉さんは
私からしたらおばさんなのですが、車椅子で。旦那様は寝たきりと言う家庭環境に。
私の母は、感謝の気持ちを込めて父が亡くなって以降、ちょこちょこ沖縄から
父の姉の家に泊まりにくるのです。空港にお迎えとはそういう事情なのだったのですが
通常なら、タクシー+バス。歩きはさほど無い筈なのですが、流石に母と別れ際ぐらいから
痛みと格闘し、家に帰宅後、激痛と格闘していました・・・。
書き込みあるだろうと思っていたのですが、流石に痛みとの格闘で・・・・
ログイン出来ず、ようやく落ち着いたのでログインしています。と言ってもまだ、体が微妙に
痛いのであまり長居は出来ないのですが^^;
色々な方の愛の有り方を読んでふと感じた事があります。当り前だけど忘れていた事。
考えたら、愛って一言で言うけれど、形は無いんですよね。
あってないようなもの。愛を与えてるつもりでも、受け取ってる側はそれを愛と感じない
そんな場合もあります。一生懸命愛を愛を与えてるのに、相手にとってその愛は
うっとうしいものだと言う事もある。
愛とは、きっと形の無いものだから、受け取り方や感じ方は皆、それぞれ違うんだ・・・。
色々なコメントを読んでそう思ったんです。そして、だから愛について答えが無いし、答えが皆違う。
形の無いものだから。見えないものが愛だから。でも、それを確認出来た時...
家族であれ、友達であれ、恋人や旦那様、そして見知らぬ人で会えも、その愛は
受け取り方次第で変わるもの。
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今、わが子に向けている愛は無償の愛で永遠かも知れません。
でも、どんなに可愛くても困ったことばかりだし、子供なんていなければ楽なのに
としばいしば思います。
お別れが辛くて記憶が飛んでしまうほど好きだった人がいたけれども
その人のためならいつでも死ねると思うけれども、
その人がいなくても日常生活には楽しみも幸せもあって…
最近は忘れている時間が増えてきました。
巷で永遠の愛なんて言葉を聞くと、 ケッと笑ってしまいますw どんな根拠があってそんなこと言ってるんだとw
そんな軽いもんぢゃないだろう~w
ま、でもですね、私たちは誰しも愛を求めている。
そして、無償の愛、普遍的な愛にまで育ってゆくことは可能なんぢゃなかろーかと思ってますよ~♥
小さな愛が、 大きな愛になっていくように、 私たちは成長していかないといけないんだろうなー^^
僕も、「愛とは、見返りを求めるのではなく、与えることこそが、愛」だと思っているよ。
だから、相手が自分から離れた時は、僕も、潔く身を退いている。
物や距離ではなく、心の繋がりこそが、本当の愛だと思っているよ。
深いですね…継続の愛、ですか…
まだ良く判って無いですが、無償の愛を捧げられるのって自分より弱い守りたいと思える存在(ペット・子供など庇護を必要とする存在)の様な気がします。
その分、お互いに与え合う継続の愛って「相手を想う自分の心との闘い」でもある様な…???
うまく伝えられなくてすいませんm(_ _)m
死んでもなお、消えない愛・・・
それは何か?
誰もが信じなくても最初から存在する愛・・・
それは何か?
言葉で表すなら、BE Feeling 相対性理論 今を生きる 一期一会
数学が好きな人でも、相対性理論ならわかるんじゃないかな。
ボクは感覚でしか理解できないけど。
ただその言葉に囚われてもいけない。
うーん。結局入口しか伝えられない。
望まない、変えない、今あることに感謝する。
感謝を続けるから、また人を、他人を愛そうと、チカラがあふれでる。
ボクはそれでいいんじゃないかなと、思う。
まず自分なんだよ。うん。
以上です
そうですね。
永遠に生きる事の叶わぬ人間。
だから受け継ぐのですね^^
思えば「これが愛」と形や正解は、今現時点で1つに出来ませんでも
遥か昔より『愛』なるお言葉が 今にもお伝えされておりますのも
愛なりますものを朧気ながらでも『継続』しているからなのかもしれませんね・・・
サポートして上げることかなぁ。女性であれ男性であれペットの犬でも。
外側からそっと近づいて、時間やタイミングを見て、相手の事が
わかってきて、相性が良ければつきあいは続く。そんな風に想ってます。
さだまさしさんが唄ってありますが、「変わらないものが愛、求めないのが愛、与えるのが愛」
#ちなみに、恋は変わるもの、求めるもの、欲しがるもの(奪うもの)だって。
ちょっと面白い話をしてみましょう。
「恋」 は 下心。
相手に何かして欲しいから、自分が何かする。ただそれだけのこと。
亦 の字に下心。 亦 この字は、~~もまた~~、という漢字です。
下心が、無くなって遠く、久しくなると、 「変」 って字に変わります。
文字通り心が変わる。
では「愛」は? 心が、真ん中に来てます、ここまではみんな言うこと。
冠は 舜(しゅん)です。 これに目をつけると、瞬き(まばたき)。
ものすごく短い時間を指します。
下は、久しい。遠い。 なので「愛」って字は、 ものすごく短い時間と、ものすごく長い時間に心がはさまれている!
漢字なんですねぇ~~♪
#だから多分変わらない。
英語にすると「LOVE」 かな?
だけどこれはいろいろんな意味がありますね。
ジョンレノンという人は、「現実」だったり、「感触」「求めること」などなど、が愛で
また、愛は「現実」「感触」「求めること」 多分、両方向だろうと。
別の唄では ALL YOU NEED IS LOVE と歌っていますね。
これは、ほとんどの方が誤解しているんだけど、イギリス人の英語なので「ALL YOU」が主語です。
「出来ないことはできないんだよ、出来ることをしっかりやれればそれでいい。何も無理しなくてもいい。
唄えない歌は唄えない。だったらね、唄える歌を一生懸命唄えばそれでいい。心でも込めてね。
何か難しいかな? 僕は気が付いているんだよ、今のみんなに必要なものがあるのならば
それが LOVE って物だと思うんだけどな」 さきもり自由訳(まぁ、でも大体あってる)
永遠じゃなくても好いかもしれない。自己愛でもいいのかもしれない。
唯一つ、誰かを愛せないのが一番悲しいと思う(あるいは、愛しく思えないこと)。
無償の愛を捧げられると思うのは息子だけです
この身を犠牲にしても見返りも求めない・・・
後はどうしてもヨクが入ってしまうような・・・
自分を大切にできるから、相手のことも大切にできる。
まず自分自身を心から愛せるようになりたいです^^
果てしなくマンガ大好きな私には、少女漫画が扱う男女の愛がとても素敵に見えました。
少年漫画では滅多にお目にかかれないテーマも、少女漫画では当たり前のようにどの作品にも見受けられたのですから。
そしてさまざまなヒーロー、ヒロインからたくさんの人生の指針を学んだつもりでした。
実行してきたつもりでした。
でも、単なる独りよがりの自己満足でしかないことに気づくのに数十年かかりました。
努力して誠実な姿を見てもらえれば、気持ちは必ず伝わる、みたいな今にして考えれば押しつけと同じ、嫌悪感すら抱くような「私を見て」的な自己愛だったとは当時気づきませんでした。
純粋に自己犠牲的につくす姿は素晴らしいです。
でも私のは違ってました。
その裏に気に入ってもらいたいという打算が働いていたことを自分で認めてこなかったのです。
相手に喜んでもらいたい、という言葉の裏に「その後、自分に好意を、感謝の気持ちをもってほしい」という計算上の行動だったわけで、全く自分の心を見つめるのはほんとに大変(笑)。
今でも、こんな文章書いている裏で、人に嫌われたくないという意識が知らず知らず入っていることは否めないし(笑)。
形だけ真似していたに過ぎなかったんですね。
仏つくって魂入れず、みたいな。
いろんな作家さんが作品に表して来た愛の形。
女性では里中満智子先生とか、好きでしたね。
あと、大和和紀先生の「はいからさんが通る」とかね。
意外かもなところで梶原一騎原作、ながやす巧作画の「愛と誠」はどストライクでした。
これを形だけ真似ちゃったからダメだったんだなあ。
「君のためなら死ねる」みたいな気持ちを本気で実践しなきゃあダメだよなあ。
愛って結局は自分勝手な思い。
だから、人を傷つけるような身勝手さも、同じ気持ち。
優しさも冷たさも、全て同じ気持ち。
ただ行動への移し方が違うだけ。
私はそう解釈しないと、自分を肯定できなかったので、これで人生生きていこうと思います(笑)。
でも、○○の愛と分類するのはなんだか違うように思います。
どれも結局は一つの愛です。
自分から、誰かへの。
そして、人はそんなにたくさん究極の愛は持っていない。
だから、人は相手に愛の順番を糾したくなるのでしょう。
だから、Rinaさん、相手に何かと比較して質問している貴女は
「君が一番」と言って欲しいってことではないかしら。
でも、自分にとって自分が一番なように、
相手だってそうだよね。
だから、愛ってやっぱり自分がどう愛するかってことですよね。
む、難しい。
未だに良くわからない。
究極の愛って言うのは人類愛、地球愛・宇宙愛ですが、
(心・魂は宇宙につながっているから)
そこまで行ってしまうと神がかりになってしまうので
あまり他の人には言わないことにしています。
夫婦はもともと他人だったので愛を与え続けなくてはなりませんよね。
ただ愛を与えるだけでは相手に不満が出てきて、少しでももらいたい気持ちが出てくるので
お互いのやりとりから成り立つと思ってます。大きさではなく。
でも長年夫婦やっているとお互いが空気になってきますからねぇ。
永遠の愛なんて死ぬ以前になくなっている気がするんですけど...自分だけかな
「愛について考える」事は、「愛」を抱く事と同じ事なのかも知れません・・・。
一生、「愛」について考え続ける事ができれば良いなと思います。
私の好きな聖書の一節
love is kind and envies no one.
Love is never boastful, nor conceited, nor rude;
Never selfish, not quick to take offence. Love keeps no score of wrongs…. Love will never come to an end….
In a word, there are three things that last for ever: faith, hope, and love; but the greatest of them all is love.
「永遠の愛」理想ではあって欲しいんですけどね。
現実はどうなんだろうって思います。
愛の種類がいろいろあるので、分からないけど
長く一緒にいると、愛情が気づけば家族愛みたな感じになってきてたりして
愛なの?それとも情?どっちか分からなくなってきてます。
「継続の愛」いいですね^^
お互いが思いやっているから続いていく愛。
私もいつかそういう風になれればいいなって思います。
確かに 大事と思う・相手を信じる 心 は大切ですね・・・
それがどちらかでも欠けていればRinaさんの言う通り「愛」は成立しません。
毎回考えられるのですが、人間は怖いというか何というか、難しいですよね、複雑で^^;
十人十色で済まない
私の中にも過去の愛と現在の愛とはかたちが変わっているしね
愛と情の区別も付かないし・・・
2週間ほどニコをお休みしていて今日から復活しました(^^ゞ
休んでいた時のRina さんのブログをすべて拝見させていただきました。
先日義母を亡くしたばかりなので、私のとっての「愛」という言葉は、
見返りを求めない無償の愛です。
と言っても自分に余裕がないとなかなか難しいですよね・・・
でも「愛しい(いとしい)」と聞くと心にすっと入ってきます
親が子供を思う気持ちってそうですよね
大人の男女であっても互いを愛しいと思う感情は同じであってよいように思います。
自分の思いを相手にもわかってもらい、愛しい相手からも自分を愛しいと思ってもらいたいもの。
子供からであればそれは一点の疑念も無い信頼であってほしいもの。
愛しさ・・・信頼、尊敬、慰め、共に居る喜び、過ごしてきた時間の思い出、そして自分が相手にとって必要な人間であるという自己の存在意識・・・そのように感じます
もし何かあったときに、自分は愛されているんだよって思えれば生きていけるような気がします。
愛は理屈で考えるものではなく、感じるものであるし、自然とあるものだと思うからです。
あえて理屈をつけようとすると無理があったり、上手く表現できなかったりしますものね。
理屈でなく、それが幸せだと感じられれば、それで充分なのかもしれませんよね(^-^)
過去にその言葉で人を知らずに傷つけた事があるので、この言葉を使うことに恐れを抱いている。
今ではそれが愛だと感じるなら、そちらでそう受け取ってくれと思っている。
次、この言葉を口に出して言う時は、その方が都合の良いと思った時にだろう。
まぁ、それでも愛とはなんぞやと言うのなら、一生の内に二度と同じ形にならないもの・・か。
あぁゆう風になりたい♡こうゆう風になりたい♡♡
言い出したらキリがないくらいww
そこに向かって歩いている最中なのですが、まだまだ理想にゎ追いつけず
特に最近ゎ“愛”についてよく分からなくなっちゃいました(^▽^;)
だから、なんともコメントのしようがありません(^▽^;)ナサケナイㆀ
無償の愛を与えられるような人になれるよう、少しづつ何かを拾いながら
本当の愛が分かる日を心待ちにしてるとこです(o◡‿◡ฺ)♬♫
いずれ死が親子を離れ離れにしますが
親は自分が死んだ後に子供が困らないように教育しなきゃと、育てますし
人によっては、財産を残そうとする人もいると思います。
物質的なことでなくても、親が死んでも子供の心の中に親の愛が残るんじゃないかな~
残って欲しいな~と思います。
親が死んだ後に残された子供の存在こそが親の愛のかたまりではないでしょうか☆
↑こんなこと偉そうなことを書いておきなが、いまだに親と口喧嘩になったりします(^^;)
何も、恩返しはなく、それでも、頑張ってみた。
でも、私は、愛されない寂しさを知った。
それは、家族は喧嘩しても、肝心なときには助けてくれる。
話つぃが倒れても、倒れた私が悪い・・・。見たいな扱いを受け続けて、無賃金家政婦が使えなくなったら、ポイッ (/ ̄(エ) ̄)/ ⌒ ○┼<
今までの私の人生をすべて奪われている状態です。
早く返して欲しい。私の愛するものすべてを・・・。
人間我慢の限界が来るものですよ。無茶しちゃいけません。
でも、今の彼なら、きっと大丈夫だろうね。いい人と出会えてよかったね。
親切ってしてあげるんじゃなくて、自然と思いやるキモチなんですよね、きっと。
ボキャブラリーが少ないからなのか、
的確な言葉が見つかりませんです。
「愛」って漢字一文字だけど、解釈は無限大ですねぇ・・・
こんなコメントしか書き込めなくてごめんなさい。<(_ _)>
たしかに人を信じる心はとっても大事ですね♪
永遠の愛が存在するか、しないか。そもそも、愛が実在するか、しないか・・・。
考え出したら、きっとキリが無いし、皆さんが生きてきた経験や今置かれてる立場
そして...価値観や年齢層じたいも違うから、皆答えが違うと思うんです。
らくださんのように、愛も神も そこには存在しないと言う意見もあれば・・・・・・
ありのままを見つめるのが愛の形と言う意見もあります。死んだ後も残された人が
愛し続ける形も、勿論あります←これは、経験がまだ無いので分からないのです。
でも、皆形は違えど、愛の形はあります。永遠の愛がテーマだけど...
違う目線で見れば、皆何かしらの愛は、それぞれ持ってると思うんです。
経験や価値観で、愛の形は様々だと思うんです。
なので、ここではきっと正解はあっても無いようなものと判断します・・・。
なので、もし少しでも気にとめてくださったら、一個人の意見を書き綴ってみてください。
【絶対に、守って下さい】
皆考え方や生き方が違います。そして、経験も違います。
違って当り前なのです。名指しで、相手に批判や中傷だけは、ごめんなさい。ご遠慮下さい。
☆:;;::;;:*:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:・:;;:*:;;:❤
理由はないみたいな感じかな (ちょっと違うか)
ありのままをみつめる。
嫌なところもあるし。
自分の意識からなくしてしまったら終わり。。。のような。。
ふだんあまり考えないのでちょっと考え込んでしまいました^^
永遠の愛って意識しないでいられるから永遠なのかな。。
自分自身の愛は、注ぐのであって与えるのではない。
その愛に見返りや代償を愛する相手に求めない。
その愛を貫く限り、少なからずその代償を払うことになる。
その代償は、自分自身にしか払えない。
覚悟がなければ、愛は貫けないのです。
一方で、愛する相手から想われたいとか好かれたいとか求める気持ちも生まれる。
でもね、その気持ちと自分の愛を一緒にして考えないことが、もっとも大切なんです。
自分自身の愛を貫くためにはね。
相手に望む気持ちも願いも求める想いも。
決して、それらを自分の代償として位置付けないこと、そして持ち出さないこと。
想われたい、愛されたい、そう願いたい、こうであって欲しいと望む、そうして欲しいと求める。
これらの想いは、人間が生きていく活力になるし、成長の糧にもなり得る。
それと、自分自身が愛すること、自分の中で芽生えた愛を育み注ぐことというのは、全く別の感情と行為。
そうなれてこそ、他者から注がれる愛と受ける愛情や恩を感じることができるようになる。
その相手に対して自分が愛を注いでいようがいまいが、どういう感情を持ち合わせていたとしてもいなくても。
そうやって、人を嫌いになったり憎んだりすることが日々減って行き、生きる姿に感銘を受け愛おしくなる慈愛を学ぶ。
自分発永遠の愛というのは、自分の存在がどこかで誰かの記憶や思い込みの片隅に残る限り在り続けます。
それと同じように、いつかどこかの先達の発した愛が語り継がれたり書き綴られたり、有形無形で繋がりとなって、今の私達を支えてくれたり迷いから導いてくれたりしているのです。
気付かぬうちに・・・。
そしてまた迷いと出会い、彷徨い、気づくことで前に歩む。
それは死して尚誰かに引き継がれていくもので、愛も同じ。
うまく引き継がれなかったら?
また生まれ直して続きからやり直しだっていうのが、宗教家の説法。
でも本当は、どこかで生まれる誰かに引き継がれるだけのことなのに。
今在るあなたは、現世でしかあなたではいられない。
でもあなたの愛は、そうではありません。
あなたへの愛も同様に、あなたの生死にかかわりなく、愛した人の生死にかかわりなく。
在れば在り、無ければ無いだけのもの。
自分を信じることができる人は、相手を信じることができる。
自分を信じられない人は、相手を信じることもできない。
相手を信じられないのは、自分自身への疑心暗鬼があるから。
それより、自分を信じられるようになれば、相手を信じる信じない以前に、相手の本心をくみ取れるようになれる。
そうであれば、それまで相手の嘘だと思っていたことが、相手の方便にしか聞こえなくなる。
表面上の嘘にも本当にも関係なく、相手が何を求め訴えているのかに目を向け耳を傾けるようになる。
そうなれば、相手のなにを信じるのかもは言動ではなくなり、騙されるなど端から存在しえないこととなる。
すべては、、自分が相手の本心をくみ取るのか否か、嘘に乗るのか乗らないのか。
そのつけを支払う事態が生じたら、自らの責任で支払う若しくは知恵を絞るか相手の心情を掴まえて払わせるかになる。
損得が如何程のものか知るようにもなる。
死は世界を分かつけれど、残された者が死した者への愛を持ち続ける事ができるから、死があるから永遠ではないとは個人的には思いません。
愛の定義って、人それぞれかもしれませんね。
献身的な愛ともいうのでしょうか?
でも、実践するのって難しそうです!!
本当に大切な相手には
何も求めたいとは思わないですよねー
でも 愛を与える相手を間違えないようにしないと。。。
これが意外と難しいですね^^;
愛色々な形があるでしょうね…。今まで当たり前だと思っていた
事も愛があってこそしてもらったりしてあげたり?なんでしょうね。
愛もう1度考えてみようかな。