とりあえず結論
- カテゴリ:勉強
- 2010/02/25 22:06:06
前回の記事で、学校の「専攻」が英語で「major」というのが面白いと書いた。
日本語の「専攻」は、広い学問の中から、これを専門に選んで勉強する、という意味から考えると、英語の「major」だと、規模が大きい、広範囲の意味でとれる単語だから、反対の言葉が同じものに使われている。
なんで「major」が専攻になるのか不思議だったのだが、その後、とりあえず一応の答えをもった。
機能の記事を書いた後、一つ思い出した。
「major」は、軍の階級などでも使う。
調べてみると、「少佐」である。
「major general」で「少将」
「general」が「大将」
「general staff」「参謀幕僚」
「General of the Army」「 陸軍元帥」
「general」も「大規模」というような意味で、特に「広範囲」「全体」という意味合いが強い。
「major」も大規模なのだが、大きいだけで、全体ではなかったのである。
「major」だと、学問全体の中から、分野として分けた後の、「大きな集まり」をさしていたのだ。
「専攻」だと、広い範囲の中から「これを選んだ」という意味合いが強くて、「major」だと、「general」な学問の中の「分野」である。
それで、言葉の方向は反対なのだが、結果としては同じことなのだった。
ただ、どうだろう。
本当に、学問として合理的で、論理的な言葉は、どちらなのだろうか。
英語の場合、大学での専攻は「major」だが、さらに、「私はこれの専門家だ」と言う時には、「Specialist」になる。
日本語だと「専攻」は学生の態度のようなもので、「これを勉強する」という姿勢を表現する単語で、「専門」が学問の範囲を表している。
どうも、「major」は「専攻」ではなく「学科」に近い。
英語の方がシステマティックで、最後に「Specialist」という情緒が出てくる。
日本語の方は、学生の方に情緒を見出している。
どちらが良いと言うわけでもないが、言語によって文化が作られるという面を感じる。