【龍】‐6(「契約の龍」SIDE-C)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/02/28 14:05:19
「それよりも、先程の申し出は…」
「…申し出?」
「私の提示した情報は要求したものに適うでしょうか?」
「ふむ……結果次第じゃな」
「…そんな」
「考えてもみよ。そなたが差し出すものは、情報であろう?差し出したとてそなたは痛痒も感じまい。対してそなたが要求するものといえば、妾に飢え死にせよと言わんばかり」
飢え死にとは大げさな。
「そなたの願いを聞き届けるのは、効果を確認してからでも遅くはあるまい?」
「……具体的には、どのような効果があればお聞き届け願えますか?」
「そうじゃの…」
女が体をこちらに乗り出してくる。…どうやら自分が抱えているものを盗られる恐れはないと納得してもらえたようだ。
「この者が妾の呼びかけに応えたならば、そなたから「糧」を得るのはやめるとしよう。生涯にわたって、な」
「…それは、願ったり叶ったりですが…」
それは大盤振舞が過ぎないか?
……それに、一時的に鎖してある道からは摂り放題、という事になってしまう。それは、避けたい。
「この者がそちらの世界へ戻るのであれば、それで差し支えはあるまい。「道」の件については……やってみるより仕方あるまい?そなたのいう方法で」
「…そうですね」
「ただし、この者が再契約を了解したら、だぞ?「ユーサー」とのつながりを断ってしまうつもりはないからの」
ああ、それに……契約を解除したままでは、いろいろと、不都合がある、な。王国には。
「それは…むろん」
「では、それでよいのだな?」
「…はい」
「では、そなたが知っている、この者の名、というのを教えてくれぬかの?」
大きく息を吸って、呼吸を整える。意味のない行動だとは解っているが。
「その方が、自分の名だと認識している名は、フィンレイ、です。…呼びかけるのならば、レイ、と呼んで差し上げて下さい。…身近な者たちはそう呼んでいたようなので」
フィンレイ、と小さく繰り返す。「良い名、なのかの?」
「悪い名ではない、と思いますが………私にとって良い名はひとつです」
「それは、どんな……そうか、愚問であったの」
うっすらと笑った青い女が、形の良い、薄い唇を、改めて抱え直した男の顔へ寄せる。
そして耳元でそっと呼びかける。レイ、私の愛しい者、と。
その名は、劇的な効果をもたらした。
今までぴくりとも動かなかった男の体に血色が戻り、かすかに身じろぎさえするのが、判った。
「…やはり、ユーサーではないのだな」
青い女がさみしそうにつぶやくのが聞こえた。
だらりと垂れ下がった腕の先についた指が、わずかに空間を引っ掻く。
女の腕がそれをそっとすくい上げて胸の上に置き、水かきのついた長い指を重ねる。
「目を開けておくれ。レイ」
女が再び耳元へささやきかける。聞いているこちらの方が気恥しくていたたまれなくなるような甘い声だ。
顔は女の方に向けているので、こちらから見えるのは、頬とあごの輪郭だけだが、それが動くのが判る。不安げな女の顔がほころんだ。同時に男が咳き込んで体を傾ける。
「大丈夫かの?背の君」
「背の君、って…?」
男が咳き込みながらも怪訝そうに訊ねるのが聞こえた。
「…では、私はこれでお暇いたしたく思います。お約束の件、なにとぞお忘れなきよう」
女が満足げにうなずき、男がはじめて私に気付いた様子で振り返る。
「……殿下も、ごきげんよろしゅう」
できる限りの優美な挨拶の姿勢を取って、顔を上げる前にその場を去る。
これで現実の世界が気掛かりになってくれれば御の字だ。