全ての衣類は制服である
- カテゴリ:ファッション
- 2009/01/23 18:48:12
ミシェル・オバマ婦人の服装について、テレビで話題になっていました。
選挙活動の初期から就任式までの変化などに着目していた。
おおざっぱに言うと、選挙民がどういう印象を持つか、見極めながら服を選んでいるとしていた。
保守派の選挙民が見ると、スーツなどでは、仕事の能力を見せつけるようで、反感を買う。
かといって、家庭的な服では、選挙活動にならないし、女性の社会的地位を上げようとする団体から見放される。
そのバランスをとって選挙戦に挑み、最終的に、ファーストレディにふさわしい社交的な服装へと変化させた。
いろいろな論評を総合すると、こんな感じだったろうか。
この話題から感じることはいろいろあるが、一つには、アメリカの社会がどうやって成立しているかという事。
人種も宗教も、さらに細分化して、無数の生活習慣をもつ国がアメリカ。
だから、アメリカ人は日常的に
「あなたはどんな人か」
という視点で人を見る。
同じ事として、
「私はこういう人間だ」
という態度を持っている。
だから、服装も、自己主張としてとらえる。
その結果、大統領候補の婦人が、その服装を重要な情報として取り上げられるわけだ。
この事は、自己主張という方向から見れば、服装は「自由」だとも言えるし、
選挙民に見せるために選んだと言う方向から見れば、私は保守派なのか改革派なのか、あるいは、どんな政治グループなのか、そうした「所属」を表明するもので、これは「制服」の一種だとも言える。
どんな人の、どんな服装でも、この両面を持っているだろう。
「僕は気楽な労働者だよ」
「ビジネスマンとして、カジュアルでもジャケットを選ぶよ」
「俺はパンク」
「女の色気を追求するの」
いろいろいるだろうけど、
個性と同時に、所属をあらわしているのだ。