Nicotto Town


およよ・れおポン


全ての衣類は制服である

ミシェル・オバマ婦人の服装について、テレビで話題になっていました。
選挙活動の初期から就任式までの変化などに着目していた。

おおざっぱに言うと、選挙民がどういう印象を持つか、見極めながら服を選んでいるとしていた。

保守派の選挙民が見ると、スーツなどでは、仕事の能力を見せつけるようで、反感を買う。

かといって、家庭的な服では、選挙活動にならないし、女性の社会的地位を上げようとする団体から見放される。

そのバランスをとって選挙戦に挑み、最終的に、ファーストレディにふさわしい社交的な服装へと変化させた。

いろいろな論評を総合すると、こんな感じだったろうか。


この話題から感じることはいろいろあるが、一つには、アメリカの社会がどうやって成立しているかという事。

人種も宗教も、さらに細分化して、無数の生活習慣をもつ国がアメリカ。

だから、アメリカ人は日常的に
「あなたはどんな人か」
という視点で人を見る。

同じ事として、
「私はこういう人間だ」
という態度を持っている。

だから、服装も、自己主張としてとらえる。

その結果、大統領候補の婦人が、その服装を重要な情報として取り上げられるわけだ。


この事は、自己主張という方向から見れば、服装は「自由」だとも言えるし、

選挙民に見せるために選んだと言う方向から見れば、私は保守派なのか改革派なのか、あるいは、どんな政治グループなのか、そうした「所属」を表明するもので、これは「制服」の一種だとも言える。


どんな人の、どんな服装でも、この両面を持っているだろう。

「僕は気楽な労働者だよ」
「ビジネスマンとして、カジュアルでもジャケットを選ぶよ」
「俺はパンク」
「女の色気を追求するの」

いろいろいるだろうけど、
個性と同時に、所属をあらわしているのだ。

#日記広場:ファッション





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