奈良のお水取り はじまる(説明追加)
- カテゴリ:日記
- 2010/03/02 09:35:19
関西では 「お水取りが おわると春」「お水取りが終わるまで 春は来ない」
なんて言い方を 古い人達はしてました。
今でも、たまに あったかい日があっても
「お水取り、まだですやろ まだこれから 寒くなるかも」
なんて言葉を聞きます。
「おみず、とったら あったかくなるなら はやくとればいいのに」
と、幼い頃のわたしは その行事がなんであるかもしらず
水道から水をくんで
「春、来るかな」なんて 見当違いのことをやっていました。
そのお水取り、始まりました。
これが終わると いよいよ 春 です。
「奈良・東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)(お水取り)が1日、本行に入り、堂にこもる僧・練行衆(れんぎょうしゅう)の足元を照らす「お松明(たいまつ)」の炎が暗闇に軌跡を描いた。
午後7時すぎ、先導役の童子たちが、燃え盛るお松明(長さ約6メートル)を担いで堂の舞台を走り出すと、火の粉が境内へ。かぶると1年を無病息災で過ごせるとされ、約3500人の参拝者からは歓声がわいた。
お水取りは、練行衆11人が人々に代わって罪を懺悔(さんげ)し、天下太平などを祈る法会。お松明は本行が終わる14日まで毎晩ともされる。」
(YOMIURI ONLINEより)行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうず い)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。 このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。
(東大寺HPより 引用)
クリスマスも 昔のようではない、って 嘆きも聞くことがあるし
どこの国も 急速に経済が発展したり 変化したり という国は
伝統や文化は 古びたものとして だんだん 忘れ去られていく
そういうこと あるかもしれないですね
日本だけではなくて・・・
最近は伝えていく人たちが減ってきて、どんどんすたれていってしまう。
さびしいことです。
そういう儀式もあったら面白いですね(^^)
いっせいにお師匠さんたちが わき水 とか 宮水の ちいっちゃい場所に
どどどどどどど って おしかけて
一番にお水を汲んだ人の勝ち。
(運動会の棒状旗とり に似ています)
おいしいお茶を淹れるための儀式なのかと 思ってた
お茶のお師匠さんたちが大勢 おしかけて おいしいお水をもらって帰るのかなあ
ちがうのかぁ
誰かの本で読んだ記憶が・・・
3500人の人出はすごいですね
そうなのよね 儀式 わりと多い・・・
多宗教だから なおのことそうかも・・・
効率最優先では 人間らしさは失われていきますね
旅をするのにも 情緒がなくなってしまう 超高速での移動ばかりだと。
日本は儀式がけっこう多いんだね
街の暮らしじゃ忘れ去られてしまうのが残念です
効率ばかりを優先しては大切なものを失ってしまうという危機を感じております