「契約の龍」(159)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/03/16 15:18:22
開け放たれたドアから明かりが入ってくるが、外の明るさに慣れた目には薄暗く感じる。寒さの厳しい場所にあるこの家では、窓を全開にしても室内はさして明るくはならないが。
「いらっしゃい。部屋は判る?」
窓際で、数人の子どもがテーブルに向って一心に何か書いているのを見守っていたクリスの祖父が顔を上げる。
「たぶん」と答え、奥へ続くドアを開ける。続く廊下に沿って進むと、一番奥の部屋のドアが開いた。
「あら、ほんとだ。じゃあ、ごゆっくりね」
ドアを開けたクラウディアが小走りに出て行くのと入れ違いに部屋に入る。
部屋の一番奥にあるベッドに、クリスがいた。俺の顔を見て、体を起こそうとするのを慌てて止める。
「丸二日もかかったんだったら、休んでた方がいい。それだけ寝てないって事だろ?」
「みっか」
「は?」
「寝られなかったのは、丸三日。……最後の方は意識が飛んでたけど。……あんなとこアレクには見られたくない」
そう言って軽く頬を膨らませるクリスの上に身をかがめ、そっと唇をついばむ。
「……それでも、呼んでくれればよかった、と思うよ」
肌が荒れて、目の下に隈の残る顔をそっと撫でる。多少疲れが見えるが、彼女が自分で言うほどひどい状況に見えないのは、部屋の灯りが抑えられているせいか。
「…こんなにせっかちな人だとは思わなかった」
服をはがされながらクリスがつぶやいた。連日着替えさせているせいで、この寝間着に限っては目を瞑っていても脱ぎ着させられるようになった。
「欲しいものは、ちゃんと言葉にしないと伝わらない、って大勢にはっぱをかけられた。……黙っていると、要らないものばかり押し付けられる、とも」
「大勢、って…」
「特に…そっちの親族関連。表現は違うが、揃って同じような趣旨の事を」
「…揃って?」
「父上、祖母君、兄上、の全部」
「……大きなお世話だ」
吐き棄てるような言葉だが声は笑っている。華奢な腕がそっとこちらの肩に伸びてくる。
「それで、何が欲しいの?」
緑色の目が、こちらを覗き込む。
……欲しいもの、は。
「クリスティーナ、だ。……ゲオルギアでも、アウレリスでもない、ただのクリスティーナが欲しい」
つい、口を衝いて出てしまう。
アーモンド型の目が、一回り大きくなる。
「……意味、解ってる?」
「たぶん」
彼女の祖母から聞いた。「森の守護者」が守っているものを。
「でも…それじゃ…」
何か続けて言おうとする唇を塞ぐ。わずかに開いた唇の中から、言葉を紡ごうとする舌を絡め取る。腕の中の体が柔らかくとろける。華奢な肩。なめらかな曲線を描く背中。ほっそりした腰。みんな腕の中にある。だが、欲しい、と願うのは、体、だけじゃない。
「欲しいものは、それだけだ。…手に入れたら、色々面倒なものもついてくるかもしれないだろうが、それだって承知してる」
「……ずいぶんと、思い切ったね」
笑みを含んだ声がささやく。
「考える時間だけはたくさんあったからな。……応じてくれるか?」
「………困ったな」
首にまわされた華奢な腕に力が込められる。
「もうすでに白紙委任状を渡してあるのに。……これ以上何が欲しいの?」
「…白紙…?」
「背負ってるものを全部放り出して私と一緒に来て、なんて言えないから、丸投げしちゃったのに」
「……放りださないと、頷いてもらえない?」
「違う。……ホント、時々、信じ難いほど鈍くなるね」
それは、クリスが時々ねじくれたもののいい方をするからだと思う。
「…あなたの背負っているもの、半分受け持つから、私の背負うものも半分受け取って。……言ったでしょ?私が受け入れたいのは、あなただけだ、って。……アレク」
頭が引き寄せられ、唇が軽く触れる。
「アレクサンダー」
もう一度。
「私の、【アレクス】」
「…今、何て?」
もう一度合わせようとする唇を押しとどめて、訊ねる。妙な含みを持って呼ばれたように思うが。
「…知らなかった?【アレクス】っていうのは、古い言葉で、「守護者」っていう意味なのよ」
知らなかった。
そういえば以前、彼女の兄が怪訝そうな声でその言葉を口にしたのを聞いたことがある。
「だから、最初に名前を聞いた時、ちょっと、驚いた。……思い返すと、アレクにはずいぶん守られてきたと思う。……これからも、よろしく、って、言っちゃっても、いい?」
もちろん、と言う代わりに、さっき止めたキスを返す。