幸せを感じる瞬間
- カテゴリ:人生
- 2010/03/20 07:07:23
「なんて幸せなんだろう」 そう思う。
だって、なにもしなくていいんだもの。
社会から離れたところで日々をすごす。
そんな生活になってから、ひさしい。
家族と、年に何回か訪れる親戚との会話。
それ以外に、まったく人に気を遣うこともなく。
社会でのストレス。
そんなものを意識したことは、これまでなかった。
けど、うつうつとしていたんだ。
なにがどう、なにをどうかんがえていたんだか分からない。
かんがえが、わたしの中に何百人も人格がいて収拾がつかなかった。
それを、人はウツだというのだったろうか。
ストレスには弱い。
ささいなことが、ほんとうに大事なんだよ。
なにかあって、怒ればいいってものじゃない。
だって、すべてがわたし次第なんだもの。
かんがえちゃうじゃない?
どうすれば、つぎにはもっとうまくやれるか。
自己と他者。
根本から分かろうとする。
失敗を笑い飛ばすなんてことはしない。
だって、大事なんだもの。
「分かる」ということ。
そこに生きる本質がある。
分かっているふりをするのは、かんたん。
みてみぬふりをすればいいのだもの。
でも、それでは生きている根本がすっぽり抜けてる。
それが仕事だと言われても。
社交辞令が人と人との関係を円滑にすると言われても。
根本から離れたところで。
どこまで人は耐えられるのか。
耐えられないから、旅行に行くのか。心の洗濯。
体力があるなら、それでいい。
時間がなくても機動力さえあれば、存分に憂さ晴らしができるから。
そーやって、人々の暮らしをささえてる。
家族との安らぎの場にしかいない。
それくらいのことしかできない。
社会って、世間にまみれて人と暮らすって。
いまは、おあずけ。
ともすれば、頭ばっかりになるけれども。
いまは、その頭が肝心。
今後のため、家族のため、社会のためにわたしはなにができるのか。
あれこれと、あーでもないこーでもないとかんがえを巡らせる。
しあわせは、わたしの日常。




























じぶんを貫き通す覚悟は、まだできません。
人とくらべて、おろおろ迷って、それでも尚のこされること。
たいせつなことはなんなのか。
まだまだ迷っていることができるのも、幸せなんだろうなと思います。
生き方があってもいい
わたしはそう思いますヨ。