優しくないなぁ・・・・
- カテゴリ:音楽
- 2010/04/16 08:45:52
生まれて初めてっていうお題が結構ありますが、なにしろ2000歳です。
そんな昔のことは記憶が定かじゃないのです。
あんまり裕福な家じゃなかったわりには、かなり無理して映画や美術館や
地元の九響なんかのコンサートにも連れて行ってもらっていたようなので
どの辺りが初めてなのか見当もつかないのです。
自分で行ったとなると・・・・
小学校から中学校にかけては映画にかぶれ、高校では舞台演劇にかぶれ
(もっとも、観劇はチケットが高いのであんまり行けなかったけどw)
普通に、お題で期待されているようなミュージシャンのコンサートに行ったのは
大学出てすぐの頃に、一目惚れの彼女と竹内まりやさんのコンサートへ行ったのが最初だと思う。
たぶん・・・そうだと・・・思う^^;(だから古いことは聞くなってw)
このコンサート、あまり良い思い出ではないのが残念です。
というのも、福岡の観客っていうのは、正直っていうのか
反応が、ものすごくハッキリしているんです。
田舎者ゆえの、向こう見ずな唯我独尊の気風とでも言いましょうか・・・・
たとえば、福岡で上演を始めた頃の劇団四季は、明らかに福岡の観客を田舎者と見下して
手を抜いてたんですね。それでも、来てやってるんだから有り難がれという姿勢w
ところが、これを許すような甘い観客じゃないんです。(要は気が荒いw)
その観客の気配を肌で感じて、一切手を抜かなかったのは市村正親くん1人でした。
カーテンコールの時に、ハッキリと答えは出ました。
特に大拍手だったわけではないのですが・・・・
1回は(田舎者に見せてやるために?)用意されていたんですね^^;
その時、次々ポーズを決めて出てくる役者さんたちを迎えたのは水を打ったような静けさでした。
そして、市村くんが出てきた時だけは、割れんばかりの大拍手。
いくらなんでも、ハッキリし過ぎですよね?
その場に居合わせた私も、ゾッとしましたからw
これ以降、反省したのか、劇団四季は福岡公演を大事にするようになりました。
話が逸れましたが、竹内まりやさんの時も似たようなことが起きてしまいました。
もちろん、彼女の歌が大好きなファンだからこそ聴きに行っているわけなんですが
ちょうど、当時の彼女は少々天狗になっていた時期だったんですね。
それで、長いコンサートツアーの疲れなんかでワガママになっていて
田舎では手を抜こうという気持ちが、客席にありありと伝わって来ちゃったんです。
困ったことに、当時の福岡の観客は、そこで盛り上げて彼女の気分を高揚させてあげようというような
お洒落な優しいファンじゃなかったんですよ。なにしろ、田舎者なのでw
一目惚れの彼女と私は、それでも手拍子をして盛り上げようという努力をしようとしてたんですが
多勢に無勢・・・少数派を押さえ込むだけの大多数の不満の雰囲気が、会場を包んでしまいました。
彼女、とうとう泣き出してしまって、予定時間より早い終演になってしまいました。
なんだか、後味の悪い感じを今でもジワッと覚えています。
彼女も、いろんな意味で、田舎の洗礼は衝撃であり、成長の糧にもなったことだろうと
せめて、そう思っておきたい、苦い思い出でしたとさ。
とっても素直で「大人気ない」ですか?
思わず大人気ない声援をしたくなる場面ってありますよね。
特に、高校野球は良い意味でそうです。
地方である利点を活かして、大人になることを拒否している風土なのかもしれません。
私も、その一員?w
私、ミュージシャンに成らなくて良かった(^^♪
声援で、思い出すのは高校野球なんですよねぇ
彼らは、観客の為に戦ってる訳じゃないのに、声援したり感動したり大忙しな応援をしちゃいます。
不甲斐ない点差で、負けたチームにも、何故か応援しちゃいます。
以上の点から、博多の人の応援は、素直なのが判ります。
とっても、素直で・・・・です。
「・・・」の所は、ご自由に想像下さい。
勝手だなぁw北京に人たち^^;
いや、正直と言うべきなのでしょうか?w
以前、タイガースとホークスが日本シリーズで対戦した時に
大挙して福岡に押し寄せた、虎ファンの大阪の人たちには
大いに楽しませていただきましたw
あの年は、ホークスがやけに強くて、しかも地元では好調なので
大阪の人たちは、タイガースを応援したり身内ならではの野次を飛ばしたり忙しいw
1番印象に残っているのは、負け試合で腐った態度のオッチャンが
ホークスの応援歌をくちずさんで
「♪われら~の~われらの~・・・って、覚えてもうたやないか?どないしてくれるんや!?」
って、1人ボケ突っ込みをやってて
もう、笑った笑ったw
一緒に楽しむって大事ですよねぇ・・・一体感っていうのかな?
それには、やはりプロとしての努力が必要だと思います。
はいはい、あんなに悩んでたのに、結局MUSEで弾けて安産でしたからねw
慣れてない観客相手なら、尚更腕の見せ所と思うのが本当のプロ根性だと思います。
お膳立てされた、間違いなく素敵なステージじゃないと気持ちよく歌ったり演じたりできないっていうのは
どれだけ優れた才能を持って生まれていても、ライブの適性は無いと思います。
竹内まりやは、声といい生み出す曲といい、枯れない素晴らしい才能が感じられて大好きですが
ライブ向きの人ではないようですね。
無理せず、才能を生かした曲作りを続けてくれれば良いと思っています。
それ、面白いなぁw
大人しく拝聴するのとは、全く違った楽しみ方ですよね。
でも、双方向であることに、ライブならではの醍醐味があって良いなぁ・・・
熱気に包まれた会場って、それだけでワクワクするよね?
なんか携帯配信の芸人コントに投票して、多額の賞金が発生するイベントが始まったらしいんだけど
それって、何だか違うって思う。
一期一会の生の舞台で、失敗ありアドリブありハプニングありの
あらゆる状況に対応しながら磨いてこそ、本当のステージ芸術なんじゃないかなぁ?
リアルタイムの投票で、桁外れの人数の評価を同時に受けても
小劇場の緊迫感の中で育てられたような、本物は生まれて来ない気がします。
(゜ー゜)(。_。)ウンウン
近頃の劇団四季は、なんか企業化しちゃった感じで
劇団ならではの、柔軟な生き物のような気配が無くなってきたよね。
当時は、それはあったんですが、その分、身勝手でもありました。
整然と均質のエンターテインメントよりも、やはりライブの感覚を楽しむには
ワガママで個性的な集団であって欲しいですよね。
ヘタなことすりゃ、こっちも噛み付くぞみたいな、双方の緊迫感がぶつかるのが1番面白いです。
歌舞伎のような、独特の作法があるわけじゃなくても
やはり、地方公演っていうのは、観客の気持ちを掴んで乗せるのが難しいと思います。
乗ってしまえば、どこでも素晴らしいステージになるのでしょうが・・・
その当時の市村君はね、彗星の如く現れていきなり中心人物の役を演じてはいたけれど
まだまだ、知名度は低かったんですよ。
この現象が起きた時は「ジーザス・クライスト・スーパースター」でヘロデ王の役。
そこそこ台詞も多い、重要な役どころだけど主演じゃなかったんです。
それでも、彼が発する役者の香りっていうのは群を抜いた素晴らしさで
それに魅了されればされるほど、他の劇団員のいい加減さが目に付く舞台でw
集団心理を誘発するには、充分な条件だったと思いますw
「博多モン」ならではの身勝手な観賞態度ってのもあるし
田舎者ゆえの、無作法や無知もあるのでしょうが
人前に立つ側の空間も、それを見つめる集団も、一種独特の迫力のある空気を持っています。
教壇に立っても感じます。
プレゼンとかでも感じるでしょ?
鳥肌立つような、集団の迫力w
北京の地元の人と一緒に京劇診た時も、面白くないなぁと思っていると
立って出ていくんだよね^^;もう、他の人邪魔になろうが関係なし
おもしろないわい!って感じで、バタバタと音を立てる感じで。。
オヨヨ。。でした。
大阪人は野次を飛ばしたりするかなぁ。
姉ちゃん、まじめにやんなよ。
わたしはこのコツがつかめない。どちらかと言えば神戸なもんで。。
嫌みにならず、笑いをとりながら、それでいてチクリとやる。
実に自然。
いつも感心する。
実際は、みんな下品なんだけどね^^;;
小さい頃からボケとつっこみの世界で洗礼を受けるそう。
大阪で子育てしていた友人が言ってました。
すべて一長一短。
プロならば、常に客の前でベストを尽くすべき。
お金とってんだもん。
アーティストを前に緊張しながら興奮し
でも、どうしていいか分かんね:(;゙゚'ω゚'):というのもありますがw
手抜きしちゃ~プロじゃないしお金払って来ているお客さんに失礼ですよね。
その点、MUSEは(;´Д`)スッ、スバラスィ ...ハァハァです❤
アマチュアナイトってのがあるんだけど、アマチュアの芸人(コメディアン、歌手、ダンサーetc)の出来が
ヘタクソだとブーイングが出て、舞台から下ろしちゃう。
で、アマチュアに対してだけ、そんな具合なのかと思ってたんだけど
ある日、最後にプロの歌手が出て、その人、練習をサボったのか調子悪いのか
あまり良い出来ではなかったせいか、途中でブーイングの嵐www
最後まで終わらせられなくて、途中で引き上げちゃった。
偶然、それをTVで観てたんだけど、もう呆然www
司会者が 「あんた達、あれ、今のプロって知っててブーイングしたでしょ?」 って言ったら
皆して、うんうん、って肯いて笑ってるのw 怖いわァwww
でも、それぐらいしても良いと思う。
だって、それが出来るってことは、福岡の人の目は厳しいだけじゃあなくて、肥えてるってことなんだもの。
太鼓持ちみたいな人達に囲まれて真実が見えなくなるよりも
ばーんと本当の事が見えたほうが、芸人としてはある意味幸せなんじゃないかなぁ。
今じゃ、スターが出ないシステムをしてて、質の均質化を徹底してるみたいだけど。
質の均質化はサービスとしての方向性は正しいかもしれないけど、ライブ感を味わうには私はちょっと不満足。
地域地域でコンサートなどのイベントでの反応は結構違うとは言いますよね。
アーティストと観客とが良い相互作用をした時は素晴らしい時間になるけど、魔女さまが体験したような時間だと、互いに苦いね。
アーティストの立場に立つと、今はネットなどで地方でのコンサートの評判だってあっという間に広まるから、田舎だから手抜きってのは出来なくなってるんだろうなぁ~
とはいえ、熱心なファンが多く詰め掛けてくる都会や本人の地元のコンサートはまた別物なのだろうけど。
もう1つ、ボクシングを全国で見て来た経験から言うと、「田舎モン」はヤジがヘタ。
ボクシングは、「ヤジが選手を育てる」のだけれど、福岡は田舎者だから主張が「ヘンな奥ゆかしさ」で出来ないのです。ですから、野次が飛ばない。
ときどき飛ぶヤジは「的外れのただの罵り」
やっぱり後楽園のヤジは最高でした。大阪もすばらしかった。
どうなんだろうか。。。全体が魔女様の様な感想で拍手をしなかったんだろうか。
実際手抜きであったろうし、その沈んだ雰囲気はあったと思う。
ただし、芝居慣れしていない、育っていない観客だったのも事実。
「ネームバリュー」のある人に対してのみ、敬意を払う「博多モン」ってのもある。
ワタシが住んでいたのは福岡で、博多でなないから、どうも「博多モン」に対しては
否定的な所ってのがあるわけです。
あの「のぼせもん」ってのに、ヘキヘキしていたわけです(笑