表面と内面?
- カテゴリ:その他
- 2009/02/03 20:07:36
まず余談なのだが、
1月はあまり本を読まず、久しぶりに、ここ何日か本を読んでいる。
そこに、ちょっと人物像が思い浮かべるのに難しい登場人物がいる。
ちなみに読んでいる本は、森博嗣の「恋恋蓮歩の演習」という小説。
小鳥遊 練無(たかなし ねりな)という大学生の、男性が不思議。
読書感想がこの記事の主題ではないので、ここでは内容にふれない。
僕が面白く感じているのは、森博嗣の小説は、人物の性別が、文章としてのトリックに含まれている事。
練無という男性は、日常では一般男性と変わらないし、際立って異質な性癖を持つわけでもないのだが、
女装する。
これが、過去に変質者と呼ばれたような陰湿さがあるわけでもなく、ただ、女性の姿になるのが楽しいだけのようだ。
さて、ようやく、ここから、本題。
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ニコッとタウンでは、時々、女性アバタを使う男性がいる。
最近、男性アバタを使う女性も見かけた。
さて、この人たちは、なにを目指したのだろうか。
少し不思議だ。
凄く不思議なのではなく、少し、というのは、僕も、女性アバタを持ちたい気持ちがあるから。
僕の場合は、「絵を描くのに、男より女を書いた方が楽しい」とか、そういう気分とほぼ同じ。
少し想像を飛躍させて、例えてみる。
自動車を選ぶ時、優雅な曲線を求める人と、無骨な重厚さを求める人がいる。
「女性的」「男性的」といわれる場合も在る。
ハーレーのようなバイクは、女性のヌード写真に組み合わされたりして、男性の象徴、または代理としてのデザインを持っている。
ハーレーが好きな男性は、黒の革ジャンで、野郎共でつるんでツーリングへ行くような人も多くて、
この点から見ると、男っぽい物を持つ男ということか。
世の中には、男だからこそ男っぽい物を選ぶ人と、
男だからこそ、女っぽい物を持ちたい人がいるわけだ。
話をアバタへ戻したい。
多くの人は、きっと、自分の代理、または投影としてのアバタと感じている。
しかし、細かく見ると、自分をそのままアバタに置き換えるわけではないだろう。
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安全対策などで、登録情報を正確に、年齢性別に偽りの無いようにするべきなのだが、
遊びとしてみると、アバタが自分と同じである必要は無い。
コミュニティとしてみると、現実の自分そのままであるべき。
しかし、現実は、もっと混沌としている。
ブログがあって、それとくっついて離れられないアバターは、どうなるんだろう。
ブログを別人格で書いている人は少ないように思えるし、そうなると、アバターも個別のキャラクターを持てない。
もしかして、ニコットにも、架空の人物が住んでたりするかな。
リカちゃんのボーイフレンドの人形は欲しいと思わないけど
男の子のかっこした自分がしゃべってるのをみたら楽しいだろうなあ
むしろ自分とかけ離れてるからこそ楽しいと思うんだけど・・・どうなんだろう
他の人のアバタを見ながら ほんとはどんな人なんだろうなあと
ひとり想像するのもけっこう楽しいです
アバ姿を信じちゃいかんと思う
遊んでいる人たちにとって、リアルの人形遊びは、遊ぶ人間と、人形が、両方見えているからいいけど、ニコッとだと人形だけしか見えないから、そこがちょっと危なっかしいかな。
子どもの頃に、リカちゃん人形で友達と遊んでいた感覚に近いかも(=^∇^=)o
オシャレさせたり、いろんなセリフを言わせたり。
だから、女性にはここの世界はあまり違和感ないかもしれませんね。
スコットランドっぽく、男性用スカートが出る事を夢見る今日この頃。
持ち物にバグパイプも欲しいな。
たまにショップでアバを男性にして服のコーディネイトを考える時があります ( ´艸`)ムププ