あたらしくできた友だち
- カテゴリ:友人
- 2010/04/27 18:52:55
あたらしくできた友だち・・・というと、やはりこのニコットのお友だち、
ということになりそうです。
といいますのは、ワタシの場合は、久し振りにここで、
「お友だちがイベントに訪ねてきてくれた」
「お友だちから〇〇もらって、ガチャ終了」
「お友だちのブログを読んだら・・・」
などと、「お友だち」という呼称を使っての記述を
するようになったからです。
もう長い間、仕事の関係で、どれほど親しく飲んだり、
お家に遊びに行って、そのご家族ともおつき合いするようになっている
間柄のひとであっても、「友人」という呼称はしません。
だいたいが、他者に紹介したり話したりするときには、
「~のとき、知り合ったひと」という説明になります。
それで、不自由がなく、多分、お互いに疎遠な思いをしているわけでも
ないだろうという了解があるように思います。
すんなり「〇〇時代の友だち」と言って、済ませてしまっているのは、
学生のときの「友だち」でしょうか。
中学生くらいまでは、「友だち」との関係で悩んだりもし、
また、「友情とはなんぞや」などと真剣に考えたりもいたしておりました。
で、まあ、ワタシに限らず、あのくらいの年頃の女子にはなんとなく
そういう傾向があるのではないかと思うのですが、
ひとり、ないしは少数の「親友」「友だち」を囲い込んだり、
束縛したりすることをするんだよねー。
今だから思うことだけれど、それは成長の過程で「友だち」というものを
欲しいと思って模索しながらしていた、
「友だちごっこ」だったんじゃないのかなー、なんて。
で、そっからあとは、段階的に、まあ自然体ですね。
そのとき、そのとき、親しくなる機会があるひとと、
機会に恵まれるあいだ、つきあう。
仕事の上でも、面白いと思ったひととは、終わってから
飲みや食事に行けばいいわけだし、メールや手紙を書けばいい。
そこで意気投合したり、本音で話し合えることも、けっこう多い。
こう書いてくると、学生の身分を離れたワタシ、というのは、
「友だち」というコトバを離れてみた関係、
その場に出会うことのできる相手と、そのまま向き合うだけの
関係というのを、探してみたかったんだなあ。
とまれニコタで再び出会う、「お友だち」という言葉は、ワタシには新鮮です。
最初、「去る者は追わず、来る者は拒まず」とここでプロフに掲げていた
ワタシの、「つきあいかた」の発想には、こんな面もあります。
まあ、「お気楽」であるのです~。
今日もおっはー(^◇^)
シゴトの関係で、ケッコー不規則なインなだけでごじゃる(^o^)丿
ふむふむ(^-^)はるどのは、「友だち呼称広義派」とでも
いったものでらっしゃるのですねー
確かに、そのほうが簡単に済ませられる、便利なコトバかも
知れないナア(・o・)
ワタシは、ついつい、「ドコソコで会ったドウイウ人」みたいなふうに
そのひととの最初のナレソメと、その後のつきあいの経過の
紹介をしてしまいます~(゜-゜)メンドウなノリのときは「トモダチ」カモー
ネットの上では、相手の「眼に見える情報」というものがありませんが、
意外に、文章というヤツは、ふだん実際に会っている相手以上に、
そのひとをよく伝えている場合もありますので、
たしかーに、「根を下ろされる」相手というものに、まみえることも
あるでござりませうなあ~(●^o^●)
・・・なんや、コワそうやなあ~(^_^;)
たしかに、「悪口」「噂話」いうのんは、話題として盛り上がるし、
結果、増幅される傾向があるからなー
ウチも、シゴトしてる間は、その一緒に組んでる相手に
どんだけ不満があっても、シゴトしている間は、言わんことにしてるわ~(゜-゜)
でも、そういうことでいえば、女に限らず、男のネットワークでも
そーゆー傾向って、あると思うけどなー(・o・)
人に紹介するときなどは簡単なので「友だちの○○」と言いますが、
自分の中では「○○」であってそれ以上でも以下でもないですね。
物理的な距離などでなかなか会えなくても、
ネット上で知り合って実際には会ったことがなくても、
自分の中に相手が根を下ろしやがったかどうかってところで決まるので
あんまり区別がなかったり(笑)
確かに「友だち」という言葉はオトナになると自分の中から削ぎ落とされていきますな。
我が儘でお気楽というだけな気もしますが、ま、いいやw
これが なかなか厄介なのよ(。◕ˇ_ˇ◕。)ぅぅぅ・
本日もお仕事がんば~(^o^)丿
そうそう(●^o^●)人それぞれで、みんなちがって、
そうしてそれで、いいのよん~♬
ふはは(^◇^)昨晩はワタシも、ワイン飲みながら、
ちと書き過ぎてしもうたあ~
文字数は、これまでの最高ー
ヨッパでは、見ただけでクラクラするやろ~
いつも来て、書き込んでいってくれて、ありがとうなあ(●^o^●)
女の仲間意識ねえ・・・(゜-゜)
うーん。そういえば、独りで行動できへんひとって、
いいオトナになっても、おったりするカナー
人それぞれ^^
常に ご本と向き合っておられるお人のお言葉は なかなかのもんどすにゃ~~たぬきには無理゙〓■●゙ ピクピク
ただ言えるのは 女って何時までも 仲間意識の強い動物のような気がする ・・・
ほほう(^-^)イガイ~に、アキオどのは
照れ屋さんじゃったりするのかのう(イガイが余計だってぇ~)
で、もしかして、近しい人たちと会うとき、あるいはTPOによって、
ちょっとずつ、ご自分のスタイル、変えてらっしゃったりしてー
・・・でもまあ、「親友」というコトバは、たしかに、なかなか
こっ恥ずかしくって、言えませんわなー(#^.^#)
ふむ。そのコトバを細君に冠させたいとなるとー、アキオどののお宅は、
《友だち夫婦》みたいな感じなのかな~(●^o^●)イイナー
そういう点から言うと、ウチのは、さしずめ「戦友」みたいなモンかな~(゜-゜)シビアぢゃー
ははは(^◇^)まあ、なんでも面白いと思ってやってみませう
あ、みっちゃん、わかってくれたー(^◇^)
なんか、交換日記やったり、持ってるもの同じにしたり、
しょっちゅう電話かけあったり、手紙渡しあったり、
そのうち髪型やファッションなんかが似通ってきたりして、
「友だちだよねー」「親友だよねー」とか、やってたよね~
「なかよしグループ」を離れると、不安だったよねー
・・・なーんて、それがあって、今日の、自分の興味関心を大事に
ひとと出会って、相手の都合や考え方を大事にしながら、
お互いの居心地のよさそうな距離感をはかってゆくー、
あと、独り遊びもケッコウできますー、という、
オトナになれてたりして~(^_^;)ふははははは
ニコの「お友だち」と「お気に入り」のあわいさについては、
ワタシも、まるでアイマイのまま過ごしているのであった~(^^ゞ
アキオは正直格好を付けてる部分がそれを言わせない理由でもありますねw
バイク乗りは『仲間』とか子供の頃からの付き合いのある連中は『幼馴染』や『悪友』とか。
一番言いたくないのは『親友』って言葉かな?
今アキオの親友と呼べるのは妻だと思ってるので、そのくらいの感情が無いと言えないかもヽ(*´д`)ノ
まぁニコタの場合は、付き合い続けたい相手を友達と思ってますが
それがイコール友録でもなかったりするのが、かえって面白かったりしてw
昔は、気の合う仲間とグループを作って、「友達だよね」「親友だよね」って、やっていましたw
自分に都合があっても、無理に合わせたりして、孤独が怖かったのかも・・・
今はどうだろう?
独りも良いものですよね。
未だに、ニコの友達とお気に入りの意味がわかりかねる私です。゚(゚^∀^゚)゚。
寛大でオトナなフーイさんに、ちょっと甘えるカタチにて
日々おつきあいさせていただいておりまーす(^^ゞ
ここで、ワタシは、このごろの日常ではあまり出会わない
まだコドモであったり、若い方々にお会いして、
コドモであったときの自分を思い出したりもして、
「あー、こんなにせっかちに友申してくるのは、友だちごっこがしたいんだなー」
と、その制約された、閉塞感のある日常の中での、
強い寂しさや焦燥などを、想ってみないことはありませんー(^_^;)オボエアルナ~
「自然に出来る関係」はやっぱり、オトナの智恵でしょうかなー(・o・)
学生時代の友だちというのは・・・そうですね
やっぱり分けへだてなく会え、お互いに、「よく知ってる」感情に、
屈託なく思い出話に楽しく、悩み事を打ち明けるモードになれますねー(^-^)
今でも、深刻な相談事を泣きながら電話でかけてくる友だち・・・というのは
やっぱり、学生時代の友だちであったりします(゜-゜)
でもまあ、ワタシは、ガッコを卒業してからでも、そんな「友だち以上」の
つきあいを、「友だち」という呼称をあえて選ばなくても、あるんじゃないかな、
と思ったりして、今回のブログを書いてみました(^^ゞ
このニコタで出会えます「お友だち」というのは、
顔も見えず、直接お話したこともないところで、
ワタシにはあらたなる、関係のつくりかたの楽しい試みであります(●^o^●)
・・・コンナワタクシデヨロシケレバ、コレカラモヨロシクネ~(^^ゞ
ニコでは友達登録してあるだけの友達が多々ありますが、
それこそまさに友達ごっこ的な友達になってます^^;
友達登録はしていなくとも自然に出来る関係の方が長続きしますね*
顔を見たことないし、直接お話ししたこともない方々ばかりですが
友達ってそう言うことだけではありませんものね^^
学生時代のお友達も卒業しておとなになって、だんだん会う人も減って来ますが
その中でもいまだに付き合いのある人って本当の友達と言えるでしょうね^^