Nicotto Town


ひまわり畑を眺める一匹猫


死後の世界のお話をいたしましょう。

「あのよぉ・・・」

失礼いたしました。。。



もう死んでしまおうと思った、一昨年の夏。
息子の存在が、それすらも許してくれませんでした。
人の心とは、弱い物なのでしょう。
死を選択してしまいそうになった、私の心も然り。

私の場合の幸運は、息子の存在と私に力を下さった何人かの友。
残念な事に、弱っている私を見て足を引っ張る者も確かにいました。
しかし私は、生きる事を選んだ。

確かに、生きていると辛い事の方が多いのかもしれない。
しかし、生きているからこその幸せも存在する。
多くの困難の中の、ほんの些細な幸せ。
それでもいいじゃないか。
死ぬ事などいつでもできる。
生きていれば嫌でも死は訪れる。
例えほんの些細な幸せでも、自らそれを放棄する事はないだろう。
1年半かけて、そう思えるようになった。

それでも悲しみは、時間を置いて訪れるのです。
しかし私は、2度と死を選択する事はもう有り得ない。
どんなに生きたくても、それを選択する事を許されたかった
私の一番大切な人のためにも。

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2009/02/09 23:22
廉さん
確かに!普通に生きてることって当たり前に思ってしまいますね。
しかし実は生きてるだけでとても特別な事なんです。
そう思うようになりましたねぇ。

はい、私の中の「絶対」は私の残りの人生のテーマです。
揺ぎ無い「絶対」のために生きてゆこうと思っています。
強さと言うよりも、もしかするとそれにぶら下がって生きてゆくのかもしれませんねどね。。。
廉さんも、そんな揺ぎ無い「絶対」をお持ちなのではないですか?
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2009/02/09 23:13
KINACOさん
確かに死んでしまった方が楽だなぁって思うこともあります。
しかし、生きる喜びってのは死んでしまったらもう2度と味わえません。
死んでしまうのはいつでも出来るし、人はいつか必ず死ぬのです。
死ぬなんて事は、わざわざしなくてもいいんじゃないかと。
そう思うようになったんですね。。。

私も「はいはい」とバスに乗りたいところですが、息子がまだ小さいもので・・・
とりあえずお迎えが来ても、最後まで抵抗したいと思ってます。
せめて息子が成人するまで・・・。
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2009/02/09 01:54
「死」は意識にまとわり付くけれど、
「生」は意識しようとしなければ存在を忘れてしまうものなのだと思います。

もう決して死を選択しないと言い切れることが、
猫さんにとって真実なんですね。
自分の中に決して揺らがない「絶対」があれば、
それだけで強さが生まれるものではないのかなぁ・・・と最近思うのです。
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2009/02/08 12:51
生きてる方が大変か、死んだ方が楽か、
死んで花実が咲くもんかっともいうし、よくわかんない。
死ぬ勇気、死なない勇気、それもよくわかんない。

お迎えがくれば、「はいはい」といい、そのバスに乗せてくれなきゃそれも
「はいはい」ということにします。
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2009/02/08 11:18
くぅみんさん
まぁ辿り着いたと言いますか、いろいろな考えや周りの方の力によって押し出されてきたって感じですねぇ。
本当にありがたい事です。

>私達がこうして生きている今日は 誰かが生きたかった明日なんですね。
その事だけ、くぅみんさんに覚えていてくだされば私はとっても幸せです。
誰も皆「まだまだ」ですよ。
「まだまだ」道を歩いてゆくのが人生かな・・・なーんてな。
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2009/02/08 11:13
紫苑さん
本当にその通りですね。
ただ、本人がいくらそれを選び、願ったとしても、叶わない事があるんです。
まぁ、いろいろ辛いですが・・・。
紫苑さんのコメント、元気を貰いましたよ!
どうもありがとう。。。
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2009/02/08 10:32
本当に・・・ 
そんな思いにまで辿り着くには どんな痛い思いをされたのかなぁ(涙)

「今」の猫さんは 今までの猫さんの結晶なんですね
私達がこうして生きている今日は 誰かが生きたかった明日なんですね。
大切に生きたいです。 まだまだ まだまだですけど・・・
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2009/02/08 10:13
生きることなんて誰が選ぶ事じゃない
自分が選ぶんです!!
誰になんと言われようが自分の道を進め!
             って思ってます!!!



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