天使の写真
- カテゴリ:人生
- 2009/02/08 14:32:40
写真家である長倉洋海さんの講演を聴きに行った時の話だ。
彼は内戦すさまじい国々の子どもたちの写真も撮っている。
スライドで現れる写真の中で、ひときわ目を引いたのが
色とりどりの花の中で眠る赤ちゃんの写真だ。
打ち出しのコンクリートの壁を背景に、穏やかで可愛い天使のような生後3か月ほどの赤ちゃん。
難民キャンプの寒い朝に突然亡くなった。幼い命を襲う突然死。
高い網などで、隔離されて、不自由な物資で生活している彼らに
花など買う余裕もないし、また、買う手出てもないだろう。
同じキャンプに住む、子どもだちが次々に花を手に現れては
赤ちゃんの周りに置いていく。
子どもたちは、キャンプを囲む網のわずかな隙間から外にはい出て
遠くの野原に咲く花を摘んで戻ってくるのだ。
瞬く間に、赤ちゃんの小さな体は花で埋まった。
子どもたちは赤ちゃんの死を悼み、自分たちに何ができるのか考えて
行動を起こしたのだろう。
吐く息が白い朝、服を泥んこして、網の先にズボンがひっかかたり
したのかもしれない。野原に走っていく小さい背中が見えるようだ。
あまりにも早く逝ってしまった命を嘆く、赤ちゃんのご両親は
どんなにか慰められたことだろう。
朝の青い光が花に埋もれた赤ちゃんを包み込む。
難民キャンプで育つ子どもたちは、多くの不自由を抱えているが
可哀想で特別な存在ではないのだ。その環境で一生懸命生に
学びながら生きている。
長倉さんはそう付け加えた。
コメントありがとうございます。
本当にそう思います。
一生懸命になるのをためらいがちな昨今、
たぶん、それに見合う報酬を期待してしまうのでしょうね。
キブアンドテイク、ビジネス感覚で何でも考えてしまう癖が
わたしたちには根強く浸透しています。
子どもたちの無償の行為に胸打たれるのは
その顕れであるように思えます。
それは非常に価値があることだと思います。
一所懸命に生きるとはそういうことだと思いました。
コメントありがとうね^^
だいぶん、気分よくなったのかな^^;;
難民キャンプだから、子どもたち自身の事情もいろいろ
あるでしょうね。ほとんど父親不在だったり、身内を亡くしたり
食料も満足ではないかもしれません。
それでも憐みの心を持っているのは、すばらしいことです。
アフガニスタンの子どもたちは何を欲しがるかといえば
胸にさしているボールペンをさすそうです。
鉛筆が欲しいの。勉強したいんです。
不遇な状況にいる子どもたちに
ちゃんとした教育をさせてあげたいね。
未来に夢が持てるように…。
毎日のように不条理な死を見ているはずなのに、命が消えることが日常にはならないのですね。
なんてやさしい輝く魂なのでしょう。
そんな子供達の未来が少しでも明るい方向に向かうよう祈らずにはいられません。
コメントありがとうございます。
なくしたものがなんなのか、不幸とは思わないけれど
大事なものを置き忘れてきた感じは、あるかもしれません。
本当は我々の方が不幸なのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
そうですよね。単純な答えが政治という
ややこしい言葉にすり替えら為
本当に人々が望むものを
見えなくしてしまいました。
コメントありがとうございます。
はかない命でもたくさんの愛に包まれていたように思え
痛々しくもありますが、不幸な命ではなかったと。
生まれてきた限りは、食べることや愛情を一度でも
その肌に感じさせてあげたいと願ってやみません。
泣くことすらできぬまま飢餓の中で亡くなっていく
アフリカ諸国の子どもたいがいる現実もあり
見なければ見ないで済みますが、時々、考えて
みます。何もできないけれど、何も知らないと
選択肢すら持てないと、自分に言い聞かせながら。
コメントありがとうございます。
今ある世界は複雑で、いろんな事情が
絡んでいます。国を思って立ち上がった
紛争もどこかで何かに利用され、弱い者
ばかりが被害に遭ってしまいます。
どうすればいいのか…。
まずは、知っておかなければ、と思ったり
します。
コメントありがとうございます^^
人は環境で左右されながら生きています。
その大部分は仕方のないことです。
一応、食うに困らない生活をしている私達も
それなり、悩み苦しんだりしています。
でも、レベルの違いに、人が生きていくうえでの
豊かさとは何だろうという、疑問が見えてきます。
戦争のない世界は、残念ながら実現していませんが、
自分の命や、子供や親や、大切な人たちの命を失ってまで
戦う理由があるのでしょうか。
難しいようで、答えはきっとシンプルな気がします。
コメントありがとうございます。
細部は忘れたのですが、長倉さんは赤ちゃんのお父さんに
頼まれたのだそうです。
生きているうちは写真の一枚も撮ってやれなかったから
最期に一枚撮ってくれないだろうか…と。
そうしているうちに、子どもたちが花を手に次々とやってきたの
だそうです。
あ、まだ、足りないねとか、行って駈け出して行くのだと。
長倉さんの目も潤んでおられました。
一生懸命に生きている人には
教えられることが多いものですね^^
コメントありがとうございます。
生きるのは大変です。弱者と呼ばれる人が弱いとは
限らないのが現実だと思います。
すべてを奪いにくる逞しさは経験した人にしか
わからないものでしょうね^^;;
わたしも可哀想だとは思わないのです。
ただ、子どもに関しては、違うように思います。
ちゃんとした教育を受けさせてあげることが
できるのならば、未来も変わってくると。
ただ、飢餓の問題にしろ、それが収まると
人口増加をどう食い止めるかなどが
出てきて、人類の未来はどこまでいっても
問題づくしのような気がします^^;
世界は広いようで狭く、いいことにしろ
悪いことにしろ、どこかで複雑に繋がって
います。選択肢を広げることとして
わたしはいろんな情報を知りたいと思っています。
コメントありがとうございます。
どこかおかしいくらい不公平です。
綺麗事で解決できることは何ひとつ
ありません。現実はとても厳しいものです。
そんな中で、天に召される花に埋もれた赤ちゃんの
天使のような姿の写真に、姿こそないけれど
質素な身なりで寒さに堪え、往復1時間はかかる
野原に花を摘みにいった子どもたちに
人の根源的な優しさを見たような気になりました。
柔らかな淡い花に包まれた姿は
哀しく、痛々しく、
厳粛な美しさに満ちて心に響いてきたのです。
コメントありがとうございます。
世界にはまだまだ残酷ともいえる現状で
苦しんでいる子どもたちがいっぱいいます。
そのすべてに目を向けることもできず
知れば知るほど、痛ましいことだらけです。
知らなければよかったと思えることも
あります。
でも、同時代に生きる人々の姿でもあります。
ほんの少しだけ、考えてみるのも、情報が
得ることができなかった時代を思えば
とても有益なことではないかと、思ったりします。
コメントありがとうね^^
寒い地域の粗末な住居だからね。
施設が整っていれば、早期発見は可能だったかも
しれませんね。
でも、この赤ちゃんは不幸せだったとは思えないの。
僅かな期間でもご両親に愛され、その嘆きを見て
子どもたちが花を摘んできてくれた。
最初は何もなかったそうです。着ぐるみだけの小さな体。
難民キャンプの周りには花など咲いておらず
ずっと、ずっと先の子どもの足で30分以上かかる野原へ
息も凍るような寒い朝に、防寒もままならない服で
金網の隙間をくぐり抜け、往復1時間以上の道のりを花を
抱えて走って戻ってくる。
自分よりも小さい命を悼む優しさを持っている。
それは、周囲の大人が教えているのでしょうね。
豊かさとは何か、物と引き換えに失いつつあるものを
考えさせらえます。
コメントありがとうございます。
情報と生に肌で感じるのでは青天霹靂のごとく
違うのだと思います。情報も操作可能ですしね。
でも、やはり危険地帯にはごく普通の人は行けません
もんね^^;
映画とかでも、いろいろ考えさせられることが
あります。
もしかしたら、ずっと先に何かできることがあるかも
しれない、そんな選択の為と、同時代に生きていいるので
できるだけ知っておきたい、そんな思いもわたしには
あるのです。
でも、毎日考えているわけではありません^^;;
できる範囲で…^^;;
スライド会場が暗かったので、ボロボロ泣いているのが
気付かれにくく、ホッとしました。ハンカチで拭うと
お化粧がよれて、後でエライことに…。妙齢??女性
は綺麗に泣かないと、あとが大変( ̄□||||!!
なのです…。
コメントありがとうね^^
たぶん、幼少期、外国文学ばかり読んでいて憧れてたんです。
遠い異国に。その頃は貧乏で行けるなんて思いもしなかったけど
ある時から、ひょこひょこと行けるようになりました。
人生って不思議、というか、強く望んでいたから
異国への扉がずっと先で開いたのかもしれません。←勝手な思い込み^^;;
それで、人ってどこに行っても、そんな変わらないんです。
みんなおんなじだ~って分かりました。
違いは個人で、いい人も悪い人も個人の問題。
ただ、日本でもそうだけど、
わたしの経験では、地位とかそこそこステータスのある人ほど
学ぶべき部分が、たぶんわたしがアホなのかもしれませんが
見つけにくい場合が多いのです。
底辺と呼ばれる人、弱者である子どもなんかに
強く惹かれるケースが多い気がするのです。
そして、到底解決できない様々な問題を垣間見て
己の非力さを感じます。
ただ、世界は広く、個として生きるのも、恵まれているとはいえ
大変です。空いた時間、ぽっこりと考えたり、選択できる何かが
あれば少しだけかかわったり、その程度しかできません。
でも、やっぱり知らないとね、何も選択できないからね。
わたしもニコッとしてる~^^;;
ニコッとはどんなコミュニケーションサイトになっていくのか
それが楽しみでもあります。
今の生活でさえ満足しきっていない自分がとても愚かに思えます。
何もできなくても、ただそういう子供がひとりでもいなくなるように。
祈りたいと強く、思います…。
子供に罪はありません。
「人事だ」と言えないと知っていながら、
何もしない自分が情けない~
食には困ることのない環境で生活している私には、
想像するしかできませんが、
私が思っているよりも、きっと彼等は彼等なりに幸せを考えて
過ごしているのでしょうね。
こういう話を聞くと、自分がいかに無力なのかと痛感します。
写真という形で残すことで、その子が存在した
証を残し、またそういった現実を周りに伝えている
とはいえ、そういった写真をとるのは辛いことだと
思います。
また、子供たちや、大人たちもそういった場面と
直面しているからこそ、純粋に生きることや学ぶ
こと、遊ぶことに一生懸命になれ、また楽しめる
のかな、と思います。
1日1食しか食べられない人々もいます。おかずは干し魚だけです。
町にでれば、最近は物乞いも多いです。
手助けはしたいのですが、限りがあります。
下手に助けると、身包みはがすような勢いでたかられます。
そもそもの思考の組み立て方も違うので、大変です。
長倉さんのおっしゃるように、可哀想で特別な存在ではないのです。
これは、一朝一夕に考えられない問題です。
ただ、アッシュさんの言うように、折に触れ考えることは大切です。
今この瞬間にも、この世を去る人は大勢います。
飢え、病気、怪我、事故、殺人、戦争・・・
当たり前といえば、当たり前。
ただ、それをそのままに、心の前を素通りさせるかどうかです。
折に触れ、考えることは必要だと思います。
世界にはたた3か月の命で
幕を閉じてしまうかなしいことが起きてるというのに・・・。
改めて色々考えさせられました。
物資さえあれば今からの人生だったはず。
難民キャンプで過ごしている子供達が、
生まれた幼いときから死がどういう事かを受け入れてる。
嫌でも受け入れなければいけない環境やから。
平和で豊かな国日本の子供達の中に、
今、一体どれだけの子供達が死を悼み悲しみ理解することができるんやろうね。
難民キャンプで生活する人達は今を生きていくために必死。
でもどんなに豊かな国の人達よりも、
豊かな心を持ってる…そう思うよ。
楽して、暮らしていて幸せなんだろうって思います。
日本に暮らしているとこういう情報はTV・ラジオ・新聞・ネットなんかで
いくらでも知る事出来るし、いわゆる疑似体験をしている、でも
実際に何が出来るか?って思うと自分の無力さを痛感します。
それにもし自分が実際にこういう場面に直面した場合に何が出来るか、
今は想像もつかない。ただ花を拾ってくる事も・・・
長倉さんの体験談・講演はきっと黒猫手毬さんの心に何かを残したん
でしょうね。
とっても素晴らしいと思います(o^-^o)
そして、いつもハッとさせられます(〃´・ω・`)ゞ
今、この時も苦しんでいる人たちは大勢いるんですよね。。
日本にいると、安全で豊かで...完全に平和ボケ。。
生きられることだけでも幸せなのに、欲深くなっている自分。。
こういうお話を聞くと、自分が恥ずかしくなります。。(*´ェ`*)
ニコッとなんかしちゃってるし(=ω=。)