「こうありたいと思う自分」と「地の自分」
- カテゴリ:日記
- 2010/05/28 00:54:42
「人前では「素敵な、良い自分」を演じようとしてうまれる第1印象。
演じる努力をしていない、地の自分をさらけ出した結果生まれる別の姿。
どちらもその人間そのものの姿だと思う。両方の姿を持ってるんだなと、理解することが大切。」とのブログでの発言に、「実際のところ謙作さんは理解できているのでしょうか?」という厳しいコメントがありました。
私たちは「こうありたいと思う自分」と「今までの人生のなかで形成されてきた普段の姿の自分」の二つの自分の間を行ったり来たりしているのだと思う。この事実については理解しているつもり。
でも、相手が地の自分をさらけ出して対応してきたときには、困って、対応に戸惑うことは当然ある。たまたま自分の気分が斜めのときには、相手の不快な言動に対し、つい売り言葉に買い言葉で応じてしまうことになってしまうことは何度もありますね。夫婦関係では頻繁にありますよ。
「こうありたいと思う自分」と「地の自分」を行き来しながらも、「こうありたいと思う自分」に向かって歩み続けるしかないのでしょうね、きっと。

























「いつもいつもこ「こうあらねば・・・」と思うと自分も窮屈ですし」
まったく同感です。
相性があって、地でいっても、相手が気にならないことも大いにあるでしょう。
その場合は気にせず地で行っていいと思いますよ。
しかし、別の相手にとっては我慢ならないことってありますよね。
自分の地の言動が相手にどういう影響を与えているかを察する努力は必要とおもう。
人間関係は相手あってのことだから、この視点は必要でしょう。
だから相性が会わない人とは接触の時間を減らせばいいとおもう、もし可能なら。
でも、上司との関係とか、夫婦関係とかとなると、関係から逃げ出せないから、難しい。
アーシェさんが言うように、「夫婦の場合は「ありのままの」自分を受け入れてもらい」
とは簡単いかない場合があるとおもう。
お互いが不完全な人間であり、相手に不愉快な思いをさせているかもしれないという前提を合意した上で、「特に、あなたのxxの言動は変えてほしい」といった会話ができればいいのでしょうね。
もちろん欠点は直したいとは思いますが
いつもいつもこ「こうあらねば・・・」と思うと自分も窮屈ですし
他人の欠点も許せないような気がするのですw
とくに夫婦の場合は「ありのままの」自分を受け入れてもらい
同時に「ありのままの」相手も受け入れる、って大事なような、自然のような気がしますが・・・
うちも夫とは地で張り合い喧嘩になります。(前にも書いたかな)
こうありたい自分と普段の自分とは、ものすごく大きなギャップがあるけれど、
謙作さんの言うとおり、こうありたいという気持ちは、あきらめてはいけないですよね。
夫とは・・・地を見せつつ、親しい仲にも礼儀ありを忘れないようにしなくちゃと
思いマス。(いつも忘れている)
謙作さんの記事が、毎回楽しみになってきました^^
普段、心の奥にしまっているけれど、悩んでいること、がテーマになっていて!
前向きな気持ちになれます。
今回の記事も考えさせられる内容ですね・・・
「こうありたいと思う自分」と「地の自分」
私は両方を行き来する過程で、そのギャップに葛藤が生まれることもあります・・・
でも、無理に地を出そうとせず、「こうありたいと思う自分」に向かって歩み続けることで、考え、習慣、行動の変化が出てきたら良いのかなって、思えました!
そして、cocoさんへのコメント・・・
>そう、人間関係って、相互関係なんですね。
>だからどちらかが、ポジティブな関係の連鎖を生み出すことが大切。
>相手の反応を見て、と構えると、ネガティブな関係の連鎖になってしまうことに。
こちらにも、はっとさせられました。
ポジティブな関係の連鎖を生み出すこと!自分の課題にしたいなって思います!!
「まったく知らない方なのに、ここでは、素直に甘えられます。」って素晴らしいことですね。
「人に棘があると思われるのが地の自分ということでしょうか…」
僕は正直な、コメントを大歓迎で、嬉しく受け止めたんですよ。
正直なコメントで、面白い議論が生まれますから。
コメントありがとう。
「地の自分…じゃなくて、いじわるな自分が登場しちゃう。」
「本当は、「こうありたい!!」って思ってる自分なんだもん。」
すごく正直な表現で気に入りました。
そうですね、基本的に私たちはこうありたいと思ってますよね。
ところが、相手の出方で、「いじわるな自分が登場しちゃう。」
そう、人間関係って、相互関係なんですね。
だからどちらかが、ポジティブな関係の連鎖を生み出すことが大切。
相手の反応を見て、と構えると、ネガティブな関係の連鎖になってしまうことに。
私は結構発言に棘があると言われますが…
棘があるつもりはないのが理想の自分で、
人に棘があると思われるのが地の自分ということでしょうか…
この話は、基準をどこに置くかによって定義も変わってくるし、理想か地のどちらを基準にするかによってもだいぶ話も意見も違ってくるので私の先のコメントが失礼な感じになっていたら本当に申し訳ないです。
基準や定義の話になるとそもそものこの話が成り立たないのでそのコメントもあくまでも自分のコメントのフォローとして受取っていただけると助かります。
と今回は素敵な理想の自分のためにフォローするだけのコメントで終わります。
お仕事、大変ですね。
私は、比較的、あまり変わらないかも・・・
でも、ブログの自分のほうが、素直になれているかも。
うーん。素直に接することが、できる人が、たくさんいたら楽ですね。
まったく知らない方なのに、ここでは、素直に甘えられます。
感謝してます。
今日も、お仕事 がんばってください。
なるほど~っと思い拝見しました。。
でも…「こうありたいと思う自分」プラスアルファで、
相手にもそれを求めたりしませんか?
こうあってほしい…みたいな。。
私はある気がする。
こうありたいって思ってるのに、、
たとえば「こんな夫婦になりたい!!」みたいな、、
でも、相手がそれに答えてくれなかったりすると、
地の自分…じゃなくて、いじわるな自分が登場しちゃう。。
地の自分って表現は違う気がする。
“地”ってゆうのは本当の姿みたいで、、本当ではない…っと思う。
だって本当は、「こうありたい!!」って思ってる自分なんだもん。
う~ん><;
なんかわからなくなってしまいましたm(__)m
また…出直してきます(~_~;)