嫌いになれたら
- カテゴリ:日記
- 2010/06/20 16:24:36
去年の今頃だったか・・・いや、もう少し前、5月の末頃に
人を嫌いになるのは難しいというブログを書いた覚えがあります。
苦手な高湿度の時期を前にしたこの頃は、毎年、私にとっては物思う季節なのかもしれません。
好みのレベルでの好き嫌いや、苦手意識は、誰にでも日常的にあるでしょうし
もちろん、私も、日々そんな気持ちが生まれては消える繰り返しの中で生きています。
ただ、やはり本当に人を嫌いになるということは、大変なエネルギーが必要な気がするし
それまでに築いた、その人もどこかで関っているはずの人間関係に歪みが生じるという
とてつもなく気が重いリスクを伴うので、本能的に避けている面もあるのだと思います。
だから、積極的に誰かを嫌いになるということは、出来る限りしたくないし
とても難しいことなのだと思います。
でも、人は日常を大きく外れるような大変な場面で、激しく人を嫌うことで
自分の精神を守ろうとする時も確かにあるのです。
それは、例えば幼い子供や、あるいは思春期という段階を迎えた子供が
ある日突然「みんな、大っ嫌い!」という気持ちに支配される時の感覚でしょうか。
本当に一時的にですが、少し楽になって、自分の殻の中で考える時間が得られる
「みんな、大っ嫌い!」の一言を、大人だって、時には発したくなるのです。
誰かを嫌いになるのに充分な理由なんて、1つも持ち合わせていない時でさえ
たまに、そんな気持ちで楽になりたいと思っている自分を、頼りないやつだと思ってみたり・・・・
2000歳の大魔女であると豪語しておきながら、心の器は、とてもちっぽけですw
今、中坊たちを見てて思うのは「よく我慢してるなぁ」ってことです。
よく、我慢が足りないって、強面の先生方から雷を落とされていますが
あれだけがんじがらめの環境の中で、頑張ってれば、もう充分だろうと思ったりしますw
思春期の好き嫌いって、自分の立ち居地を探ってるんでしょうね。
だから、時に、どうしちゃったのかと周りが呆れるほど激しかったりする。
だって、これから先の自分の一生の立場のベースを決めようとしているわけですから。
実際は、そんなに必死にならなくても、気の持ちようで修正できるのだという
当たり前の事を、笑顔で伝えてやれる、余裕のある大人が必要だと思ったりします。
残念ながら、私には、そこまでの余裕がありません><
気持ちに余裕がある時って、好き嫌いって、あんまり気にならなかったりするじゃないですか。
心身ともに、しんどい時には、好きはたまらなく好きであり、嫌いはどうしようもなく嫌いとなる^^;
時々思うんですが、例の遺憾メンバーの中では(まさか入ってないとは思ってないよね?w)
おおくまさんが1番、見た目の当たりは穏やかで
その実、内に秘めた向こうっ気の強さも1番なんじゃないかと・・・・
1番向こうっ気の強そうな、KINACOやくーるがビビッちゃった時点で
それではと、おもむろに起死回生の名案を出して、バシッと障害を振り払ってくれそうで
ちょっと期待しちゃってます♪
地獄ツアーの時には、ぜひお気楽にお付き合いください。
イザと言う時のためにいてくれないと困ります。
だって、私はたぶん、脱兎の如く逃げますから=3
え?手を繋いどく?照れるなぁ・・・(/▽\*)
「エネルギーの無駄使い」っていう表現はねぇ
奇しくも、私が長男をなだめる時に良く使う表現なんですよ^^
それくらい、エネルギーを爆発させて人との関係を考えるのよねぇ・・・・
若さと、人の良さなんだと思います。
ずるくなってはいけないけど、賢くはならなきゃね。
エネルギー配分も、限りある命の中では大切なことですから。
くーるもお人よしだから、時々、人のために使いすぎたエネルギーを充填する時間が必要なんだね^^
KINACOと朱華も充電中なのかな?
私は、充電が下手くそなので、いつでもゲージがフルになっていませんw
携帯用の充電器を持ち歩きたい気分ですw
あの、一瞬でも人を嫌いと思ってしまった時の
ほろ苦い心の痛みは何なんでしょうねぇ・・・
やっぱり、自分自身の弱点を垣間見ることでもあるからかしら?
たぶんね、黒猫さんも私も(また、同列に並べて失礼だとは思いますが^^;)
人の行動については、敏感に「それは無いでしょう!?」と思っちゃう方なんだと思います。
そして、その直後に「いや、この位置からは見えない事情があってそうなったのかもしれない。」
「間違った行動に見えたのは、自分の誤解かもしれない。」と検証を始めるw
もう、記憶の彼方に押しやってしまった若気の至りを、経験値として心の底に抱えているのでしょうねw
行動を伴わない、印象に対する好みの問題は
年の功で、サラリと諦められるようになりましたよね?^^;
これが、1番仕方なくて寂しいけど、生きやすくするには必要な選択ですからw
うん、究極そこに辿り着くのかもしれないよね?w
とりあえず嫌って拒否してみて、省エネルギーで無関心になり、安息の忘却へ・・・
健康な心の動きなのかもしれません。
姉さんは、器が小さいのではなく、気持ちが優しいのだと思います。
優しいから、人にも感情移入してしまいがちなので
余計に腹が立ったりするのかも・・・
いつも、ブログを拝読して思っています。
邪悪を気取りながら、人の良さを露呈してしまうのは
たぶん、私以上かとw
だいたいHNに魔とか鬼とか黒とか入れてるのは、善良な小心者の証拠みたいなもんでしょ?w
思春期に思う「みんな大っきらい」かぁ~
う~ん、嫌いって言うか、なんかうまくいかなくて自分だけが違うんだ!
違うのは悪くないんだ!
ほっといてくれ~みたいのはあったな。
一見仲良く見える感じに行動はともにしているけど、それはたとえば部活だったり、何かの活動だったりの事情で、個人的には相手を好んでいるわけじゃない、みたいな苦しい思いってあったなぁ~
大人になってからはあまりそういう思いをしないようになったのは、たぶんそこまで深く(長く?)付き合う必要が無くなったからかもしれない。
学校って、行かなきゃいけないし、行けば苦手な級友や部活の仲間との関わりも持たなきゃいけない。
しかも一日の大半は学校だったし。
一人で自分の殻にこもってしばらくいろんな感情を整理してリセットしたい、って思うのは、きっと世代に関係ないですよ。
うん、2000年に生きてたってやっぱり時々リセットは必要なんじゃない?
そうそう、それと私はバケツさんの紹介した考え方のネガティブヴァージョン(汗)をいつも思ってます。
自分が「大嫌い」とか「理解できない!」とネガティブな感情を相手に持っている時は、相手も私に対して同じ思いを抱いているだろうって。
「大嫌い」同士なら離れればいいだけだし、「理解できない」時は歩み寄れる可能性を考える……ただしすぐじゃなくて、自分の中のリセットが終わってからね。
経営コンサルタントのシスコン兄が、同じことを良く言いますw
我さえ良ければというのは、一時的な満足は得られても虚しいし
自己犠牲の精神も、ドーパミンは出まくりますがw一種の自己満足に過ぎませんからねぇ・・・
バケツさんは、たぶん大器晩成型ですよ(⌒^⌒)b
器の置き場所が、ちょっと個性的すぎて、うまく物が入らないじゃないですか?
私の器はちっちゃいですwだから、邪悪な魔女なのよ(ΦωΦ)フフフ…
>bジェーンさん
気持ちを捕らわれる苦しさっていうのは、誰でも一度は経験してしまうことのようですね^^;
大体は、捕らわれている自分の虚しさや、大きな無駄に気づいて乗り越えますが・・・
なんだろうなぁ・・・?
もしかしたら、自由を欲する気持ちから自由になれたら、本当に自由なのかもしれない・・・
あれ?ややこしくなってきたぞw
嫌いになるのが怖いというのも、ちょっと不思議な感覚ですが
ひょっとすると、嫌いになれない根っこは、それなのかもしれませんね。
ということは、やっぱり自己防衛?
苦手意識と嫌悪感は、かなり違うような気もしています。
若い頃のほうが、経験が浅い分、耐性も低いのか
はっきりした嫌悪感というものを持ちやすいような気がしますね。
だんだん、そういうのって消えてきます。
でも、苦手意識だけは、結構いくつになってもありますよねw
>ゐっきゅぅさん
そうですねぇ・・・たしかに、完全なリラックスの状態は
自分で努力しないと得られないという環境が、長年続いているのがしんどいのかもしれません。
いつも何かが頭の隅にあるというのでは、だんだん澱が溜まっていきますよね?
そうして余裕の無くなった心は、許容範囲が狭くなるw
そうそう、激情に駆られることって滅多に無いんですが
たまに、そういうことがあると、漏れなく自己嫌悪という付録がついてきますよね?^^;
まず、嫌いな人に使うエネルギーが勿体無いんです。
その人の事を考えたりするのもイヤ。
そんな時間があるのなら好きな人の事を考えていたい。
まぁ、なんというか、チョー我儘なんですw
アタシは 「みんな大嫌い」 にはなりませんが、その代わりに、引き篭もりになります。
多分、それが魔女様の言う、一時的な 「みんな大嫌い」状態なんだと思います。
好きな人でも、ごめんねー、今はちょっと無理~、と心の中で謝りつつ
突然連絡を断ってしまうんです。
実は仲の良い人達は心得たもので、「あーまたクールのおこもりが始まったよ。」
と解ってくれています。 だから、それに甘えているのかもしれませんが・・・ 汗
それを用心深さでカバーしている感じでしょうか。
だから「大嫌いだ!」と思って心の中で感情が爆発した後
コロリと、でもなぁ。。。と、その人の事情を想って
いろいろとあるなぁ。。と。
結果的にあっさりと嫌いを撤回するのです。
嫌いだ、という強い感情やひっかかりの部分に
自分のこだわりのような、弱点が潜んでいたりするんですよね。
うん。でも人だから^^
好き嫌いはあるものね。
仕方ないや。
それで片づけることにしています。
少々、心痛みながら。。
自分が寄っても、報われぬ、のは時に、自分自身を破壊しかねぬものであり。
そのやりきれなさを、キライ、と変換することで自己防衛を図るのだと思われます。
キライ、になったネット元友人達。
いまだに!!! キライですが。
正直に言えば、無関心になった、のほうが近いですw
これも時流、という良薬と。
自己防衛の賜物でしょう。
無関心であれば、怒りもなく。
疎ましき、思い出が薄れて行くのを任せるのみ。。。
忘却って。
最高の薬だぁなぁ。。。(=ω=)”
ワテクシの器はナノ単位。。。★♪ヾ( ̄∇ ̄)ノ⌒★自慢にならねーーーっ!
思った時期がありました。もう乗り越えましたけど・・^^
人間関係と自分の気持ちの持ちようって難しいです。
I'm OK. you're OK. という言葉(心の持ち方)というのがあります。
(私を含めた)すべての人が「OK」である精神状態が「精神的に健康である」という・・・
・・・またややこしい話を出してしまいました orz
僕も自分で、器ちっさいと時々思いますwww
みんなそんなもん♪
そういう事がありますよ。
ココロ・感情をもってるからこそ、人にイラッとして
「もーーーー!!!!!」ってなりますよね。
で、「何であんな怒ったんだろう。」プチ自己嫌悪したり。
たまには、リラックスして何も考えず過ごしてみたら如何でしょう?
ちょっと似た感覚をもっているような気がするので…。
色んな人と出会いますが、嫌いになるのが、怖いんですよ。
修復出来なくなると精神的にきついです。
それが嫌なので、この人は嫌いじゃないんだから~と思うのでしょうね。