【どうも、マイニチワ!】ブログイベント
- カテゴリ:イベント
- 2009/02/15 11:45:12
観客とは違う、遠い立場から眺める。
キャラクターを作るってどういうことか、
番組を作るってどういうことか。
マイニチワワは、チワワである必要があったのか。
これが女性タレントのままであった場合、「挑戦」が、より現実のものとして伝わる。
遊んでいるだけでも、実際に遊んでいることになる。
これは単純明快だから、それでいい。
じゃあ、
マイニチワワが、完全に架空のキャラクタとしてのチワワだったら、どうだろう。
タレントの顔を出さず、すべて気ぐるみに覆われたら。
まず、生の声が出せなくなる。
「まんま」などのようにしゃべらず、パントマイムに近づいてゆくか、
「ガチャピン」のように、別人、または、アフレコになる。
こうなると、転がって叫ぶというようなことは、できない。
「挑戦」して、キャーキャー声を出すから面白いのであって、アフレコでは事実から遠ざかる。
架空の世界としての純度が高まる分、「空を飛ぶことも、湖の水を飲み干すことも」できるようになる。
ガチャピンが驚異的な挑戦をしていても、この場合、「中身」が入れ替わるとか、そうした暗黙の了解がある。
だから、
スキーの驚異的滑降も、
スキューバダイビングも、
基本はできて当然。
その上に立って、映画のように、感情移入する。
マイニチワワは、微妙な位置にいる。
気ぐるみを着ていないと、少数の男性ファンが楽しむものになるし、気ぐるみキャラでは、架空の世界を作りこまなければならない。
マイニチワの趣旨は、毎日の小さな挑戦を見て、楽しい気分になること。
作っている人たちが自覚しているかどうかわからないが、
実は、かなり難易度の高い番組を作っている。
失敗すると、やってる本人が楽しいだけで、見ている側は白ける。
マイニチワワを応援するというよりは、
作るという行為を応援します。
このブログは、たぶん短く書けば、もっと短くなって、しかも、そのほうがわかりやすいような気がします。
でも、さらに付け足してみる。
イベントに参加する多くのブログを読むと、賛成も反対もいっぱいいる。
僕は、どちらにもつかない。
どちらの気分もわかる。
着ぐるみを着た女の子が雪山を転がれば、
危なくて笑ってられない人もいるし、
面白くてしょうがない人もいる。
どちらでも良いとおもう。
僕は「箸が転がっても面白い」そんな気分がマイニチワの趣旨だと思っている。
危なすぎたら笑えない、というさじ加減は難しいなあ。
と思う今日この頃なのです。
『他人に読ませる』ことを考えて書かれますし。
表現のしかたなんかも、頭のいい人なんだろうなって思えます。
すごいです・・・