Nicotto Town


およよ・れおポン


やっぱり不健康か

物事を批判的な目で観察するのは、人間にとって必要な行為かもしれない。
世の中には悪い人も多くて、だまされない防御として、嘘を見抜かなければならない。

嘘だけでなく、物事には、誤解や勘違い、すれ違いなど、悪気が無くても、結果は騙されるのと等しい場合も多い。

だから、批判的な観察眼を持った方が良い。

、、、と、言えば、言えるのだけれど。

さて、もうちょっと、健康的な生き方はできないものだろうか。

防御のためとは言え、批判的な態度ばかりとるのは、やはり不健康だ。
なぜなら、批判的な目は、物事の悪いところばかり見ることであって、良いことを見ないから。

批判の目を使ったら、その分だけ、何か、何でも良いから、
「美しい」でも「楽しい」でも、
良いことを見ないと、心が汚れてゆく。


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ちょっとね、最初から批判的な目で、ニンゲンを観察しようと言う考えで、
ツイッターで「紅の豚」のツイートを追いかけてみたのです。

膨大な量の、なんの意味も無い言葉。

いや、人によっては、「善悪」などとは無縁のところで、とにかく、体の中から湧き出てきた感覚を、どこかへ、言葉として出さない訳にはいかなかったのだろう。

それは、ストレス解消と呼ぶものかもしれないし、心の整理かもしれない。

いずれにせよ、社会的には、ほぼ無意味な言葉が、無数にネット上に書き込まれてゆく。

この言葉たちを人間の本質と見るのは間違いだ。
それはわかっているつもりだ。

それなのに、人間がくだらないものに感じてしまう。

そもそも、自分が、批判的な態度でツイートを覗いてみたのが間違いなのだろう。

#日記広場:日記

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2010/07/03 22:32
言葉の難しさは、
「言葉そのものに力が在る」という面と
「何を言うかではなく、誰が言うかが問題」という両面があること。

例えば、田舎道を歩いていたら、畑に立派なスイカがなっている。
「盗んで帰りたいねぇ」
なんて言って、冗談だとして、、、

本当に仲の良い友だちどうしで笑って話しているのなら、「とても良くできたスイカだ」という賞賛の冗談で通る。

でも、ちょっとでも言った人物に不審があったりすると、冗談にはならない。

ネットは、「誰が」がわかりにくい場所で、しかも、日本では『ネットは匿名』という迷信が、基本的常識になってしまっているから、「誰か」は一切わからないことも多い。

こまったことに、内輪ネタを、そのままネットに載せてしまう人が多くて、冗談にならないことになっている。
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2010/07/03 22:05
「心無い言葉」というよりは・・・「悪意のある単語」の羅列になってしまっているんでしょうかね。
相手に投げかける行為が話すという事なら、投げるだけの単語はやはり捌け口かな、と。
抑えきれないものを晒すのは、精神的には良い事だと思いますが、
受け取る側にも覚悟が無いと、キツイだけになってしまいますね・・・。
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2010/07/03 00:28
「紅の豚」は、宮崎駿自身が、公開直後から「モラトリアム映画だ」と言って自己批判していた。
のちのち、雑誌などに載る宮崎駿のプロフィールにも「紅の豚」は載らないことがあるなど、本人の中でも葛藤があるらしい。

僕も、映画館で見て、面白いと思うのと同時に、「そうじゃないだろう」と思った。

そういう映画なので、始末に負えないんですね。
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2010/07/02 23:47
最初に色眼鏡かけちゃうと
自分も疲れますよね・・・・・
疑った後は信じたくなる・・・のが人情?w
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2010/07/02 23:22
批判にも色々あって、的確なものがあればただの中傷でしかないものもありますからね。
厳しい目を持つと同時、素晴らしいもの(こと)を素晴らしいと褒める心も持ち合わせて
おくといいのかなと思います。





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