Nicotto Town



ひとりごと。

忙しくなりました。それでもちょっと書いておかないとと、胸が騒ぐ
村上春樹さんのイスラエル賞受賞講演のこと。
ニュースのカテゴリにしようかと思ったけれど、準備不足で中途半端になりそうなので、個人的なひとりごと、にしました。

個人初のブログの力で、すでに全文とはいきませんが、新聞に載らない箇所も含め、英文、それに訳文もでています。参考に読ませていただきました。

ニュースを見た感想は、イスラエル読者に向かって個人として考えて欲しいと
問いかけたのだな、と思いました。
わたしたち外の世界の人間のほとんどが、パレスチナへの攻撃に対して
非常に批判的です。これは当たり前です。

ある意味、パレスチナの惨状(あまりに酷いものです)はNGOの活躍により、かなり伝わるようになってきました。(パレスチナの子供たちの多くが低空飛行の騒音により聴覚に異常をきたし、難聴になっているそうです)
しかし、意外なくらい知らないのがイスラエルの人々のことです。

ほとんど流しっぱなしにして、観たり観なかったり、早送りしんながら観たのが『ツァハール』これ、かなり長いんです。5時間ある。
イスラエルの言い訳というか、それぞれの国に対する思いのドキュメンタリーです。武器や国防や、嫌だけど仕方ないとか…。イスラエル再度から描いています。感想は、何となくわかる気もするが…でした。

イスラエルは徴兵制です。高校や中学時代に、軍事訓練のような課外実習が組み込まれています。そして18歳になると男女とも兵役せねばなりません。歴史もユダヤ虐殺を学びます。世界は助けてくれず、見殺しにした。だから自ら国を守らなければならない。この考えは丸ごとパレスチナにも通じてしまう、恐ろしさがあります。彼らも矛盾は気付いています。教育水準はとても高いのです。

昨年公開された、広川隆一さんの『ナクバ』
イスラエル建国から60年、それはパレスチナ人にとって大厄(ナクバ)を意味します。始まって数分でガザの崩れ落ちた瓦礫同然の建物から、小さな子供たちがいっぱい出てきます。こんな場所で生活しているのか!それだけで、
自爆テロにも走りたくなる思いを理解してしまいます。

イスラエル人の中にもパレスチナ人と共存しなければいけないと、努力と歩み寄りに尽力している人々もいます。
パレスチナという戦場で、平気で子どもを殺してしまうイスラエルの若い兵士も、銃を下せば、ごく普通の若者です。化け物でもなく、わたしたちと変わりなく泣き、笑う、人間です。なぜ、ああも残忍になってしまうのか、それが、戦争というシステムなのでしょう。

それで、忙しくなってきているのに、積んである本の下の方から、読まねばな
らないか、と、ため息をつきつつ取り出したのが
「ホロコースト産業」
米国で出版されましたが、黙殺された本です。日本で翻訳版がでています。
両親が強制収容所の生還者である著者が、歴史の真実と記憶を汚し米国ユダヤ人エリートのイデオロギー兵器とし、経済的資産化しいわば産業にしてしまったと告発する書です。もし、真実でないならば、裁判沙汰でしょうが、
完全黙殺されたようです。ドイツではかなり売れたようです。

「沈黙を破る」土井敏邦著
元イスラエル軍将校が語る占領、
いわば告白の書です。取材を重ねるうちに、日本人である土井さんの思いは
日本の戦後、我々は加害被害と向き合ったかに帰っていくところが、重く考えさせられるのです。

無国籍な内容で全世界で、若者たちの支持を得て広く読まれている村上春樹さんの小説。イスラエルでも例外ではないでしょう。
あってはいけないパレスチナ問題は、テロに大義を与え続けています。どうして終結しないのか、利害のからむ国際政治と歴史と宗教とが絡み合い、複雑さを増すばかりです。
個人として考えよう。村上春樹さんはイスラエルの若者に、彼の小説を愛する読者に問いかけたように思えました。

辞退することが、一番、簡単でしょうが、あえて、発言することを選びました。
それはメッセージを発することであり、若い読者層が、これを機会に少しでものパレスチナ問題や、もろもろの世界について考える機会になれば、いいな
ぁと、わたしは感じました。

そして二冊の本を前に、また重くるしいため息をつくのです。

ちょっと忙しくなりましたので、個々にコメントは無理だと思います。
時間があれば、全体的に書けるかもしれませんが…・
本当にごめんなさい。独り言として読んでくださいね<(_ _)>

アバター
2009/02/22 15:09
夜風さん

コメントありがとうございます。

イスラエルの方と縁があったんですね^^

昨今のメディアは注意して観なければいけなくなりました。
政治に利用されるようになっては、ジャーナリズム魂はどこにいった、と問い正したいです。

人は国籍や宗教とかで分けられるべきではなく
その人の考え方で見なければ、真実を見失いますね。
どの国でも暴力に訴える人がいます。
ボスニアの混乱も、いわばチンピラ風の人々が暴力を煽ったとききます。
非常に身近なところでは
数年前に起きた、花火大会で起きた事故。
明石の歩道橋での人々の混乱です。
これも一部の人が煽った形跡があります。

あの雑踏にいて、冷静に行動することができるのか
人間心理の恐怖を、そのまま世界の紛争に当てはめると
とても怖い気がします。それを利用している裏側の闇を
考えると、これまた、重苦しい…。
それでも、僅かでも、勇気ある人々が活躍しています。
暴力や恐怖に打ち勝つものは何だろう…。
日々の生活の中で、本来、訓練しておかなければ
たくさんの物を見失ってしまう、迷路みたいな現代社会です。
情報の豊かさも、判断と選択を促してくれます。
これは、希望のひとつかもしれません。

今は忙しいので、また時間がとれれば、ゆっくりと
拝見させていただきます。
また、いろいろとお話を聞かせてくださいね。
ありがとうございました。
アバター
2009/02/22 11:17
旦那がイスラエル人なのです。
それまで、中近東問題はニュースを鵜呑みで聞いていました。
結婚して内情を少しずつ知りました。
メディアが故意に嘘をついているようにしか思えませんでした。
この世は恐怖支配なんだなと思っています。
まだまだ勉強不足です。
興味があったら、聴いて見てください。全部英語ですが・・・
http://tinyurl.com/2ehywe
アバター
2009/02/20 23:59
それが一番です^^

異常な眠気に襲われ
気分転換です。

気分転換ばかりやっていては、いけないけど…><
アバター
2009/02/20 23:55
無理なく無理なーく。
健やかに楽しくがわたくしのモットーです♪
アバター
2009/02/18 19:59
個人として、個々の事例にかかわれば、被害者の痛ましさは言葉にできないほど、つらいものだと思います。
想像しなくても胸がふさぎます。
しかし、加害への道のりは想像しかありません。それが個として考える作業だと私には思えます。この闇を考えずして
幾たびも起こる戦争を防ぐことはできないのかもしれません。人は残忍になれるのだと…。

他者へ、、もしくは敵への理解、と赦しは、

人類に課せられた大きな大きな課題ではないでしょうか。



しぃさん

どうして、おかしいって思うことが、普通のようになってしまうのか
どうして、どうしてって叫びたいことばかりです。

国際政治を個々に辿れば、ああ、なるほど、これで、こうなったかと
理解できますが、自国と個人の利益にかかわってきて、
ややこしくなってしまっています。

人というものが一発触発で、他者を攻撃するという性を背負っているのしょか。
本当に血を流さず解決すべきです。
わたしも願ってやみません。
アバター
2009/02/18 19:40
みもざ姫さん
どうぞ読み流してくださいね^^;;

いっきゅぅ㊪ さん

同情ではないのですよ^^;やっていることを許すことは絶対にできません。
あえていえば、問題解決するには、当事者間の歩み寄りが最善、最短の方法であろうと思います。
それが、どんなに不均衡であったとしても、そこに希望を託さない限り、未来が見えないのでは
ないかと…。近年ではボスニアもしかり、混迷続くアフリカ諸国も。
怒りでは決して解決できないように思えます。
知れば知るほど残酷なことがでてくるのが戦場で、いわば、人はどこで被害者と加害者に分かれて
いくのか、という問いかけです。

イスラエル兵士は帰還後、数年、アジアなどに放浪の旅に出て占領で犯したことを忘れようとするそうです。
自分がゲーム感覚で人を殺していたことを。しかし何かが壊れてしまい、普通に生きていけないことを知り、
嘘をつけなくなって、自分たちが何をしてきたのかを、語り始めます。それはそれは、残忍です。なぜ、こうなっていったのか彼ら自身のもわかりません。イラクでの米兵もそうでした。冷静に考えるとおぞましいことをしたのです。

人は戦場で、戦場だったら、どこまで残忍になれるのかという、人間の業への問いかけです。
自分が同じ状況下ならばどうしたのか…。
これを想像できるかどうか、それこそが個としての抑止力に成りえる訓練かもしれません。

ドメスティックバイオレンスもそうですが、加害者が変わらない限り、被害者もまた救われません。
幼い頃、父がそうだったので、私個人としては絶対的に暴力は許さない強い感情を持っている人間です。
パレスチナで行われていること、報復、ナチス、全部、許されないことです。
しかし、すべて人間が生み出しています。何世紀にもわたって、私達は加害者になり被害者にもなり殺し合いの歴史の上に存在しています。かつて、日本も加害国だった時代があります。
パレスチナ問題は被害者と加害者が入れ替わりながら、戦争に何の意味があるのかと問いかけてきます。この問題をできるだけ武力でない方法で解決できるとしたら、人類の歴史は、違う一歩を踏み出せるのではないか…。
↑上に
アバター
2009/02/18 14:12
私がこの前ブログアップしたピースシェリング。
実はこのパレスチナ問題を題材にして感じた事を書いてみた。
みんな国の名前や戦争ばっかしてるところやなぁってイメージしかないんやないかな。
時はローマ時代にまで遡る長い歴史がある。
元々住んでいたユダヤ人が迫害され追い出され、
また長い時間を掛けて元の地に集結しだした。
ユダヤ人がいなかった間にその地に集結しだしたのはアラブ人。
ユダヤ国家とアラブ国家の愛国心を掛けた戦争。
そこにアメリカも介入してきて問題は大きく大きく発展してしまった。
国を愛するがゆえに自爆テロまで起こし自国に忠誠を誓って亡くなっていく人々。
アメリカは資源が欲しいがために中央基地を立て石油パイプラインを引くことにも成功。
9・11の疑惑がささやかれてるよね。
どうして意地を張って喧嘩する道を選ぶんやろう。
どうして仲良く互いに共有しあって共存していく道を選ばないんやろう。
人間の欲深な煩悩が何もわからない子供達を傷つけ、
戦争を日常目にすることで無意識下に戦うことを洗脳させていく。
他の国々はだめだよと口にしながら、直接手を出して仲裁しようとはしない。
どこが平和なん…。
血を流さなくても人は共存していくことは可能なんじゃないの?
少なくとも私はそう信じたい。
無駄な命遣い、もう本当に終わりにして欲しい。
私の願いです。
アバター
2009/02/18 14:12
あっ!

村上春樹さんには、敬意を示します。
アバター
2009/02/18 14:11
パレスチナ・イスラエル問題は、とても難しいですね。

イギリスの二口外交により、パレスチナにユダヤ人が流入、
さらに、ナチスの迫害により、規定数以上の人が違法に入り今に至っていますね。
彼らは、『シオニズム』と『迫害被害者』の意識を強く持っているから、解決は困難です。
先日の、イスラエルによるパレスチナ侵攻・撤退後の映像をみましたが、
パレスチナ人の家には、
「俺は、一人殺した!あと99999人だ!」
「お前らは、この監獄から逃げれられない」
「何時でも皆殺しの準備は出来ている。覚悟しろ」
等の、落書きが多数残されており、黒猫手毬さんには、申し訳御座いませんが、
ユダヤ人には、同情できません。
善意あるユダヤ人は少数で、その他の人は善良を装っているのでは、と思います。
イスラエルのパレスチナ人収容所には、10人部屋に、4~50人詰め込まれ、体育座りがやっと。
これは、男性房ですが、女性房では、どの様な扱いがされているのか、全く明らかにしていません!明らかに出来ないのかも?
男性収容者の支援を許された国際赤十字が抗議しましたが、
「国際的な議論の場で問題に上げるのであれば、今後の収容者支援を一切禁止する。」
と通告され、黙認せざるを得ませんでした。

わたしは、パレスチナでは何が起きているか、両サイドの面からある程度知っていましたので、
これら事実が報道される事に、「ようやくか。」との思いです。

書きたい事は、いっぱいありますが、この辺にて失礼致します。

おまけに裏歴史
第二次大戦終結後、ドイツ人には、ユダヤによる報復が行われました。
・ドイツ兵収容所外からの発砲
・配給パンへの毒混入
・ドイツ兵を収容所外へ連行し処刑
・報復裁判で無罪になり家に帰った者を、英兵の制服を着たユダヤ人が連れ出し、処刑
 無罪者リストは、連合国から供与された模様。
これらは、連合国兵が把握していましたが、目の前で行われても、しらんぷりしていたそうです。
アバター
2009/02/18 13:28
村上さん、立派でした。
また後でゆっくり読みに来ますね(^^)




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.