もうひとつの幻想(終)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/02/22 10:52:04
彼女は俺の軽自動車に乗ると、突然に泣き崩れた。
そして顔をあげて、今度は俺の目を見ながらこう言った。
「さっき、赤ちゃん・・・おろしたの。」
俺は彼女を守れなかった。
酷い言葉を発して、彼女の前から去ってしまった。
愛する女を、たった一人の女を、守ってやれなかった。
俺はその夜、彼女の話を聞いた。
否定も肯定もせず、ただただ黙って聞いた。
彼女は何も隠すこともせず、何も飾る事もせず、躊躇もなく、俺の目を見て話してくれた。
妊娠に気付いたのは2週間前。
相手の男には悩む事無く中絶を頼まれた。
費用は相手の男が全額出すと言っていた。
恐らく彼は、たったそれだけの事で責任を果たしたと思っていたと言う。
妊娠を告げた後、相手の男とは一度も会わなかったと言う。
それまでは、少しの時間をも惜しんで会っていたというのに。
そして今日、中絶処置の前に男に電話をかけたという。
男には行けないと言われた。
そして、麻酔などがようやく切れた午後、もう一度電話をかけた。
その時の回答は、信じられないものだった。
「すまんな、今日は息子と遊ぶ約束があるんだ。」
「私がおろしたのも、あの人の子供なのにね・・・」
彼女はようやく泣き顔から解放されていた。
「疲れただろう?何か食おう。」
「うん、ごめんね、こんな時ばかり・・・」
「いや、良く電話をかけてきてくれた。こっちこそ・・・すまなかった、守ってやれずに。」
「何であなたが誤るの?悪いのは私なのに、なんで・・・。」
「この前別れた時、酷い事を言ってしまった。」
「いえ、あなたの言ったとおり、私しっぺ返し貰っちゃった。」
「本当に、よく電話をかけてくれたな、俺なんかに・・・」
「あなたの顔しか、浮かばなかったんだ。」
彼女のそんな言葉を聞いた時、俺はこう言わずにはいれなかった。
「だったら、俺が君の中でそんな存在だと言うのなら・・・ちゃんと付き合ってくれ。」
「え・・・だって・・・私今違う男性の子供をおろしたのよ。」
「そんな傷は時間が経てば治る。重要なのは、今君が生きてここに、俺の目の前にいるって事だ。それだけでいいんだ、それだけで・・・。」
彼女は「ありがとう」と言って、俺の胸の中で涙を流した。
俺は彼女と、一晩中一緒にいてやった。
翌日の午後、俺の事務所の電話が鳴った。
受話器からは懐かしい声が聞こえた。
奇跡の夜に河川敷で会った、俺の得意客からだった。
「すまないが、また車を買いたいんだ。」
「あ、そうですか!今度はどのようなお車をお探しですか?」
「いや、今度は前のような高級車は買えない。何か安い軽自動車が欲しいんだ。すまないね。」
「いえいえ、かしこまりました。早速探してみますよ。」
「うん、頼むよ。」
俺は、奇跡の夜のことを聞こうと思ったが、聞くのをやめた。
きっと彼も、あの夜に何かがあったんだ。
何かが変わったんだ。
俺がそう思う理由は、たった今かかってきた電話の声で、何となく・・・
彼が幸せそうに思えたから。
俺は、ふとこんな言葉を思い出した。
今まで全ての出来事を、自分の引き出しに仕舞いながら。
「世の中の風景のうちで一番美しい風景は、
それは全てのものが元に戻る風景」
(ハ・ドッキュ 風景)
よっしゃ、泣かせてしまった。。。
彼女の気持ちも、この主人公の彼も、ぎりぎりの所で相手を想っていたんだと思います。
それが一気に加速して、この出来事をきっかけに噴出してしまったのでしょう。
彼女は浮ついた自分の気持ちを、彼は自分の懐の狭さを、お互いが実感して共有して、そして認め合ったのでしょうねぇ。
彼女はとても幸運だったと思います。
そして彼は、この件でかけがえの無い大きなものを学んだと、私は信じています。
いやいや、許すって難しいと思いますよ。
こんな事を言った人もいます。
「どこからどこまでは許せるが、ここから先は許せないと言う事は
はじめから許していないのと同じ」
許すという事は、相手ばかりを許すのではなく、自分自身を相手に許す(委ねる)事だと私は思います。
さぶ真凛さん、コメントありがとう!
彼女の気持ちが、手に取るように伝わります。
彼の顔しか浮かばなかったと話したその想いも。
絶えずその深奥で休まることの無かった心。
彼は、その彼女の心に“絶対”を残したんですね。
彼女がとても羨ましいです。
彼は、とても素敵な人ですね。ね、猫さん。
なんてことを以前やってたバイト先のお兄様(おじさん?)と話したことがてりました。
わたしは未熟者なのでなかなか人を許せない。
ああもっと精神的に大人にならないと。
私のとっても大好きな人も、今元に戻ろうとしています。
その人のどんな過去にも、無意味なものは無かったと理解できたようです。
すばらしでしょう?それって。
私もその人を通じて「世の中で一番美しい風景」を見させてもらいました。。。
にゃんにゃんにゃん。。。
本当ですね・・・
素晴らしい奏を ありがとうございました。
猫さんの日ですね 今日は にゃんにゃんにゃん