Nicotto Town



迷子

心が迷子になって、自分に戻ってこないことが
時々あります。

家庭の事情が多い子ども時代を過ごしたので
かなり早い時期から、精神的にも経済的にも自立した
わたし、であったという誇りがありました。
そんな苦労をしたように見えないところも、
自分では気に入っていました。

わたしの肉親は負け組(いやな言葉ですが、あえて使います)
人生を歩んだ人ばかりです。
幼心に納得がいかず、似るのが嫌で、ああなるものかと
固く心に誓った経緯があります。

問題から逃げないこと、諦めないこと、後ろ向きに考えないこと、卑屈にならないこと、妬まないこと、やるだけはやること。
おかげで正義感と倫理観が強く前向きな性格になりました。
社会に出て役立ったことは言うまでもありません。

それが、近頃、とても重い。
正しいことが、常に最善とは限らないのと、気づいたのです。
人はふとしたことから
どうしようもない自分を発見するのです。
少なくともわたしは
そのどうしようもない自分を許すことができませんでした。
考えれば、よくあることで、仕方のない部分もあります。

たぶん、これが、遅ればせながら(いい加減いい歳です)
本当に大人になったという証拠かもしれません。

人とは弱いものです。
それを認め、受け入れ、赦し、胸の内に収めることで
強く生きなければならないという、呪縛から
わたしを解放してやらねばなりません。

根本は間違ってはいません。
ただ、
もう少し緩くして、心のキャパを広げなくては
迷子になったわたしの心が
帰り道を見つけられなくなるでしょう。

もう許しておあげなさい。
父の通夜の席で叔母がわたしに言いました。

あれから何年も経ちました。

そろそろ許しておあげなさい。
わたしはわたしに言ってあげてもいいかもしれません。
あたなが父を助けることなど、無理だったのだから…。

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2009/03/01 17:22
雨柳さん

可哀想なまま生きるのは、そう、いけないと思います。
絶対に自分を慈しむことは大事^^

きっとお姉さんで育ったから、頼られてばかりで
甘える機会を失ったんでしょうね。
そうなると、なかなかできなくなります。
甘え方もコツがあるようで、甘やかされて育った人は
腹が立つものの、上手で、コノヤロ~と思いながらも、憎めない。
ズルイやんか…と思うのです。

お気楽でなくて、明るくて、十分人の心もわかる女性ですよ。
雨柳さんは。
新緑の柳が玉すだれのように揺れて素敵で素敵ですね。お名前^^
細い柳の葉が雨に濡れているのかしら…。
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2009/02/27 04:54
あんまり事情が分からない事だったので、
当たり障りのない事も、的外れな事も言いたくないし・・・。う~ん・・・
でも、何か言いたい!
と思ったら、結局自分の心のゲロのような物吐き出させてもらってしまってすみません><

優しい・・・というより単にビビリなのです。
人に甘えるのが苦手というか怖いので、吐き出し口がなくて、自分の中でループしてしまうので・・・。
ある程度は自分に甘くしてあげないと私可哀想と思って。
可哀想なまま生きるのは嫌だ!と思ったら、こんなお気楽人間になってしまいました(^^;)
鎧脱いで、楽に呼吸できて、ワガママも悪態も許してくれる周りの人間に感謝しているのです☆

そして手毬さんにもものすごく感謝です♡♡♡
お忙しいでしょうからレスは不要ですよ♡(・▽・)♡
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2009/02/26 19:40
みもざ姫さん

コメントありがとうございます。

子どもは状況や環境に適応し、生き抜こうとする本能の力が強いものです。
だから、世界中で本当に苦しい環境を強いられている子どもたちが、
それでもまっすぐな気持ちを失わない場面に出くわし、感動します。
そういう力を持っているのが、子どもなのでしょうね^^
だから、環境適応していただけ、と、わたしの場合は言えるでしょう。

父とは思春期に別れましたから、それから普通の生活になりました。
わたしもごく普通になりました^^;;
退化したのです。

お気持ちだけありがたく頂戴いたします<(_ _)>
自我の強い我儘者ですから
しばらくは自分と格闘しながら、
無理をせず、整理するあり方を探っていきます。
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2009/02/26 19:27
雨柳さん

コメントありがとうございます。

とても優しい人なのですね。友だち思いだし、明るい^^

誰だって、欲望や嫉妬を持っています。
負の感情は強大なエネルギーでもあります。
巻き込まれやすく、それを利用して、大袈裟にいえば戦争にまで
発展していく…。

父もそんな感情の囚われ人でした。
父は両親、特に母に(わたしには祖母)溺愛されました。
何もかも与えられた子ども時代に反し、
人の裏切りと母の死と、その他、時代の流れなど、
自分で乗り越えることを学べませんでした。
胸の中にはいつも怒りが渦巻いていたのだと思います。
そのずっと底には悲しみがありました。
悪い人間ではなく、とても弱い人間でした。
人の愛し方を知らない人でもありました。
与えるよりも奪うことしがちでした。

自分を愛することは生きていくうえで、一番大切なことです。
自分の大切なもの、愛している者、大事にしてる行い
それらを守ることを教えてぃれます。

自分に嘘はつけませんからね。
今でも自分は嫌いではありませんが、
いくつか、とても危ういことがありました。
それで、人とはどうしようもないところを持っているのだと。
自分が体現すると、慌てました。

全部わかっていて、なお消化できないのは
親たちの人生が哀しいまま終わったせいかもしれません。

もうずっと蓋をしていたのです。
開いてしまったから、整理しなければならない時にきています。
もう少し時間がかかりますが、
たぶん、大丈夫^^

昔ほど自分を好きではないけれど
嫌いというほどでもないのですから…^^

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2009/02/26 05:06
いっきゅうさん

コメントありがとうございます。

帰って来て寝てしまい、変な時間に目が覚めたものですから
こんな時間に驚かれることでしょうね^^;;ちょっと深夜族気味でもありますが。

自分のこととなると誤魔化しがきかないので、
これがまた、意固地な奴で^^;
納得させるのに、相応の時間が必要なようです。

気がつけば、一生懸命になっています。
でも、諦める時もあり、こうなると早い。
肩の力を抜くと全部抜けて、本当に怠け者になる。
ほどほどを学ばなくてはいけませんね^^;
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2009/02/26 04:59
たいさん

コメントありがとうございます。

哲学的ですね。
心の問題にしても論理的に考えてみることは
大切だと思っています。
いくつかの哲学書も最後まで読んではいませんが、
というより、さわりだけ^^;でも頭に入れておこうとしたことがあります。

傷は抱え込む時期を過ぎると
外の風にさらさなくては、いけないのかもしれません。
内側に長く抱え込むと、傷口は乾かず膿んでくるような気がします。
濡れたまま傷も外気に触れると
多少しみるかもしれませんが、傷口が乾きます。
傷痕はきれいなものではありません。
自分にとって、醜く、人から見れば滑稽かもしれず
なかなか踏ん切りがつかないものです。

だから、弱さを見せてもいい。少しくらいは
当たっているかもしれません^^
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2009/02/25 17:51
こういう風に生きていらっしゃる黒猫手毬さんが、とても素敵です。
私には真似できないかも知れません。
でも、ほんとに、最後の三行に書いていらっしゃること、当たってると思います。
出来ることなら、私が黒猫手毬さんの心を許してあげられるなら、などと思ってしまいますが、もちろんそんな大それた事のできるはずもなく・・・
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2009/02/25 13:59
kreva♪♫♬ さん

コメントありがとうございます。

親が逃げちゃった人だから、逃げるのが嫌なんでしょうね。
拗ねるのも嫌だし、諦めるのも…。
ズルイことに、親が全部やってしまったものですから。

わたしは父の婚外子で、実母の記憶はありません。彼女には他に子どもがいるようです。
会ったことがない父親違いの兄弟ですね。
そういうことを知らされる環境にもいましたから、
倫理的にも強い縛りをも自分につけたのだと思います。
納得のいかないまま抱え込んだ想いがたくさんありました。
実母も亡くなり、父も亡くなり、
複雑な内側のもろもろを清算する時期にきているのだと思います。

父の死からも、いろいろあって、まいって、
入院して、病に実母からの遺伝的な部分も多少あり
思い出しもしなかったのに、こういうことは繋がっているんだなと
これまた複雑な気分になりました。

その割にはまっすぐにきたもんでしょ、わりと。
欠点は、誰も頼れなかったので、頼りにしないというか
人に滅多に懐きません。
オープンですが、深い所は閉じてるんですね。
だから、ひとりで抱え込んで無理してしまうのでしょうね。

別に書かなくてもいいことばかりを
書き連ねていけるのも、そういう時期に入っているからかな。

kreva♪♫♬さん
本当はグタグタと言いたくなんかないの。
でも、一度は全部吐き出してしまわないといけないのもかもしれない。
それに、昔はどうあれ、
結構、まともで優雅に生きてます。
叶わなかったことも多いけれど、人が羨むこともわりと手に入ったの。
いろんなところが欠落してたり、辛い部分もあるけれどね。
今、とくに、思春期あたりで、辛い思いをしてる若い子に言いたい。
エラソウじゃなくて
少しだけ
がんばれ、諦めないで、あなたの人生をって。

そこは卒業したから、これからはまた第二陣です、kreva♪♫♬ さん。
たぶん、ずっと痛いままだけど、ある部分は。
それでも、取りあえず、踏みとどまって、わたしなりに
解決できる糸口をさがしますね。

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2009/02/25 13:16
プラさん

コメントありがとうございます。

幼いころ、理想の相手を思い浮かべた時、神様しか当てはまらないんじゃないか…。
そんな人いるわけがない、と慌てたことがありました^^;

親たちが、きちきちで生きていたせいもあり、暴言も多かったんでしょうね。
それは子どもには聞かせたらあかんやろう、絶対間違っているとか
子ども心に考えて、融通のきかない正しいものを内側に育ててしまったんだろうと思います。
プラさんのおじいさんのように余裕があって、楽しい意見なら
それもありだなぁと、納得してもう少し緩やかなになれたのかもしれませんね。
 
>形の無いものを信じられないと残るのはモラルだけだよ。
とても美しい世界だけど、それだけではきっと楽しくないよ。

優しい言葉ですね。
確かにモラルの強さは生きるに従って、楽しくないというか、不自由さを
感じることが多くなってきました。
モラルがないのも困りますが、もう少し楽に生きれば、楽しいだろうと…。

根本的なところはそうですが、
でも、細かいところはすごく雑です^^;;変なところで度胸があるし(これは怖い)
人によってかなり印象が違うようです。
相性でしょうか。
親と相性が悪かったと考えると、合点がいきそうですが…。生涯逃げられない相手なので
ここが困りものです。

甘やかすと、どんどん甘えて手のつけられない我儘になりそうです^^;
可愛らしい甘さならいいですけど、案外、コワイかも…^^;;;
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2009/02/25 05:07
自分を納得させるのは本当に難しい。
でも自分以外に納得させれる者がいないから苦しい時がある。

私は欲しい答えを探しても、どうしても見つからない時、頭の中に黒いグルグルが渦巻きます。
探しても探しても見つからない時「あぁ!完全に迷子だ!」と思います。
グルグルは怖い物で、底に向かえば向かうほど、いい子でいたい自分や、ずるい自分、
憎しみや悲しみ、願望や欲望や絶望がポコポコと顔を出してきます。
こいつら一つ一つと向き合わねば、欲しい答えは見つからない!と、
必死に自分を責めながら底に向かうと、とてつもなく消耗ている自分に気づきます。
ゲッソリでグッタリです。
これ以上底に行ったら戻ってこれなくなぁと、自分を殺すことになるなと・・・。

そんな時は謝ります。「ごめんなさい。今すぐには答えを見つけられそうにもありません。
でも、これは私にとってとても大事なことなので、いつか答えを見つけてちゃんと吸収しますから!」
そして、心の中の引き出しにそっとしまっておきます。
時々はみ出してきて、愚かで、ちっぽけで、無力で、ドス黒い自分がいることを見せつけられます。
でも、これらも自分をつくる一部なのだと思うと、悲しいけど愛おしくなります。
ぐしょぬれで、泥まみれで、病気な猫の背をなでるように。
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2009/02/25 04:18
しぃさん

コメントありがとうございます。

人は最終的に自己責任で人生をまっとうしなくてはいけません。
そうだと思います。
父にしても、哀しい人生を送ったのは、父自身の責任であったと。
父とは思春期に別れ、会ったのは霊安室でした。
一緒に暮らせない人でした。
忘れたことはなかったけれど、会うと、父に今の生活を壊されそうな
不安を消し去ることができませんでした。
でも、死なれてしまうと、大人になった自分にも何か
父にできることはなかったのだろうか、とか考えてしまうもんです。
たとえ会っていたとしても、父が改心していたとは、絶対に思えないのですが…。
死んでから、父も痛ましい傷がいろいろあったと、分かってきました。


たぶん、幼い頃にいろいろできてしまったんですね。
だから、自分が家族を立て直せるもんだと思い込んでいた。
一番小さかったのにね。
それをどこかで引きずっていて、罪悪感の原因になっているのだと感じています。

でも、大切なことは今は不幸ではないことです。
ずっとムキになる性格で、一生懸命だったので不幸だと思ったことは
元来なかったのです。問題を解決しようと必死でした。
苦労したところも、生かされたたかな^^;;
親の影響というのは、正直なところ、かなり尾を引きますが
そのせいで、人生を狂わされたってことはなかったつもりです。
傷んでいるところあるけれど、そこそこ元気でやっていますから^^;

頭ではいろいろわかっているのですが^^
これも自分のこととなると、なかなかね^^;;
無理をしないともね…^^ホントに人になら言えるのにね。困ったもんです。
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2009/02/25 03:34
パンダさん

初めまして^^

コメントありがとうございます。

人の器となると、少し苦しいところがあります^^;
自分ではかなり小さいので、痛いところです…。

カサブタは何度も剥がしているので
本当は、傷を広げて刺さったものを取るか
きれいに薬を塗って、取りあえず治癒させるか
そんなところにきています。
自分のことを、こんなに真剣に考えた数年は
なかったように思います。
そういう時期にきているのでしょうね。
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2009/02/25 03:27
ガレッキーさん

コメントありがとうございます。

許すことは、一番難しいことの一つに思えます。
だから、人は神様をつくったのかもしれないと
思うことすらあります。

もともと甘いところはあるのですが、
親のこととなると複雑な気持ちに陥ります。
詳しいことは、また、いつか書くかもしれません。
ただ、明るい話ではないのでね^^;
ためらいもあります。

何かの琴線に触れると、戻ってくる痛みでもありますが
ずいぶんと、楽にもなってきています^^
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2009/02/25 03:22
⊹ ジュリア⊹ さん

コメントありがとうございます。

素直に助けてもらっていると感謝できるのは
素敵なことですね^^

誰かを愛することは
実は大変なことですが、たくさんの贈り物を
してくれることでもあると思います。
ときどきそれで
道に迷ったりしますが^^;
いい恋愛なら、戻るべき道を
ちゃんと教えてくれるはずですね^^
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2009/02/25 02:23
エポカさん

実はわたしも人と接すると、気を遣って疲れる方です。

ときどき
大きな犬を二匹連れて、誰も知らない山深い山荘に
ひきこもるなんて、いいなぁと想像したりします。

自信を失ったり、理解されずに孤独感に陥ったり
ちょっとしたことかが重なって、しんどくなっていきますね^^

こんな話の流れでわたしがいうのも何ですが
みんな大なり小なり、生きにくさみたいなものを
抱えているようです。
えっ、こんな人が、なんて…驚かされることもしばしば。

気に病みだしたら果てしなく、ダメだって思いがちですね^^
やはり気分転換でしょうか。
いい時もあれば悪い時もある←自分にも^^;
欠点と思われがちな部分も
その人らしさの良い部分に繋がっているのですから…。
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2009/02/25 01:38
小チゲさん

コメントありがとうございます。

思わぬところで、人に助けられると感動したりします。
縁ですね^^
本当に出会いは縁だと思います。
常日頃、人に頼らない癖がついているので、
全部自分一人でやってきたと思いがちなわたしですが、
目に見えないところでたくさんの人に助けられていると
感じることがあります。
恩返しのつもりで、誰かが助けを求めていたら
ごく自然に手を差し伸べることができたなら
それは素敵なことですね。
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2009/02/25 01:27
アニセさん

コメントありがとうございます。

正しいという規範は必要だけれど
それにこだわりすぎてもいけないね。

たぶん、すごく迷いがあるのだと思います。いま。
前に進めなくなった自分に
苛立っているのかもしれません。
ここ数年で、いくつかの病になったし
無理はしてはいけないなぁと
思いつつ、休んでいると甘えているようで
落ち着かない日々です。
人には無理しちゃいけない、って言えるんだけど、ね。
絶対にそうだから。

自分を信じていた人だったけど、自信を失ったんだ。
ああ、夜に書いてるといけませんね^^;
後ろ向きになってくる。

正しいってことを、人により求めるよりも
自分に求めてるのね。
こういうのは、頭でわかっていても、解決するのは
なかなか手強いやつです。
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2009/02/24 19:50
カルカンさん

コメントありがとうございます。

迷子になった心は、一人ではもう帰って来れないから
迎えに行ってあげないといけない、そう思っています。
それは今ある自分から逃げないで
また道を見つけていくことなんでしょうね。
病気やら、いろいろあって
精神的に参っていたこともあり
少し、いろんなことを休んでいました。
自分のペース配分が、まだはっきりと掴めていませんが
また、ダメもとで、戻ってみようかと考えています。

迷ったら、取りあえず、進んでみる。
たぶん、それが
いちばん、わたしらしいので…。
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2009/02/24 19:43
もこもこさん

コメントありがとうございます。

緩め具合、これが、なかなか難しいように思えます。
元来、怠け者らしく、緩めてしまうと
全部がゆるゆるになって、自分がなくなってしまうのではないか
そんな不安があります。

どこかでちゃんとしていなくてはいけない
そういう強い感情があります。これもまた、トラウマの一種でしょう…。
生きていくうえで
足もとの怪しい場所に踏み入ることもあり
そうなると、罪悪感やらが襲ってきて、大変です。
自由に生きたいと望んでいながら
いろんな物に縛られ、たぶん自分が縛っていたのだろうけど
もったいなかったかも…と過去を振り返りもします。

人と欠点の表は長所と呼ばれるので
どうしようもない自分を、、守ってあてないと
大事な自分も失ってしまうかもしれない。
緩やかに変わっていけるのが、一番いいけれど
大幅に変えようとすれば
やはり痛いものでもありますね。

いわば、過渡期にさしかかっているのかも…。

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2009/02/24 19:16
コロさん。

コメントありがとうございます。

確固たる自分があったつもりですが、
崩れ去るは大袈裟ですが、揺れることがあります。

父のことを言えば、社会からこぼれ落ちた人というより
若い時に受けた傷から立ち治れず、
その怒りを家族にぶつけながら、自分を維持していた
という方が正しいかもしれません。
だからこそ、家族を支配したがりました。
訳の分からない理屈をつけ、時には暴力を使っても。
それに対抗すべく、身につけたのが、正しいという規範で
お酒で荒れ狂う父の前で、小さい娘が恐れず
睨みつけながら、気迫で偉そうなことを言うわけです。
仁王立ちになった父は、振り上げた拳を振り下ろすことができず黙りこくりました。
自分の中でも小さな奇跡でした。
どこかで、父を普通に戻せると思ったのかもしれません。

結局、父とは別れて暮らすことになりました。
わたしが思春期の時でした。
次に会ったのは霊安室でした。
父と暮らした年月より、父のいない年月の方が長くなっていました。

幼い頃、父との葛藤の末、成り立っていたものが
わたしの心の骨格を形作っていましたから、
大きく揺れました。

わたしは父の晩年に登場した末娘で、大人びていても
父の真の姿や闇がどこにあるか、知ることができませんでした。
幼かったので当たり前なのです。
人は経験を摘んだり、ある年齢にならないと、分からないことが
やっぱりあるのです。

たぶん、わたしは間違っていなかったと、今でも確信があります。
あの年齢の少女にしたら、よくやったと。
事情を知る人はみんなそう言います。

でも、知れば知るほど、人の内側というものは
どうしようもない部分があり、弱いところもあります。
それに気付いてくるのですね、自分自身も含めて…。

間違っていないのに、哀しいということは
生きていく上での、仕方のないことにひとつなのでしょうね。

人に興味を持つことは、ものすごくあります。
人の傷に惹かれてしまいます。
助ける手立ても、自分の中に見つけられないので
危険なことでもありますが…。





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2009/02/24 11:58
とても真っ直ぐな人なんですね。
何が有ったのかは測りかねますが、許してあげても良いのでは無いでしょうか。

そして、たまには、力を抜いてみるのも良いのではないでしょうか。

どうぞ、ご自愛ください。
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2009/02/24 01:08
阿衣さん

コメントありがとうございます。

人との違いを楽しめるようになれば、
お付き合いの達人になれるでしょうね^^

社会に出てからは、むしろ、正しいと思う規範が
胸にあった方が、わたしにとっては
ぶれがなかったように思われます。
仕事や社会はどちらかというと、正しくなことを強要する場合が多く、
心中で葛藤はありましたが、まさに妥協と中庸ありで、
自分なりに仕事の中に正しい解釈や方法を探り、ささやかですが実践できる
手助けになっていたように感じています。

人間関係においては微妙な部分もありますが
相手に強要するのでなければ
「それは違うと思う」と言って、喧嘩ではなく、絶対に拒絶ではなく
価値観の違いを話し合ってもいいかなと思ったりします。
それで、お互いの背景が分かり合えたりすると
違うからこそ、仲が深まったりすることもあります。
これは、若いうちかな…。エネルギーのいる作業ですから
だんだん面倒臭くなってくるので…^^;;
若いうちに友人をつくれというのは正解だと思います。つくづく…

正しいというのは
生き方においてかもしれません。
それが自分の内側にあると、正しくないことに陥ってしまった自分を
頭では仕方がないとわかっていても
心が許さないということがでてきます。

一番の強敵は他者ではなく
自分であったりします。
そう言う意味で、わたしは自我が強い人間なんだなと
ため息をつきます。


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2009/02/24 00:10
ルルさん

コメントありがとうございます。

老荘思想を少しだけかじったことがあります。その時は心に落ちたことも
多かったのですが、すっかり忘れてしまってます^^;;
ちょうど父が亡くなって、すぐのことだったと思います。
いろんな混乱の中でした。
でも、覚えていないということは、理解していなかった等しいかも…^^;;

本当に強くなれれば、優しくもなれません。弱さを知れなければ
強いというものが、どういうことをいうのか分からないような気もします。

水の如くですか…。水のように形をかえたいけれど、
あらゆるものに捕まってしまうのが
人の生きる宿命でもあり人間社会でもあり、そこから自由になれと
示唆しているのでしょうか。難しいことですね。ホント…。
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2009/02/23 21:32
人は絶対的なものを理解することは出来ません。他のものと比較することでしか、そのものを理解できません。つまり、人は相対的にしか判断できません。

それでも自分が正しいと思っていることとは反対の意見でも、正しいことがあります。ということは、「正しいこと」と「間違っていること」以外の対立があります。それは、両極に相反する「正しいこと」があります。

「これからも強くなければならない」。その反対は「これからは少しは弱いところを見せてもいい」。反対ではない? でも、これ以上は譲れないでしょ。この中間に妥協・あるいは中庸の答えがあるのではないでしょうか。

新しい答えが見つかるといいですね。
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2009/02/23 20:54
強さには種類があると思います
コンクリートのように硬い物
竹のようにしなやかな物
硬い物は壊れやすい
竹のように加わった力を吸収してしまう事が
自分に負担をかけない重要なポイントだと思います
黒猫さんもたまには逃げても、諦めても、バックオーライしても、すねても、いいんですよん
おっしゃる通りやることだけやってれば、
神になる必要はありません人間だから、、
生意気な事言ってすいません
とても魅力的な御自分を責めないで
どうぞご自愛ください、、
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2009/02/23 20:12
アッシュさん

コメントありがとうございます。

たぶん、わたしにとって最善の選択だったのです。
そうであることが、次のブログにちゃんとした理由をあげておきますが…。
もし、楽に生きれる立場だったら、そうしていたと思います。
環境のなせる業ですね。
今では、ズルをしたら悪いように流れていくので
人から見ればしんどいように思えても
このスタイルでいく方が、結果的には楽という感じです。

迷いは幾つになってもあるような気がします。
それに、アッシュさんは自分でいうほど、いい加減とは
思えない気もします。
本当にいい加減な人は、自覚がない場合がありますから^^;

自分とは全く違うものに心惹かれる
ない物ねだり的なところ、たぶん、わたしにもあります。
アッシュさんのように生きている人に興味を持つこと、あります。
ただ、
わたしの場合はもっと中途半端な人間なので
だから過分なお言葉で、もったいないです。

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2009/02/23 19:31
きっと黒猫手毬さんは、真っ直ぐにずるい事はなるべくしない人なのですね。
私はそういう人に強烈に憧れます。
自分がなれない分、そういう人がとても眩しく思います。

でも、もしかしたらもう少しだけリラックスしてもいいのかもしれませんね。
今まで気丈にがんばってきた分、少し肩の力を抜くのもいいのかもしれません。


形の無いものを信じられないと残るのはモラルだけだよ。
とても美しい世界だけど、それだけではきっと楽しくないよ。

これは私の大学時代の先生が言った言葉です。

いろいろ斜めに見てみたり、夢物語を次々と口にしてみたりする間の抜けた大学生に
慰めというか、深い意味はなく言った一言だと思うのですが。

いろいろなことで、自分を律しすぎないで、たまには甘やかしてくださいね!
その辺は個人的に超得意なので、やり方わからなかったら教えます♪
自分に対しては、ブラジルのお菓子くらい甘いですから、私は・・・・


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2009/02/23 18:15
親子であろうと兄弟であろうと、
生まれてきた以上はそれぞれの人生がある。
自分の人生は人に敷いて貰うレールじゃないから。
自分の責任の中で最後まで生をまっとうしなきゃいけない。
人間は正ばかりじゃなく負の部分も抱えてるからこそ、
人間なんじゃないかなって思う今日この頃。
霞を食べてる仙人、聖人君子なら人間でなくていいもんね。

私は苦痛とゆーものを経験できる人間でよかったって今思える。
それがなかったらとっても大切なことがきっとわからなかった。
人を憎むことはいともたやすいことなのに、
許すということはなんて難しいことなんやろうね。
自分を許してあげることも大切なことなんかな。
ぎゅうぎゅうに縛ってばっかりじゃ永遠に痛みからさよならできない。
また次の新しい痛みを知ることも必要。
人生苦痛ばっかりでもないけど。
世の中、人生捨てたもんじゃないよね^^
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2009/02/23 16:41
自分の弱い部分を見つめる事が出来て、受け止める事が出来る人は、
とっても強い人だと思うし、人間としての器も大きくなると思います。

もし、カサブタをはぐ時期が来ているのなら、カサブタと向き合ってみても
良いのかもしれません。
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2009/02/23 16:00
状況がよくわからない為、何とも言えませんが、
許すって事はすごく大事だと思います。
前に(しかも良い方向へ)進む為にも、許す事が出来たら、その第一歩になると思います^^

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2009/02/23 13:59
辛い時、困った時、寂しい時があると誰かが傍にいてくれて
いつも助けてもらってる気がします。

愛とか恋とかはきっと
帰り道を見つける為のおまじないなのかもしれません。

良い1日でありますように♪
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2009/02/23 10:03
人と絡んで 生きるのが しんどくて・・・時々 一人 引きこもる...φ(。。*)イジイジ...
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2009/02/22 23:56
いままで困ったとき迷ったときに、多くの人に助けてもらいました。
不思議とそういうときにかぎって新たな出会いがあったりします。
長く続く縁もあれば短いものもありますが、ご縁ってのは不思議なもんです。
自分もそうあるために、二の足を踏まないように~なんて思ってます。

明日もいい一日でありますよーに~。
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2009/02/22 23:50
「正しさ」はひとつの指標だとは思うのだけど
絶対視してはいけないものだと思ってる。

ゆえに「正しさ」しか理由がないものは採用しないし
「正しさ」だけを理由にひとを説得するようなことはしないようにしてます。
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2009/02/22 21:38
お邪魔します<(_ _)>
 
 環境や経験によって人柄は少しずつ少しずつ
変わっていくようで
 いい色を取り入れて、自分の悪い色を少しずつ
薄めて変えていく
 そんな風にして自分の色は変わっていくんで
しょうね^^
 
 帰り道を塞いでいる障害物が早く取り除けますよ
うに <(_ _)>  

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2009/02/22 20:46
わたしはかつて「わたしだったらそんなことはしないわ!」と
相手を糾弾しておりました。

でも…人それぞれ事情があり、悩みがあり、弱さがあり、葛藤がある。
その人とわたしの常識の尺度や価値観は違う。
「あなたとは違うんです」
悪い意味ではなく、みんな違うのだと。
違っていて当然で、違っていてもいいのだと
理解できるようになって…また間口が広がりました。
楽に流れるばかりでもいけないけれど、締め付けてばかりでは壊れてしまう。
それを知ることは…ある意味ではずるくなることかもしれませんが
そういうことも含めて…多様な方向性を見出していけたのなら
それはそれでいいのではないのかな…と思ったりします。
アバター
2009/02/22 19:19
そうですね・・・。

僕は実社会では挫折が多いかな・・・。

それでも、頑張って生きてます・・・。

自立とは基本的に確固たる自分があることが前提だと思います。
だから、強く生きなければならないというのは、間違ってませんよ・・・。
「根本は間違っていない」のはそのとおりだと思います。
少し頑なになっていただけでだと思います・・・。

そのうえで、僕は人と接し自分の考え方を少し変えていくようにしています。
いろんな人の意見や考え方は案外面白いものです・・・。
だから、人に興味を持つ事を僕は大切にしています・・・。
アバター
2009/02/22 18:23
正しいことが最善ではない

社会に出て世界を見て視野が広がるほどに
そのことを痛感されたことでしょう

中庸と許容

あたしも最近になって
自分と価値観の異なる人を
「それは違う」
ではなく
「どうしてそう思うの?」
そう歩み寄り
受け入れようという気持になってきました
アバター
2009/02/22 17:48
私も黒猫手毬さんと同じように考えることがあります。
正しいことが正解ではないと痛感する毎日です^^;
そして何があっても強くありたいと思う反面、弱い自分もいるんですよね。。

以前、セミナーで聞いた言葉で、心に残っているのは
「強い人間になりたいと思ったら、水の如くでなければならぬ。」 
.... 老子のお言葉らしいです(*´ェ`*) 
自由に形を変えることができること、それが本当の強さである..
とても難しいですね。。
アバター
2009/02/22 17:06
僕は、黒猫手毬さんと異なり、かなりいい加減なモノの考え方をしてきました。
そして、今もそうです。
良く言えば、融通がきく。
悪く言えば、なんでもあり、ですかね。
可能な限り要領をかまして、手を抜けるところは全部抜く。
このスタイルでしたから。
そんな僕でも、それがベストだ、と言う信念があるわけではないのです。
楽な方へと進もうとする力が、そうさせるのでしょうかね。
だから逆に、黒猫手毬さんのような人を、尊敬し憧れに近いものを感じます。
自分に無いものに対する、羨望ですかね。




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