見ていたもの
- カテゴリ:人生
- 2008/10/27 20:37:02
最近、近所で工事が増えている。
隣接する所から、通りの向こうに見えていたビルでもそうだけど
驚く程高層ビルが増えている。
報道で聞かされなくても、都市開発の為に景色が変るのは分かっているけれど
自分が暮らした街の至る所で、それなりに空が見えた。
東京の空は四角くて暗いといつも言われるけれど
空は空、ただ無碍なものじゃなく、そこに空はあったのだけど
どんどん狭くなっていく。
いい所ばかりじゃないのは知っているのだけど
住めば都だからか、便利にだけ馴染んだのか
晴れた日の青い空も、そこに映える赤いタワーも好きなのだけど
今こつこつと伸びているハイソな建物が、覆っていく。
どこまで伸びるのだろう。
ちょっとだけ寂しくなった。
何年も前に元気だった祖母から聞いた言葉から
私の知らないこの町の景色を教わって
あまり失われないで欲しいものが、なくなっていたのだなと思った
最近の変化を見て、失われる代わりに、得るものがあるんだろうと思う
だから悪くはない
ただ単に、寂しいだけだ。
見えたものそのものが、この世から消えるんじゃなくて
ちょっとだけ、見えにくくなるだけ。それだけ。
友達だと思う人と会えなくなっても
寂しくなるだけ。それだけ。
目に姿が見えないだけで、想う気持ちは変らない。
寂しいのは、想うから。
だけど、大切に想う事ができないより、ずっとずっと幸せ。
想い出になるのは、現在進行形の気持ちではなく、過去の記憶だから
空しさや切なさが絡み合うことも多い。
でも、きっと宝物。
見えなくなっても、見えていたものは、宝物なんだと思う。
多分(←)
ぬぬ、ヒッチコックっすか!どうしても、鳥の恐怖を思い出す…これも思い出?w
ふたをあけるたび、素敵な想い出がそっくり現れるの。」
・・・・・・・・・・・・・(REBECCA)
>だいくんさん
都内の自治体はそれぞれに頑張ってるかもしれないけど、それにしても時代の流れというのか
古きよきもの残すとか、文化的に扱うとかがないまま、建物や店もどんどん減りますなー…。
人が増える為に増やしたマンションもビルもテナント募集の告知が貼られてるの見て
こんなもの貼る為に新品の壁があるわけなかろうになーと思ったり。
ツッコミきやすい所かとも思ったけれど、やはり生活圏が近い人は、寂れる街を知ってますよねー
真面目なつもりなくても、勿体無い、残念の気持ちが強くなっちゃう。
リサイクル精神なんて、実際はこんなもんですぁーなー(投げやりだw)
>裕二さん
智恵子は言ったんだね!(何をだよ)
時間が過ぎれば過ぎる程、記憶の中で変形しやすいし、同じ記憶を共有できる仲間が減るような
そういう気持ちなのかなー。でも、自分が大事にして変形させずに守っていたら
理解されるかもしれない。婆さんみたいに、大事にしよーと思うでやんすーっ
>はすみさん
ああ、ストリートビューってそういう使い方もあるのかー。
建物や、少々の店の入れ替わりで気にならない事もあるけれど
思い出ごと変形してしまったような景色の違いは、空しさなのか冷静な動揺なのか
自分に変化を与えますよねぇ。
思い出は、指折り数えて確認する事ができないものだから、どうにももどかしいですなー
ありがとっす。
>かなうさん
ぅぅー。聞いてー聞いてーっ東京銀座も高さ制限あるのに、密かに高さ制限なくして
高層ビルやブランドビルばっかりにしよう計画があるんっすよー…しくしく。
古いデパートの時計塔が一応都内観光の一つになってるし、銀座の静かな高級感を
新しいだけで派手な高層ビルの街にしない価値観は
今の都庁内には余りないみたいだー
とか、愚痴ってみたり。
京都の景色も、なんだかぽつぽつ変化しているようですな…。勿体無い。
戦後の歴史見たって、復興の為にと頑張った事実と、それに伴い失った大きいものが沢山あって
それが分かっているはずなのになぁ…。残念なことですぬー
>さんじうさん
昭和!もう平成も成人したという昨今、つい昭和同士に仲間意識が!w
ぽち感謝ー♪
昭和よりステプをぽちっと( ´∀`)σ)∀`)
でも、マンション建設があちらこちらであって、古い
町屋も少しずつなくなっています。
失う代わりに得るものがあるのは確かだけども
両者を秤にかけたとき傾くのはさてどちらか・・・・。
なんだか、せつなくなってきた。
>Marさん
景色は日々変り、時々それに触れられるのは照らし合わせる記憶があるから。
切ないけれど、大人になった事、忘却という完全な喪失でない事、素敵な事だけど
秋口の、セピアに近い彩が、そう思わせるんですかね~?
アンニュイとか、センチメンタルとか、そういう気持ちになる時もありますよねー
そういう経験を積んでいくのも、大人になった証…ですかね?
>タケタさん
思い出になるってのも、ある形におさまって、そのまま生き続ける
生まれ変わりみたいなものですよね。そのまま、心で大切に活かしていけばいい。
自分の活力になってくれるものでもあるし、時には心が引っ張られてしまうけど
無理に背負うものというのではなく、自分に丁度いい大きさの宝物かなって
私も思いますー。
>トラネコ隊長
未来を見たり、今を見たり、目を逸らしても思い出すこともたまにある過去があり
人はあっちこっち見なくちゃいけなくて
大忙しですよねぇ。
だからふと、むちゃくちゃデカいクレーンが、高層ビルを積み木みたいにぐんぐん伸ばしてるのを見ては
あー。って思っているだけで、すぐに夕飯の献立とか考えますw
そうやって、毎日って一日も同じ日じゃなくなっていきます。はふー。
>あるまじろさん
そうか、そうですよね、人が生きているから、そこに街づくりをする…でも、町が反映する為に
人が生かされるより、経済云々…そういう事もありますもんなぁー。
時が経てば、あるべきものも古いものと言われるのは仕方がないけれど
何が人に新しいものを求めさせるのか。もしくは街の方が新しくなろうとするものなのか。
何なんでしょうかねぇ~?
道の形はたしかに同じなのに、そこにあるものがことごとく違う。
夜中だったせいもあり、このサイトで見たことなのか
その後夢で見たことなのか、記憶が混乱している。
逢いたいと思える人さえ、誰がいたのか、思い出せないほどの過去。
ぽちっとな。
どんな形であっても自分の心に息づいてるのはきっと宝物だと思います。
大事に心の宝石箱で保管しておいてくださいね^^
気付いてみれば、子供の頃に遊んでいた広場は無くなってしまい、昔ながらの商店街も寂れてしまっていました。
都内の、しかも商店街の中にあった温泉の、その風景が好きだったんですけど、今はマンションとなり。。。
いつの日にか、その景色を覚えている人も少なくなっていくのかな、と思うとより寂しさが増しますね。
失われる代わりに得るものも多くあると思います。
でも失くしてはいけない大事なものが失われてしまっている気がします。特にこの数年。。。
う~ん、合わないな、真面目なコメントはw
もうどっちがどっちだかわからなくなりましたからね。
ただ、寂しさや切なさや空しさに絡めとられてしまうのが怖くて。
つい、過去から目をそらしてしまいます。
それがいい思い出てあっても。悲しい思い出てあっても。
頭の中にのこっている。その時は、寂しくて、悲しくて辛くても。
人がいなくなり、遠くにいても自分の歩いてきた道は
すべてが宝物だと僕は思います。
ブランコや鉄棒の低さ、小ささに驚いたものです。
大きくなったのは自分ですのにね。
また、数年してからその公園に行ってみたら、大きな公営マンションが建っていました。
公園に続く道なりもすっかり無くなって。
とても寂しい気持ちになったのを思い出しましたよ。
幼い頃の写真を見る度に思い出します。
場所、人、空気、匂い、土。
遥か昔の記憶が、色々とね。
秋口はしんみりしてイケマセンねw
おじゃましました^-^