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タイ首相、カンボジアに武力?


 【バンコク時事】カンボジアとタイとの国境未画定地域にある世界遺産「プレアビヒア寺院」遺跡をめぐり、カンボジア政府が「国境問題でタイが武力行使に言及した」とアピシット首相を非難、両国の対立が激化している。
 カンボジア政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界遺産委員会に提出した遺跡周辺の管理計画に対し、タイ側は計画に自国領土が含まれていると反発。同委に「受け入れるなら脱退も考える」と迫った。同委は管理問題を先送りした。
 タイの反タクシン元首相派「民主市民連合(PAD)」系団体は今月7日、バンコクで集会を開き、カンボジアに武力行使を含む強い態度を示すよう政府に要求。アピシット首相は翌日のテレビ討論で「武力行使は最後の選択肢だ」と述べた。
 カンボジアのフン・セン首相はこれを受け、アピシット首相が武力行使に言及して脅迫しているとの書簡を国連に送った。アピシット首相は「誤解であり、文脈を無視した誤引用だ」と弁明する書簡を国連に出すなど火消しに躍起だ。(2010/08/14-06:09)


http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010081400046



タイ王国とカンボジア王国の二つの王国の国境紛争の始まりは、20世紀初頭にフランス

がベトナムを植民地化した事から始まっているようです。

20世紀初頭フランスがベトナムを植民地とした際に、カンボジア王国の一部とタイ王国の

一部をベトナムの一部として 『フランス領インドシナ』 と言う名前で統治していたのですが、

第二次世界大戦が始まって以降、旧日本軍がタイ王国と同盟を結んでフランスから

タイ王国の国土を取り返す戦いとなりました。


当時フランスがアヘンを作らせたり、反抗するものをギロチンで殺す等の行為に、タイの

人達から反感を買っており、近代装備を持った日本に協力してフランスを追い出そうと

したのですが、1940年にドイツがパリを陥落するとフランス軍は日本と戦う力を失い、

1941年には東京でタイ王国とフランスが条約を結び領土を返してもらいました。

その時 『プレアビヒア寺院』 周辺の土地は一時タイ王国の土地となったのですが、

1945年に日本が敗戦し、タイ王国の後ろ盾がなくなると国境があやふやになってしまいました。


その後1946年からベトナムが独立を掛けてフランスと戦争を開始。

第一次インドシナ戦争から第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)へと発展して行き、

アメリカ軍もベトナム軍もタイ王国やラオス王国等を巻き込んで戦争していた為、

国境問題は棚上げとなっていました。


1962年に国際法廷で『プレアビヒア寺院』周辺の土地がカンボジアの土地とされたが、

国境は今だにあやふやのままで、2008年にプレアビヒア寺院が世界遺産に登録されると

紛争が再燃し紛争状態となってしまったのです。



今回はタイ王国が「国境未画定区域からカンボジア人を強制排除する」と言い出した事が

原因でカンボジアの首相が国連に提訴したようですが、タイの首相はユネスコの世界遺産

が国境をまたいでいるからこうなったと言うことらしいです。



玉梓は東南アジアの平和を願います。


 

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