初めて公判記録を読みました*・*
- カテゴリ:日記
- 2010/08/19 12:22:36
ちょっとしたきっかけで、過去ニュースで見た犯罪の内容が
報道されていた以上だったことを友人のブログ記事で知り、
色々疑問点もあってひっかかったので真偽はどうなのだろう?と
初めてその公判記録を読んでみました。
重大事件の公判記録がネット公開されているのにも驚きましたが、
内容があまりにもあまりにもなので、
恐らくそのひどさから報道ではふせられていたのかなという部分も多々あって
本当に驚きました*・*
(たぶんあまりにひどくて報道されなかったのでしょう)
記録には、加害者それぞれの家庭環境や素行履歴などもあって、
いきなり凶暴な加害者となったのではなく、
環境や色々な要因があってそうした事件に発展していってしまったのだということが読み取れました。
加害者全員に共通していたのが、家庭崩壊とある種のいじめ経験。
物語や映画なんかによく出てくるように、
家庭不和、愛のない家庭環境、そしていごこちの悪い学校生活・・
絵に描いたように実際こうしたことが積み重なって犯罪に結びついてしまうなんて・・
共通して読み取れたのが、親が下地ともなっている
数々の小さな犯行の積み重ねを忙しさもあって見て見ぬ振りをしていたこと。
そして、重大犯罪を犯した事に対して、少年たちの親が他人事のように反省の色が
あまりみえず、親によっては被害者のほうが悪い的な態度をみせていること。
ここ数日、あまりにも現実とは思えない残酷な事件全貌、
被害者の無念さなどが気になって眠れませんでした(;ω;)
いろいろ随分と考えさせられる事件でした。
友人で裁判員の依頼がきてその仕事をした人がいるのですが、
かなり大変で猛勉強したそうです。
裁判員の依頼が実際くるかどうかわかりませんが
万が一このような重大事件に関わったりしたら
それこそ一生寝不足になりそうです*・*
愛情の薄い環境から犯罪の芽が芽生えるなら、
逆に考えると、犯罪抑止?には愛情しかないのかもしれませんね。
でも、公判記録に恵まれない環境でも、立派にやっている人もたくさんいる。
その環境に甘んじて悪くなっていったのは自分の怠慢である、
的にきびしくばっさりあったのもちょっとびっくりでした。
でも、たしかにそうですね^^
愛情もあって環境もよくて、言う事なしの状態でも犯罪犯す人もいるし、、
一概にはいえませんが、人が人を裁くということ自体、
本来なんの関係もない部外者が他人のケンカの仲裁をしてその判定をするようなものですものね。
でも、裁判制度がなければ大変なことになってしまうし・・
江戸時代、悪い事をすると、確か額にはじめ「一」と入れ墨をいれられ、
前科4犯で「犬」という字にされたそうですが、
ある意味わかりやすいですよね^^;
私はハムラビ法典のように「目には目を」だと人を傷つけたり殺めたら、
まったく自分に同じことがかえる、という意味では分かり易いと思うのですが、
ただこれだと過失とか情状酌量の場合、かわいそうな気もするし、、
いずれにしても、現在の裁判官も、死刑執行の人も、
直接犯罪とはなんの関わりもない人がしなければならない、という
自ら業を背負う仕事なので、本当に大変だと思います。
裁判も法律も必要だけれど、人が人を裁く、ということが
どんなに色々な問題をはらんでいるか、ムズすぎる問題ですね*・*
運はあるかもですね・・
でも、かなり色々な要素が複雑に入り組んで結果が生じる気がしました。
うふふふ・・
その通りだと思います。
今時のコは親がなんでも手も口も出し過ぎで
こどものすべき経験を取り上げてしまい気味だと思います。
我慢を覚えさせること、大事ですよね^^
あと、やはりケンカとか子供のうちにで色々な痛みをしっておくのも大事だと思います。
自分がたたかれたら痛い、とか。
そうですね^^
今回の件でずいぶんかんがえさせられました*・*
今回の公判記録を読んでいて思ったのですが、加害者が複数の場合、
証言も考え方、味方によってかわってくる場合もあるし、
どこまであったことを正確に掘り下げて繋ぎ合わせられるのか?という技術的な部分も
ムズなのだろうな?と思いました。
しかも、日数が経っていると、細かな点などの照合もムズになっていくのでしょうし・・
実際加害者たち全員服役して今は社会に出ているのですが、
そのインタビュー記録も読んでみて、中には本当に反省して更生を考えて
一生懸命勉強して努力した人もいたようなのですが、
こえださんの仰るように、被害妄想や現実社会の厳しさから
(一度起こした凶悪犯罪者へのものすごい風当たり)元の道に戻ってしまう場合もあるようです。
身から出た錆とはいえ、過去から学んで更生しようとしている人を
護ってあげる社会のシステムも必要な気がします。
(異論もあるでしょうけれど、どんな犯罪者でも、真に更生する気持ちがある人は
なんとかしてあげたいです)
余談ですが、仏陀の教えをうけて残虐非道な人物から真逆の人間へとかわったアーナンダ、
他にも過去犯罪を犯しても、後悟りを開いて高僧となった方、
ちょっと変わり種でアフリカのジンガ王女、
恐らく精神の深さがなければそこまでたどり着けないのかもしれませんが、
昔暴れてかなりのワルだった人がその経験から横道にそれそうな若者のいい相談役になって
頼りがいのあるいい大人になっている場合もよくききます。
裁判制度、裁判するだけ、施設におくるだけ、更生の手助けをするだけ、
ではなく、システムがつながってうまく回るようになるといいですね。
難しいことかもしれませんが、更生見込みがある人々に対しての
社会の偏見、レッテル貼り、煽動はどうかと考えさせられました。
その加害者を見つけ、殺してしまいたいと思うと思います。
被害者とその大切な人たちの苦しみを代弁してあげるためには、
加害者の生い立ち、その他、情状酌量・・なんて、本当はありえない。
人が人を殺していいはずがないです。
逆に被害者が加害者に対してひどいことをしていれば、そこにはじめて、
情状酌量・・刑の軽減が認められるのではないでしょうか。
加害者が罪を知り、悔い改められる環境がなければ、また、次の被害者を生むことになるけれど、
心を改めて刑務所から出てきても、もっとつらい現実で、心の弱い加害者はまた、もとに戻ることに
なることのほうが多いようです。
家庭不和。愛情の欠如。社会からの阻害感。
それは、裁判ではなく、他の機関で、その状態から抜け出せるような対策が必要なのだと思うけど、
最近の児童虐待への介入を見ていても、まだまだ白紙に近い状況で、悲しいです。
私も裁判の仕事は請け負いたくないなぁ。死刑執行とか絶対にいやです。わがままですね。。
責任取る能力がないのなら、キッチリ治療しないといけないのに、ほぼ放置だから。
今は何時裁判員になっちゃうか判らないてすからね、難しいけど考えないといけませんね^^;
人が人を裁く。。。。難しいですよね。。。
職業として選んだ道。。。と言ってしまえばそれまでですが、
死刑執行・・・・4人で同時にボタンを押す。ってやり方だったようですが
仕事だとはいえ、それは辛いことと思います。。。
小さいことだけど、例えば携帯の学校持込禁止。と校則があるにも関わらず
平気で子供に持たせる。。。(ダメっていっても言うこと聞かないから。)とか
いい事・いけない事。ガマンすることをさせない親が少なからずいる。。。そういう世の中。。
やはり、ガマンする。という根性も必要。。。だと思うんだよね。。。
(我が家だったら、携帯真っ二つに折るけどw)
話がそれた感じでごめんねw
ことと現実の中のこととではそれだけでも全然違うと思うのでまったくわからないですよね。
環境がちがうと同じことに対してもちがう受け取り方とかをしてしまうだろうし・・・
だから裁判員の依頼が来ることが・・・嫌です。
もう本当に努力したことが、相手には迷惑と取られることとか…
何もしないで楽をした人のほうが、スマートに好かれたり。
人の中の機微は経験して見ないとわからないことばかりだし、運もあるから余計にわからないです。