Nicotto Town



職人の悲惨な生活

小説のほうは 予定より早く 最終回にしたので

リアリティーを出すために 混ぜられている

真実の部分

「職人の暮らし」について 書いてみましょう。


ジュエリー加工の職人です。

労働時間 これは 書いてあるとおりです。

朝8時から 夜8時まで 昼休みを除いた 11時間。

そして 休日は 第一 第三日曜日。

この休日以外の日曜日は 早仕舞い 

夕方の6時です。

これが 弟子たちの 時間。

親方は それ以上に はたらいているのです。

第一 第三日曜日にも 働いていたりする。

春に 上野公園に 花見に連れられて行きました。

大勢の人で あふれています。

おでんの串を買って 道端で 立ったまま食べながら

「べつに おもしろいこともないなあ」

そう つぶやいていました。

自分のために 花見に出かけたのではなく

遠くからやってきた 見習い弟子を 花見に連れて行った

そういうことですね。

そうして 働きづめの毎日

ある日 席をはずして なかなか 帰ってきません。

ずいぶん時間が過ぎて 兄弟子がトイレに立つと

横になっている親方を発見

頭痛がするからと 休んでいました。

こんな人が 仕事を休むというのは

そうとうひどい頭痛です。

やっぱり 脳溢血でした。

人生の楽しみ方も なにも知らないまま

働きずくめで ある日倒れて そのまま帰らない人となった

これが 当時の職人の暮らし。

職人の悲惨な生活とは 

長時間 低賃金の見習い弟子のことではなく

親方のほうなのです。

一方で オーダーの仕事を発注していたデパートは

材料費 30000円
加工代 10000円
合計   40000円

客の支払額は 100000円

オーダーで 100000円の品物
職人の取り分     10000円
デパートの取り分   60000円

1000万円の商品でも
職人の取り分        5万円
小売側の取り分500~600万円

といったところでしょう。

この 5万円も 親方から 独立した弟子にまわすと
弟子の取り分 3万円ぐらいかな。
こんなところで 搾取がある。

一生 職人のままで過ごした この親方は

しあわせだったのだろうか。

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2010/08/24 21:56
有明@勝弘さん
えっ そうお そんな 恐怖小説じゃなかったと思うけど
生まれ とか 育ち の 秘密を解明していくお話
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2010/08/24 20:27
嘘―その昔僕が死んだ家読んだら怖くて寝れなくなっちゃった!
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2010/08/24 11:28
もっと 年取って 引退して のんびり 旅行などしたり 
孫をかわいがったり
そんなことができるまで生きれば ちがうと思えるけど
ここまでで 終わると 一生 資本家の奴隷だった
わずかな金銭を受け取って 資本家に利益をもたらすために働いていた。
だって 独立したお弟子さんは ときどき ここに来て プラチナを溶かして塊から棒にする作業をしていたんです。
独立して生計をたてていながら 酸素バーナー酸素ボンベなど 自分で買い揃えられないで 交通費をかけて来てたの。
父も弟子を何人育てていたけど みんな独立して店を出してた。小さくても一国一城のあるじ。資本家の奴隷にはならない暮らし。呉で職人から宝石店という人はみんな父の弟子だった。
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2010/08/24 08:48
職人でも親方になれる人というのは
人を育てることができる度量がある人なんですよね

どうだろう・・・
一生涯職人のままで過ごした親方は幸せだったかどうか

仕事そのものが、(つくるだけでなく、若いのを育てるというのも含め)
厳しくはあっても心底好きであったなら
しあわせだったかもしれない

わかんないね・・・

ニコットさんのブログを昨日読んでいて、
ここでの仕事、ほんとに大変なんだけど
つらいと思ったことはない、って書いてあった
心に響きました^^ 職人気質、そう思ったわ

一方で・・・
「遊びをせんとや生まれけむ」って言葉があるけど
遊びは実はとっても大切
癌の末期の患者さんたちで
さまざまな成功を収めた人でも 
最後は 昔の子ども時代の、遊びの想い出を語ることはあっても
「もっと好きなことすればよかった」と後悔する人はいても
「もっと仕事すればよかった・・」と後悔する人はいないと聞きます。

だから・・・わかんないね・・・当人でないとね・・・




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