何を計っているのだろう
- カテゴリ:日記
- 2010/09/04 23:59:05
「計測」というのは難しい物で、一度悩むと、何が本当なのかわからなくなる。
例えば、二本の30センチ定規があるとする。
そのメモリを向かい合わせにしてみる。
どちらもきれいに一ミリごとに線が描いてあるはず…
…なのに、もし、メモリが少しずれていたら。
どちらかの定規が、狂っていて、片方は正しい…
かもしれないし、両方狂っているのかもしれない。
根拠の無い、気持ちの問題で言えば、ついつい、自分の所有で、いつも気に入って使っている定規を基準にして、もう一方を「30センチで0.2ミリくらいずれるね」などと思いたくなる。
しかし、実際はどちらがどれだけ狂っているかは、わからない。
こうしたことを考え始めると、どんな測定でも、本当に正しいかどうか、疑問に思うようになる。
幸い、定規だったら、狂っていても、使いようはあるし、日常生活の程度なら、何の問題も無い。
ところがである。
…さて、ここからが今日の本題なのです。
この夏は、暑い暑いと言われたが、その温度は、いったい何の温度なのでしょう?
テレビなどでは、気象庁発表の「気温」を天気予報などで言う。
この気温は、純粋に、空気の温度を計っている。
しかし、家庭で、温度計で計っている温度は、気温ではない。
『温度計、それ自身の温度』
これが表示される。
温度計によって計りかたは違うが、結局、計るのは温度計のセンサー部分、それ自体の温度。
だから、室内の気温は、本当は何度だかわからない。
そして、人間の温度の感じ方も、結局、温度を感じる神経の、その神経の温度である。
その場所の気温はわからない。
暑いと感じていても、「気温」は低いかもしれない。
簡単な例。
冬に、電気ストーブを点ける。
ニクロム線が赤く光る。
その近くでは、肌が火照る。
ところが、光を遮ると、火照らない。寒く感じる。
ようするに、気温は低くても、赤外線が当たっていると、その場所は熱くなるからだ。
九月になっても気温が高い。
僕の、室内の温度計は夜になっても30度を表示している。
でも、僕自身は、数週間前よりも涼しく感じている。
実は、建物の温度が少し下がったのである。
建物もストーブと同じように、太陽で暖められた分、赤外線を放射する。
だから、気温だけでなく、建物の火照りも、体は感じるのである。
日中の太陽の角度は、すでに秋に近づいている。
日没の時間も早まりつつある。
だから、建物の赤外線輻射は小さくなっている。
気温は、海水温などの影響で、太陽と地球の位置関係より少し遅れて変化する。
だから、太陽の角度だけなら、春と秋で同じ角度の日を比較しても、春のほうが寒く、秋のほうが暑い。
そんな関係で、今の時期、建物の輻射熱は下がっても、気温はまだ高い。
暑いんだけど、涼しい。
人が秋を予感するのは、そうした条件なのである。
え〜、わかりやすく書こうとしたら、話しが重複して、冗長的になってしまいました。
わかったかな?