Nicotto Town


およよ・れおポン


連想から妄想です

お題が「最近読んだ本」ということで、分野はなんでもいいわけですね。
ブログカテゴリには「本」が無いので、「小説/詩」になる。
いろいろと分類分けしたり、整理するのは難しいものだなぁ。というのは余談です。

最近、読み返そうと思って、少しだけ見て、断念した本が
「古事記」岩波文庫

第一刷が1963年で、現代語訳がすでに現代語ではないので、読むのが難しい。
どうも僕には、1963年当時でもすでに古い言い回しの現代語訳だと想像される。

もし今、古事記の現代語訳を読むなら、角川ソフィアの版が良いと思う。
古事記を読みたいと言う人がいたら、そちらを奨める。

それはともかく、ここからが本題。


古事記のもっともはじめのほう、「神代七代(かみよななよ)」の件(くだり)でイザナキ、イザナミに至るまでの神の名前を列挙している。

そこで面白いのが、どうやら夫婦の神であること。
二柱(ふたはしら)をあわせて一代(ひとよ)と数えている。
(神は柱で数える)
(最初の神は夫婦や性別にかかわらないため、独神(ひとりがみ)と呼ばれ、それで一代になる)

この夫婦の神が、夫婦であり性別がわかる。

(略)…次に伊邪那岐神。次に妹伊邪那美神。
つぎにいざなきのかみ。つぎにいもいざなみのかみ。

イザナミには妹と付けて書いている。これで、女性であることを明示している。
ちなみに、「神」が宗教的意味、「命(みこと)」が人格的な意味として使い分けられるのだそうだ。

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さて、そこから連想した。
小学校の社会の授業で、小野妹子(おののいもこ)を学習する時。

この、小野妹子は、飛鳥時代の遣唐使として知られる。西暦600年ころの人。

よくある冗談で、「子」だから女だろう、ということになるのだが、性別は男である。
「子」は、もともと良く勉強した人などの意味で、「賢」「聡」といった字と近いもので、性別に関係なく名前に使って良いのである。

だから、学校などでは「妹子」だけど男だよ。
今は変に感じるけど、昔はそれでよかったんだよ。
と説明する。


でもなぁ。
やっぱり変である。
古事記が西暦712年編纂の本で、「妹」を「おんな」として使っている。
小野妹子の頃でも、やはり「妹」は女の意味である。

当時の名前としても、珍しいんじゃないか?と感じるのである。

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今と昔で、名前の習慣で大きく違うのは、昔は、個人名であっても、社会的なものだったことだ。

地位などを名前に含んだり、社会的立場を言い表すのが名前である。

だから、幼少の頃の名前は、あくまで幼名であって、大人になったら名前が変わる。

と、いうことは?
小野妹子は、大人になってから、なにかちゃんとした意味を込めて、「妹子」にしたのではないか?

と想像できる。

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さて、妄想である。
「妹子」の「子」は、遣唐使になるくらいの人だから、文書の起草など、学がある人なのだろう。

問題は「妹」
わざわざ「女」だという名前なのだから、意味が無いとは思えない。

平成の世の中っぽく想像すれば、ジェンダー研究してる人の意味で「妹子」という名前でも良いような気がする。

いや、まあ、もっと単純に、
女みたいな男だ、という意味で「妹子」のほうがありがちだ。

生物としての人間は、性別が不明な場合がよく在る。
理由は様々だが、とにかく、性を確定できない。

字面だけ見ると、やっぱり、「妹子」は変なのである。

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まあ、ここまで、連想から妄想へ、書き散らしてみました。

妹子がインターセックスかどうかは、僕の妄想であって、マンガに描いたら面白いアイディアかな?とか、そういう想像です。

ただ、発想の種、
古事記でもはっきり「おんな」の意味で使われている「妹」という漢字は、古事記から遡ること百年ほどの時代でも、同じ意味と予想され、小野妹子の名前の意味に反映されるはずだ、
という部分は、

僕の、ちゃんとした考えです。

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