Nicotto Town


としさんの日記


「山男とサーファー」4


わずか十数人のキャラバン隊は、ディアミール渓谷から数キロ先に、ベースキャンプを張った。日本人メンバーわずか五名。他の十名ほどは、すべてポーター等であった。(史上二番目の小規模な遠征隊といえるかどうか分からないが)五人の男たちは、いまにも轟音をたてて崩れ落ちてきそうなディアミール氷河を目前にして、いよいよ途方もない計画を実行に移す、クライマックスの段階に来たことを感じていた。                               

 
キャンプを設営してから簡単な食事をとり、ポーター等を帰したあと、俺たちはウォッカを酌み交わしながら、第一回目の作戦会議を開いた。海抜四千メートル近い地点にベースキャンプを設置したのだが、幸いにして、誰ひとりとして高所特有の高山病にかかった者はなく、全員意気軒高で、俺を含めた五人の男たちの活発な意見がかわされた。                 

今回のナンガ行きに関して、俺は当初、計画発案の段階において、この計画が机上の空論に終わるような気がして、半ば諦めかけていた。あまりに突飛で、自殺的行為に近い計画を、友人等は止めさえすれ、賛同する者などひとりもいなかったからである。              
俺の企てた計画とは、ナンガ・パルバットの単独登はんであった。多少なりとも山を知っている者ならば、ナンガという名前の持つ響きに、ある者は憧憬の念を抱き、またある者は恐怖感を抱いたかもしれない。その理由は極めて明瞭であった。ナンガに挑んだ者は、ごく僅かな例を除いて、ことごとく死んだからである。                                 

そういう因縁めいた歴史があったからこそ、友人等は止めることはあっても賛同する者などひとりもいなかったのである。何百人もの人間をひきつれ、数トンにおよぶ荷物を運びこんだ大キャラバン隊がことごとく失敗しているのである。万に一つも成功すると思うはずがなかった。    
だが、もし俺の無二の親友がいきていれば、あいつだけは、まっさきに賛成してくれるに違いなかったであろう。海と山との違いはあっても、やむにやまれぬほど熱く燃え滾るものを、あいつは嗅ぎ取ったに違いあるまい。                                    
                                                                    しかしそれでも、俺の熱情を理解してくれる者が、ひとりふたりと現れた。こうしていま、車座になってウォッカを酌み交わしてくれる友人が、四人も同行してくれると聞いた時、俺は正直いって涙が止まらなかった。                                        

                                                                    あいつがもし生きていてくれたなら、きっと・・・・・・。




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