Nicotto Town


としさんの日記


「山男とサーファー」5


三、
 
 「やはり、メスナーの開拓したルートが、一番いいのではないか」

 俺の所属する山岳会の、最も気のおける山男であり、医師でもあるT氏は云った。
 ラインホルト・メスナー。偉大なるアルピニストの名である。

 一九七八年、八月九日、午後四時。
 彼はナンガ・パルバット初の単独登はんをやってのけた。しかも酸素ボンベを持たずにである。まさに無謀の一語に尽きた。しかし彼には、成功させるだけの裏づけがあった。ナンガの前に、彼はエベレスト無酸素登はんをきわめていた。
 世界の最高峰を征服した人間は、かなりの多きを数える。しかし、無酸素登はんとなると、極めて例がなかった。皆無と云ってよいだろう。その自信が、彼をナンガへとかりたてた。

 今回のナンガ行きに関して、俺はあらゆる資料を漁った。そしてついに得た結論は、ラインホルト・メスナーの完璧なるコピーとしての行動であった。

 高い所に行くほど酸素が希薄になるということは誰でも知っているところである。酸素欠乏によってもたらされる苦しみは、それを経験した者でなければわかるまい。実際二千~四千㍍程度の高所で、高山病のために亡くなった人間もいる。人間の体は、海抜0メートル地帯、すなわち高度0という状態が最も適するように作られている。
 しかしメスナーのやり方を踏襲するならば、徹底的な携帯荷物の軽減化と酸素ボンベを放棄しなければならなかった。とりもなおさずそれは、自分の命を守る為に必要な、体の一部といってよい道具と、食料と空気を、必要最低限まで割愛し、自らを生と死の一歩手前の極限状況下に置くことにほかならなかった。

 「君に一つ忠告しておく。いまさら止めろとは云えないが、無理だと思ったらそこで引き返すことだ。無謀さは勇気ではない。そこで引き返すことが、本当の勇気ある行動だと思う。駄目ならまた次がある。命は一度きり、スペアーはないよ」

 そしてT氏は医学者として、友人として、一つ一つ念を押すように、俺に様々な貴重なアドバイスを与えてくれた。




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