おじさん泣いちゃいます
- カテゴリ:日記
- 2010/09/25 22:59:57
本屋で、子供に言い聞かせる母親がいた。
「大きくなったら自分で買いなさい」
他にも「大きな本は…」という言葉も在った。
どういう意味かな?
男の子はまだ小学生にも上がってないように見える。
どんな本を欲しいと言ったのだろうか。
ただ、男の子の様子が、とても「…」
…どんな単語を使ったら良いか。
「真剣」ではあるけど、本が欲しいと強く主張しているわけではない。
だから、真剣とも言いにくい。
もっと、買えないことが辛いという雰囲気で、「深刻」と言いたくもなるが、陰鬱な感じは含まれない。
気持ちは沈んでいるが、鬱屈しているのでもない。
あるいは、「真摯/しんし」と表現される態度に共通する雰囲気があるが、状況は違う。
とにかく、本当に、その本が欲しいと伝わってくる。
会話の流れの中で、男の子が我慢しているのがよくわかる。
それでも、静かに「欲しい」と言った。
どの本が欲しいのかな。
そして、どんな理由で、その本を買えないのかな。
親の判断として、小さな子供に買っても、「しょうがないもの」「影響が予測できず、保留したいもの」「親自身がキライな種類」ということがあるかもしれない。
大人として、本の内容が予測できて、買うだけの価値が有るか無いか、判断がある。
だから、他人が「本を買ってあげれば良いのに」とは、簡単には言えない。
ただ、親が、子供の欲しがったものを、言う通りに買う瞬間というのも、あるような気がする。
「本が欲しい」と言う男の子の様子は、本を買ってあげるのに充分な、心が見える。
一生、心に残る瞬間というものがあって、手に入れて良かったと思えるものがあって、
だから、親も決断しなければならない瞬間があると思う。
母親が、本を買わない理由は、僕には判らない。
もし、しつけとして、日常的な範囲で、今回は買わない、という理由なら、少し悲しい。
僕には、男の子の一生を左右する買い物だと感じる。
大げさではない。僕は、本気で、その男の子の態度から、そう感じている。
もし、その本が、男の子が予想するほどの内容ではなくて、母親にはそれが解っていて、だから買わないのだとしたら。とても悲しい。
運命のようなものだろうか。
その本が、価値ある本で、母親が買ってあげられたら良かったのに、そうできないのだとしたら、本がそれを台無しにしたのである。
そしてもし、価値の無い本だけど、母親が買って、男の子ががっかりしたら。
…どうなのだろうか。
がっかりすることも、貴重な経験だと思う。
かと言って、経験しなくても良いような気もする。
真剣に「欲しい」と主張して、それなのに買ってみたら、予想に反していたら。
きっと、そばに置いておくのも我慢できないほど、悔しい思いをするのかもしれない。
そうした挫折を経験するのも、必要、なのだろうか。
ただひとつ。
本を買わなかったことで、良いことも悪いことも含めて、未来の可能性を一つ、失ってしまったと思う。
大げさなことを言うけれど、
人と言うのは、可能性を一つずつ減らしながら、大人になる。
例えば、進学する学校を選んだとき、将来成れる職業の可能性を狭める。
子供の頃に楽器を勉強しなければ、大人になってから楽器を勉強しても、プロの演奏家になる可能性は非常に小さい。
子供の頃から、可能性を捨てながら、一つの大人になる。
本を買えなかった男の子には、まだたくさんの可能性がある。
今日買えなかった本も、一ヶ月後には買っている可能性だってある。
人の一生のなかで、男の子が今日無くした可能性は、まだまだ、ほんのわずかだ。
ほんのわずかだけれど、
僕は、本屋の片隅で、泣きそうになってしまった。
ま、我慢したけどね…
そういった意味では、親としては、「話し合い」にならないけれども、話し合う、という姿勢が大事なのではないだろうか。
話し合う以上、親の側の意見もはっきり伝えたほうが、子供が「意見を持つ」ということを理解できるようになるはず。
そうすることで話す能力が上がり、なぜ「欲しいのか」が伝わってくるようになる。
そうした経験が、親なんか無視して勝手に成長できるような力になるのだと思う。
図書館で借りるでも、友達と一緒に見るでも、
本気で欲しがっている物なら、出会う機会は一つではないと思いますし・・。
理由があるんだとしても、必要かそうじゃないかを、親が決めつけるだけじゃ淋しいですから、
子供の為にどうあるべきかを、一緒に探せたら良いのになと思います。