自分らしくあれ
- カテゴリ:日記
- 2010/09/26 07:35:38
先日、亡くなった友人を思い出してしまって、あれこれずっと考えてきました。
亡くなった時の状況、いろいろな事が原因で互いの音信が途絶えてしまった事。
当時のあまりに悲しかった思いや、後悔がどっと思い出されて整理するのにかなりの時間がかかりました。
いや、一度は整理して小説までかいて、箱に収めたとゆうのになあ。
ひっくり返してしまったみたい。
この広い空のもと、生きてさえいたらいつかは会える。
でも、あちらに逝ってしまったらもう会えません。
それでも思い出は、記憶は生きてる限り残る。
人は死を迎えるのは2度あるといいます。
一つは肉体の死、一つは記憶の死。
名も無い庶民なら、知人友人が全部亡くなれば記憶の死をむかえます。
百年たったら、私を記憶している人は誰もいない。
それなら記憶に残る死を迎えるまで、自分らしく生きたい。
彼女の分まで自分らしくあれ。
奇跡のような偶然で、彼女の訃報を知りました。
お葬式の翌日に、焼香できました。
奇跡がなかったら彼女の死を知るのもっと後、もしくは未だに知らずにいたかもしれない。
彼女が不思議な奇跡を起こしたとしか思えない。
悲しい奇跡ではあったけど、
それでも、彼女の分まで自分らしくあれと思います。
私も転生って信じてる。
ただ、時というものは未来にも過去にも流れてるんじゃないかと思ってるので。
いつ巡り合えるかはわからないんじゃないかと。
だから「今」この時に、巡り合えた人たちは忘れたくないなあ。
自分らしく…恥ずかしくない生き方、私もしたい。
必ず 会えると思っています^^
きっと ラトさんとも ずっと昔に 縁があったのだと思っています^^
(物書きのラトさんに ファンレター送ってたりして♪)
恥ずかしくない様な 生き方をしたいです・・・ 簡単にはいきませんが
そうやったんですか・・・
お気持ち、お察しします。
親しい人の突然の死は、どうしたって認めがたいでしょうね。
それは私も同じでした。
それでも年毎に年齢が離れていくと・・・。
私が一応、女の端くれのせいかもしれません。
いつか、心穏やかになるといいんですが。
お気持ち よくわかりますわ…
先日コメした 亡くなった私の友人
彼は私の知らんとこで亡くなって その事を知ったのは
亡くなってから1か月後の事
3時間ほど離れた 実家を訪ね そこで初めて線香をあげたけど
私は 彼が自ら命を絶った事を許せないでいる
ていうか まだどこかに生きていて 亡くなった事を認めないでいる…
コメントありがとう^^
20歳で亡くなってしまったんですか。
心の中の思い出って鮮明でしょう?
私の友人も若い時のまま、ずっと生きているから。
鏡を見たら、同じように時を過ごしたらどんな風になってるかなと思います。
今でも、20歳の時のまま
行き続けてるよ~
苦しくなると、そいつのこと思い出して頑張れるのさww
夢で会えたら。
なかなか、会いたい人ほど夢ではあえませんねえ。
お盆に必ずと言っていいほど、父の夢をみます。
いわゆる枕元に立つ。ということなのかな?
母の夢には出てこないのになあ?
友人が亡くなって十年後ぐらいに、2人で買物する夢を見ました。
笑っていた彼女の笑顔に、すいぶん癒されました。
楽になったんだと思えたので・・・
そうやね~
死に関しては、不思議な体験はいくつもあります。
その度にあれはなんだったのかなあ?
と、不思議に思いもしますが、まあ不思議は世につきものと納得したりw
友人の起こした悲しい奇跡は、やりきれなくもあったけど。
何も知らないよりは100倍以上よかったと、今も思ってますよ。
家族や親戚、知人や近所の方々、そして友人。
人生長いのでかなりの方を見送りました。
亡くなった人との関係で、その喪失感や虚無感は様々。
その方を忍んでは、泣いたり笑ったり。
その後は、なるべく懐かしく思うようにしています。
自分らしくあるって、簡単なようで難しい。
でも・・・できるだけ自分らしくありたいって思ってます。
無理を重ねた結果、体調不全やら無感動無関心やら。
一時は人間辞めますか?までいったことはありますがw
今は感情過多で困るぐらい。
これが私らしいのでしょう。なにしろ2人分です^^;
そうかもしれないなあ。
偶然手にした日は、お彼岸やったし。
忘れないでってことやったのかな? 忘れるわけないのにね。
家族では父を見送った。
父とは関係は希薄やったけど、それでも泣けないほど胸が重かった。
父がこの世に残したのは、私とゆう存在かなあ?
不肖の娘やけど^^;
身近な友人の死なんて経験は、しないほうがいいです。
絶対外れない予言は、人はいつかは死ぬです。
それは遠ければ遠いほどいいんです。
忘却のための記憶の死ってゆうのはあるかもしれません。
それでも人は記憶を失わないそうです。
忘れても覚えているとか。
人が亡くなるけれど、思い出はいつまでも心の中に残ります。
覚えている限り、それは心の中で生きているってゆうことだと思うんです。
たとえそれが幻でも、いつしか作り上げてしまった面影だけだとしても、そのときたけは懐かしい誰かですもの。
でも、逢いたい人ほど、なかなか夢に出てきてくれませんけどね。
きっとお友だちが知らせに来たんでしょうね。
お友だちもきっとラトさんの事気にしてたんでしょうね。
残された者は、きっと残された事にも意味があると思うので
大切に生きたいですね~(。-_-。)
ラトさん、昨日とともに涙腺を刺激しまくりです(´;ω;`)
今日まで生きてきて、
大切な人を弔うことは1度に終わらなかった私。
虚無感を抱えたときも、自分に言い聞かせたのは、
その人を忘れないでいようってことでした。
なんというか、気持ちが引きずられそうになるときもあるけど、
生きるからには、自分らしく生き抜いていきたいっていう、
意地みたいなもので、落ち込まずにいられています。
う~ん、ラトさんと共鳴しがちな最近…(´;ω;`)
無理を重ねると、どこかに破綻が生じるものです。
自分らしくあれ!
大掃除でアルバムを開いたのも、お友達の起こした小さな奇跡だったのかもしれんね。
ずっと親しくしている友達は皆元気やけど、家族は、祖母や父を見送った。
父は筆まめな人で、自分の半生を書き留めたものが私ら子供達の手元に残ってるけど
私自身が残したものって全然ないなぁ。
100年どころか、半分の50年くらいで誰も居なくなりそうな気はするものの……
私も自分らしく生きたい☆
どんな思いになるのだろうなぁー。
記憶の死・・・。
生きている人でも、別れ、時間の経過で
知らない間に迎えている記憶の死ってあるのかもしれない。
自分らしくあれ!
なんか、朝から泣きそうになったゾ!!
亡くなった時は...あまりまだ
分からなかったですが?
少しずつ大きくなって
最近分かるようになりました。