歩けよ乙女
- カテゴリ:小説/詩
- 2010/10/10 23:36:08
森見 登美彦 著「夜は短し歩けよ乙女」を読んだ。
この本、たしか以前「本屋さんが選んだ…」なんとか言うランキング1位として宣伝し、売り上げを伸ばした本。
そして、今も「大学文芸部員が選んだ、大学生に読んで欲しい本 No1」と帯に書いてある。
僕はひねくれ者なので、「大学文芸部」って誰だよ、大学生に読んで欲しいっていうランキングはなんだよ、って反感を持ってしまう。
それで、読む気などさらさら無かったのだが、雑誌で、作者の森見登美彦さんと大江麻理子さんが対談しているのを読んで、気が変わった。
森見さんはどうやら面白そうな人だ。
大江さんも、森見さんの小説が好きだという。
これは読んでみよう。と思って数ヶ月。
ついに読んだのである。
○
そうだな、僕は、ときどきブログに小説の話題を書くので、本をよく読む人間だと誤解されているのだが、ぜんぜん読まない。
それで、どんな本を読んでも、最初の何ページかは、言葉のリズムがつかめなくて、意味がさっぱりわからない。
何冊か読んだことのある人の言葉だけ、すんなり読めるようになる。
そんなこんなで、「夜は短し歩けよ乙女」は、出だしでなんじゃこりゃと思った。
しかも「大学生に読んで欲しい本 No1」という先入主があるので、この文章を「大学生に読んで…」ということに腹が立ってしまった。
わざわざ「読んで欲しい」という内容ではない。
放っておいても、大学生が読みそうな本である。
「これを読んでごらん」と言う時には、「言わなきゃ読まないだろう」という予想が前提にあるはずだ。
小説そのものより、帯に腹が立ってしまって、読み始めるのが難しかった。
○
しかし、です。
内容は、決して私に不快感を与えることはありませんでした。
文章を作る言葉たちが、私の体の奥、古い部分に染み込んでいるものと、同じようなリズムを持っていたからです。
大人になって遊ばなくなったオモチャが、押し入れの奥から転がり出たように感じました。
これも何かの縁と言えるでしょう。もしかしたら、本の神様が私にささやかなプレゼントをくれたのかもしれません。
縁は大切にしなければなりません。私は本の神様に感謝しました。
なむなむ。
○
第一章を読み終えると、まるで、短編小説を読み終えたように、話しが完結した。これだけで、一つの作品とし通用するのではないかと思わせる。
一章の中で、物語がしっかり構成されているのだ。
だから、これは短編集かと、少し誤解した。
そして第二章を読むと、ちゃんと、続きになっている。
これは、かなり計算し、構築された物語なのだ。
森見登美彦はかなりの技量の持ち主である。
最初の反感が、いかにくだらないかを思い知らされつつ、読み進めた。
○
私の頭の中で、夢を見るように、登場人物たちが、重なりあい、姿を表しました。それはとてもオモチロイ夢です。
そして、なによりもオモチロオカシク感じたのは、黒髪の乙女が、大江麻理子さんなのです。
この本を読んでいると、大江さんの声が聞こえるようです。
こんなにぴったりの声が聞こえるのは、大変珍しいことと申せましょう。
○
見事なまでに計算された物語が、巧みに収束し、見事に完結した。
読み終えると、これほど楽しい小説は始めてだと感じた。
そして、そもそもこの本を読もうと思ったきっかけに、思いが至ったのである。
森見登美彦さんと大江麻理子さんの対談が決まったのは、対談の企画をした雑誌が、森見さんに誰と対談したいか希望をたずねたことが始まりだそうだ。
森見さんたっての希望で、大江麻理子さんが指定された、
森見さんは、大江さんが大好きなのだと言う。
そうなのだ、森見さんの中に在る女性像の一つが、大江さんに重なるのだ。
それで、黒髪の乙女が、大江さんと似ていたのである。
「夜は短し歩けよ乙女」は僕にとって、小説の中だけでなく、外の世界の人のつながりまで感じさせてくれる、
希にみるオモチロイ小説だったのである。
-----余談
この記事、なんのことやら訳のわからない文章で、読みにくかったかと思いますが、「夜は短し歩けよ乙女」を読んだ人ならさっしてもらえると思う。
パロディのような構成になっているのです。
でも、失敗したみたい。
むにゅ。

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- れおポン
- 2010/10/11 20:16
- 森見さんの物語は、「人間って良いな」という一言を言いたいがために作っているようです。
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- 桃色 珊瑚
- 2010/10/11 07:39
- へー 読んでみたくなります 探してみよう!
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