悪というもの 済み
- カテゴリ:人生
- 2010/10/14 00:02:04
人間とは、喜び・悲しみから始まり、嫉妬・憎悪・怒り・慈しみなど、複雑な感情をコントロールしながら、自分の行動を決めている。
そして、善と悪という人間が決めた概念を元に、その感情を自己とは別の方面からコントロールしようとした結果、法律を元ににした国家、すなわち法治国家が生まれた。
人間が感情のまま動いた結果が善となればよいが、不幸にも悪という結果を招いた時、それは法の元に裁かれる。
では、汝に問う。
愛する者をこの手に得る為に、愛する者をこの手で守りたいと念ずるが為に、他より努力し、その結果としてその者と結ばれし時、他にその者を愛する者が存在しえた場合、その結ばれし者は、その他の者を不幸にしたと言えるか?
不幸にしたのなら、それは人間社会においては悪ともとれるのではないのか。
そのような事をふと考える私自身、本質は悪であるのかもしれない。
まあそれでも、自分の事を「いい人」なんて言うやつよりは、俺はましだと自分で思っとこう。
G.Bさん
貴重なご意見を拝聴させていただき、ありがとうございました。
そして、俺もミンメイは偉大だと思ってます。
未熟者ですが、
性善説が先にあって性悪説が生まれ、性悪説が生まれたから法家思想が生まれた
と記憶しております。〔ミンメイ書房刊 『これで良いのか、東アジアの歴史』より〕
全然関係ありませんが、リ○・ミンメイは偉大だと思います。 カタカナ表記にした、ノリですw
善と悪は、いつもではないけれど、表裏一体的なところがあると思います。
どちらの立場に立っているかで、善か悪かが変わってしまう。
誰に対しても善などということは、しょせん無理なのではないかと。。。
だから、自分よがりかもしれないけれど、その時々の自分の立場で考えたときに
人に対して恥じることのないような行動がとれればいいかなって考えながら
日々を送っています^^
みなさんの意見を聞けて、嬉しかったです。
毎日裁かれてもいいぐらい、悪が顔を出していると確信しています。
愛というものも、いつもどこかで駆け引きをしているのかなあ。
善と悪
私の本質は 悪 ですね。
どこかで、正直になれない心をどうにかして隠したい自分がいるからです。
善 ははるかかなたにでまっているので、何十年後に善になったなと感じればいいなと思います。
口が裂けても言えない(殴
善か、悪か。。。
自分が善と思ってれば、善でいいかな。。。¿
できないもの。
おもむくままに
いきてください。
じぶんらしく。。。