秋ですな。クマ・イノシシ・サルも降りてきますね。
- カテゴリ:日記
- 2010/10/19 21:31:58
毎年この時期になると繰り返される野生獣の人里への出没。そして、同じように繰り返される射殺への批判。
射殺という処分が、良い対応だとは決して思わない。むしろ、選択肢の最初に射殺が上がってくる現況には疑問がある。しかし、人里に出てきてしまえば餌が手軽に採れることを覚えてしまった野生獣への対応として、住民の安全を確保するためには仕方がない部分があるんだろうとも考える。
「決してクマを射殺してはならぬ」と主張する声もあるが、クマと隣り合わせで生活する地域の人々の日々の生活の安全は、どう確保するためには、射殺による排除という選択肢は外せないものなんだろう。毎日毎日、小学校の校庭やら家の近くのごみ置き場の出没するクマをそのままにしておくことは、地域としては決して認められないでしょうね。住民の安全確保というのは地域の大事な仕事ですから。
奥山放獣をするべきだと言う声もある。次善の策としては良いと思う。むしろ、そういった方向を目指すべきだとは思う。
が、捕獲や運搬、放獣に従事するそれなりの専門家などを雇用する費用の問題以上に、どこに放すかという問題がある。自分の家の裏山に人里に現れて騒ぎを起こしたサルやらイノシシやらクマやらを「どうぞ放してください」と言ってくれる心の果てしなく広い山主さんがいるのだろうか? 放した後に再び周囲の耕作地に出没した場合の責任は誰に? 山主さんに? 奥山放獣を勧めた野生動物の保護団体? いずれも責任は持てきれないでしょう。
地域でそういった野生鳥獣と共存するという意見の統一ができているならまだしも、そういった事前の環境整備もなく、一足飛びに「奥山放獣」や「射殺は最後の手段」みたいな対応はできないだろうね。
結局のところは、行政が責任を持つことになるのでしょうけど、そうなると迅速な対応は無理でしょうね。担当部局の熱意とか力不足うんぬんの問題ではなくて、地域の合意形成が必要とされるから、そう簡単にはいかないということ。
アメリカみたいに人間と野生動物の生存する範囲が割合はっきりしていて、社会的な背景が整ってたり、すみわけが可能な場合は話は早いんでしょうけど、日本みたいに人間と野生鳥獣の縄張りが重複しているような狭いところでは、そう簡単にいかないんだろうな。