デンドロカカリヤ
- カテゴリ:日記
- 2009/03/12 10:20:49
「 デンドロカカリヤ 」 安部 公房
主人公コモン君が、デンドロカカリヤ・クレビディフオリヤという植物になる話。
変身ものといえば、世界的に最も有名なのは、言うまでもなくカフカやけど、日本ではやっぱり、安部公房やろなあと思います。
「デンドロカカリヤ」は、アヴァン・ギャルドとしての自覚に立つ最初の作品で、安部公房が好んで用いた変形譚の原形ともいえる作品。
作者を知るには、そのルーツを知る必要があるのと同じように、作品を知るにはやはり原点ともいえるものを読んでおかないかんと思う。そういう意味で、読む価値のある作品やろなあ。
植物化というのは、彼特有のものではなくて、ギリシア神話ではよくある話で、作中でそのことに触れています。
アポロに掠奪されそうになり月桂樹になったダフネ、パンに追われて葦になったシリンクス、アフロディーテとの関わりでバラになったアドーニスなどなど。
彼は、ギリシア神話における植物化を神の慈悲や救いではなく、不幸を取り除くために幸福をも奪われた結果、罪からの解放のかわりに罰そのものになったととらえている。
そのため、植物化というのは受け入れがたいもの、拒絶すべきものだが、神話で神の力が絶対であるように、人間には抗えないものやから、最後には主人公は植物化という運命を受け入れることになるんやなあ。
安部公房は満州で敗戦をむかえて、大日本帝国の崩壊と社会秩序の崩壊を目の当たりにした。また、突然の父の死もあって、恒常的なものに対する信頼を一挙に失ったんやと思う。
だから、変形譚にこだわったんやと思う。
現実社会の一見不変に思えるものが、実はもろく儚く簡単に崩れ去ってしまう性質のものであるという事実。それを証明するために、変形や幽霊などの実在しないものを題材にしたのだろう。
実在しないものや状況をのぞき穴として、読者の日常的な意識に衝撃を与え、真にリアルなものに目を向けさせることが彼のテーマだったといえる。
作品はそのための道具であり、またいかにして真の現実に目を向けさせるか、その方法を探る考察であったともいえる。
今日書くことなかったから、おっさんの美術レポート真似てみた。
美術はレポートかけるほどの素養がないから、文学で。
文学に素養があるかどうか、疑問やけど・・・・。
異論もあるとは思うけど、私が安部公房について「デンドロカカリヤ」を手掛かりに考察した結果は、こんなかんじ。
「デンドロカカリヤ」は、おすすめ作品じゃないけど、レポートするには原点ともいえるような作品の方がいいかと思って、選んでみた。
安部 公房
「砂の女」 映画化されたよ。
「壁ーS・カルマ氏の犯罪」 昭和26年芥川賞。
「赤い繭」 昭和25年戦後文学賞
そのほかに、シナリオや評論なんかもあるよん。
!!!!
さすがやな。
えへへ。
そうやなあ。
アイデンティティってのも、わかるわ。
でもわたしは、当然の日常も常識も社会も、その実不確かなものなんやってことを
訴えられとる気がするんよなあ。
そんで、人はそういうものが崩壊(変化)するときは、受け入れるしかないって言われとる気がするなあ。
安部公房って、
ずっと「アイデンティティとは何か」を考え続けた人なんやと思う。
それは「恒常的なものに対する信頼」と同じなのかも。
砂の女、箱男、燃え尽きた地図にしても
「その人そのものであって代わりがきかないこと」
というのが本当にあり得るのか?
を考えてしまいます。
「デンドロカカリヤ」読んでみよう。
まだなんじゃw
むふふ、やな。
Kiitos!!!
知的・・・。
どうやろ??
本は昔よく読んだだけやよ。
普通人やよ。
今度、読んでみよう。
まりぽちさんは、知的な女性なんですね。
やっぱり、そうやんなあ。
わたしも、1番は「砂の女」やと思う。
脳みそがぐ~るぐるするような不思議な感覚を体験したなぁ。
文字の上でも妙に色っぽいのよねぇwww
そか。
いそがしそやもんなあ。
本読む時間がないのだよ~
新しい世界へ1歩踏み出してみてはどうかなあ。
おいらの知らない世界だ・・・
ごめんよう。
わたしのレポートもどきなんかで、興味を持ってくれてありがとう。
安部公房は好き嫌いが分かれると思うよ。
そして私は、こんなの書いといて、そんなに好きじゃないという・・・。
まあ、普通ですわ。
とっても面白そう~^^
「砂の女」 映画を手始めに観たいと思ったよん☆