私は
- カテゴリ:学校
- 2009/03/12 10:44:32
中卒です。
それを残念に思ったことが一つあります。
それは「集団で楽しむ」ということを経験する時間が少なかったことです。
学校の語源をさかのぼると、古代ギリシア語の「スコレー」という言葉に
たどり着きます。
この言葉は、暇な時間に音楽を聞いたり、スポーツをたしなんだりするための
場所の名前が元になったそうです。
勉強は、私も好きじゃないです。
でも何かを覚えたり、できるようになったりすることは楽しい。
「何かを覚えれる場所は、あなたの学校だ」と
恩師に言われたことがあります。
まさしく言葉もそのとおりだったのか、と改めて考えました。
体験しているけれどそれが楽しかったと言えないのは残念。
勉強という名を冠にした合宿等強制される事柄が多かったせいかも?
自らが「学ぶ」姿で「何か」を得るって素敵だと思います。
これは今の方が楽しんでしている気もします・・・
義務教育時代 いじめられっこだったので あまりいい思い出とは言えないけど
人の痛みを知るいい勉強をしたと思います
進学後 対等に話せる 仲間と出会えたのは貴重な時間だったと思います
「学校という」器が大事なのでなく、中身が重要で 人生ずっと学習する場所なので・・・
年をおうごとに思います
そして、集団行動と言うのは 気づかないうちに 案外今も行ってるのかもしれませんね
今でも多人数での行動は苦痛です
だから きっと 損しちゃってるのかもしれないね
でも少人数だと気兼ねなく行動できるので
学校の勉強以外の勉強は楽しんでできます
それでいいかなって思ってます
学校という器は用意されていても、その中で何をするか何を得るかは個人の問題です。
むしろ、規制の器に頼る立場が苦手な人も当然います。
毎日より良く生きようとすることが真の学びだとするならば、恩師のお言葉は真理ですね^^
ただ、魔女もよく書いちゃいますがブログなどで学生時代のことが話題になってたりすると「学生時代」という言葉が醸し出す雰囲気ってものに得体の知れない寂寥感はおぼえられるかもしれませんね・・・・
人間の集団が行うことなんてどんな環境にあっても結局似た様なものです・・・特に高校大学ともなれば、学校から授かる特別な行事と少々歪んだ保護をどう楽しむかも自分次第ですからね^^
こういう集団で何かする、できるって言うのは、学校くらいなんですものね。
この点はわたしも一番の悔恨点かな。