卒業式の思い出 その1(長文です)
- カテゴリ:学校
- 2009/03/12 12:09:18
自分の卒業式は過去4回(小・中・高・大)経験し、就職してからは赴任校の卒業式を毎年担当している。(音楽科・吹奏楽部として)
色々と感慨深い式を経験した中で、かなりのサプライズがあった式を、本家ブログより引用します。
以下長文ですが、読み終えると私のことがよりわかっていただけるかと思います(笑)
では参ります。
2007年3月1日の日記より。
(統合により閉校する高校の卒業式と閉校式のこと)
やんちゃだった彼らはどんな風に成長をしているのだろう。
不安もあったが、それよりも楽しみな気持ちを胸に、学校へ向かった。
学校へ着くと、私の姿に気がついた生徒が数人いて、相変わらず元気に声をかけてくれた。
その何気ない出来事が、今の私にはすごく嬉しくて、その出来事が緊張をほぐしてくれた。
この子達のために、私にできる精一杯のはなむけをしよう。
予行は予定通り始まり、一通り通しで練習する。
大体練習する箇所は決まっていて、生徒のお辞儀の仕方とかタイミングを中心に練習する。
その最初の「礼」で驚いた。
卒業生全員が、きれいな礼をするのだ。
もちろん、昨日も予行の予行をやっているのはわかっている。
でも、普段は締りのない(失礼・・・)生徒たちが、きちんとそろっているではないか。
まぁ、商業高校だから礼儀作法なんかは結構教わっているんだろうけど・・・。
その姿に、私の気持ちも引き締まった。
ところで、私が演奏するのは
・国歌
・仰げば尊し
・別れの曲(ショパン)
・新設校の校歌
・この学校の校歌
・退場曲(「桜」コブクロ)
なんだけど、この会場に入るまで、ピアノは舞台袖の隠れたところだと思っていた。
が、
何と、壇上の演台の少し横にどーんとピアノがあり、下の席から丸見えなのだ。
かなりびびった。
気持ちを引き締めて(身体も引き締まればいいのに・・・)、卒業生に少しでも気持ちが届くように、思いをこめて弾いた。
でも、予想通り彼らの歌声はほとんど聞こえない。
式が進行していき、何曲か歌ったが、ソロ演奏をしているような感覚・・・。
おいおい、もちーと歌えーや。
最初の「礼」の印象が良かっただけに、がっかり。
さて、この卒業式では、我々音楽の教員はしなければいけない仕事がある。
それは
歌唱指導。
大抵、予行の通しでは生徒は声が出ない。
そんな生徒に対し、音楽の教員は歌唱指導をするのだが、毎年結構緊張するんだよな、これが。
毎年この時期になると、毎日のように歌唱指導のシミュレーションをするほど、緊張する。
緊張だけならいいけど、「きちんと歌わせなければならない」というようなプレッシャーを勝手に感じ、自分を追い込んでいた。
今年は、空白の時間のある生徒たちだし、歌唱指導もないかも・・・とか思っていたけど、やっぱりあった。
マイクを渡され、下の生徒を見渡す。
音楽選択者の顔がちらほら見える。
あまり張り切ってするほどでもないか・・・・・なんて、思っていたけど、いざ生徒たちを前にすると私の中の魂が叫び始めた。
気がつくと、卒業生に対し、色んなメッセージを話していた。
今しか、彼らには伝えられない。
そう思うと、やっぱり私の思いを彼らに伝えたいと、自然に思ったのだろう。
歌唱指導はもちろんするけど、その節々で私の思いをめいっぱい伝えた。
歌だけ練習するのではなく、こちらの気持ちをしっかり伝える。
やっぱりこれが、私のスタイルなんだと改めて感じた。
最初は蚊の鳴くような声だった彼らから、力強い声が聞こえ始めた。
本当に同じ集団かと思うほどの変わりよう。
びっくりしたと同時に、すごく嬉しかった。
もちろん、私のために歌ってほしいのではない。
重要な式典だから、来賓もたくさんくるから、歌ってほしいのでもない。
自分のために、歌ってほしいのだ。
私が話したのは、歌の姿勢のことと呼吸のこと、それ以外は卒業生への私の思い。
それだけで、こんなにすばらしい歌を歌えるようになる。
だから、先生ってやみつきになるのかも・・・。
授業をしていた当時は憎たらしくて仕方なかった彼らが、今は愛おしくて仕方なかった。
私の思いがどこまで伝わるかわからずに話をしたけど、彼らの歌声がその返事だった。
明日は本番一発勝負、きっと素晴らしい式になると思う。
その思い出の中に、私のピアノが残るのは幸せ。
音楽って、やっぱりすごい。
明日も精一杯の気持ちをこめて、音楽を届けよう。
卒業し、旅立っていく愛する生徒たちへ。
(その2へ続く)