価値観それぞれ・・・
- カテゴリ:人生
- 2009/03/14 14:25:48
あまりにもかけ離れた人生観と出会う事がある。
薄っぺらで、目先の満足感や気持ち良さだけで行動する人がいる。
性質の悪い事に、それらを自慢げに、そしてあたかもそれが本当の幸せであるが如く、他人に見せ付けるのである。
しかしながら、見る者が見ればそれはただの金メッキであり、いずれは剥げ落ち骨身をさらけ出すことになるのは目に見えている。
内容は極薄く、当然ある筈の思想も希望も無い。
ただひとつ幸せなのは、自分が手にしているものや追いかけているものが、本物であると信じられている事。
一方、本当の幸福や人生の糧、生きる証を必死に捜し求めている人もいる。
いくばくかの荷物を背負い、勝つ事よりもむしろ負けない事を主題に生きる人。
様々な困難を抱えても、その度に悩み、泣き、超えてゆく事に喜びを感じる人。
実は後者の人生の方が辛く苦しいのかもしれない。
不器用な生き方なのかもしれない・・・。
しかし、得るものの差は計り知れないのではないかと私は考える。
この2つの人生観を持つ人には、当然何も接点は無い。
しかし運命のいたずらで、この2人が出会う事もある。
そういった場合、傷つく者がいるとすればそれは決まって後者という事になる。
納得は出来ないのであるが・・・致し方無いのかも知れない。
ひとつの山がある。
その山を越えようとしている者がいる。
リュックを背負って、自分の足で一歩一歩、休憩を挟みながら山の向こうを目指す者。
一方、山には登らずに周囲を迂回して超え様とする者。
初めから超える気など無く、そこで寝そべっている者。
あるいは、所有するヘリコプター(特権)で、何の苦労もせずに超えて行ってしまう者。
どの人生が、一番多くのものを得るのであろうか。
なんか私とはお友達になれそうな方ですね。
男は黙って・・・という感じで。
そういった男っぽい硬派な行動を、昔ならばかっこいいと感じられていたんですけどね。
今は昔の事になってしまいました・・・。
今はイメージと言うか、見た感じでほぼ決まってしまうのが寂しい所です。
そのお友達、不器用な生き方かもしれませんが、私はとても好感が持てるし素敵だと思います。
さぶさんにとって泣き虫の彼かもしれませんが、時々背中をたたいてあげていただければと思います。
きっと彼は、もっともっと強くなりますよ。。。
うんうん、いいお話ですねぇ。
私がサラリーマン時代(今は自営業をやってます)に、社員研修で言われた事があります。
「どのような仕事にも結果が出る。
良い結果も出れば悪い結果も出るだろう。
何もしなくても良い結果は出る事があるし、散々動いても最悪の結果になる事もある。
しかし、行動して出た結果は良くも悪くも成果として現れるもの。
何もしないで得た単なる結果よりも、成果を出す事が大切である。」
自分の仕事でさえ、行動する事を躊躇う訳ですから、例え師と言えど出来れば何もしたくないと言う感情はあるのかも知れませんね。
私は廉さんのコメントを読ませていただき、この時の研修の講師の言葉を思い出しました。
男性ですが、彼は口があまり上手ではなく
言いたいことがあってもいつもグッと我慢してしまいます。
分かって欲しいことがあると、自分の体を痛めつけて
それを相手が理解してくれるまで続けます。
見ている方は心配でなりませんが
その中で悩んで泣いてを繰り返していろんなことを得ているようです。
そしていつも彼はこう言います、「強くなりたいんだ」と
わたしから見たら、泣き虫であっても彼はもう充分強い人なんだけどなw
「これを運用して、増やしておくように。」と命ぜられて
それぞれ同じだけの財産を預かりました。
主人が帰ってきたとき、
ある人は3倍に、ある人は2倍にして返しました。
しかし最後の人は「あなたは厳しい方なので、怖れるあまり隠しておきました。」と言って、
預かったそのままを返しました。
主人はそれぞれの力に応じた増やし方をした2人を祝福し、
最後の一人には「では何故、せめてそれを銀行に預けることをしなかったのか。利息が付くであろうに・・」
と、その一人の努力の怠りを叱責して、それ相応の処分をしました。
これは、ある本に載っている話なのですが・・・
最初の2人は運用の仕方を説明して、これだけですと提示できました。
けれど最後の人は、そのことの説明を求められた時に、
言い訳は出来ても、自分の思想を話せない。
自分のためには何かをするのに、誰かのために何かを為す力は使わない。
それが自分の主人であっても、同じ。
自分の行動に自己チュー以外の理由が無いからなんでしょうね。
猫さんのこの記事を読んで、この話を思い出しました。
はい、そうなりますね。
「教学相長ず」という言葉があります。
私もあなたの様な方と議論するのは、やぶさかではありません。
しかしながら、最低限のマナーを守って頂かなければ、それにお答えは出来ません。
そういった心構えを改めていただいて、是非またお越しいただければと思うのです。
(o_ _)ノ彡☆バンバン ギャハハハ
ナミダガ・・ ヽ(;▽)ノ アハハハハ
ギャハハハハ・・・・ _(_ _ )ミ☆ バンバン!
あぁ~腹痛てぇ・・・
それを私に聞くんですか?
ではひとつだけ。
初対面の人に敬語を使えないような人には、何も答えないし教えることもありません。。。
うんうん、本当に人の価値観はさまざまだねぇ。
学ぶ者もいればそうでない者もいる。
考えようとせずに人に聞いてばかりいる者とかね↑
そそ、勝ち組負け組なんて言いますね。
確かに負け組は勝ち組のするような体験は出来ないし、味わえるものも違うでしょう。
ではこうも言えますよね。
負け組の些細な事でも幸せを感じられる感受性は、勝ち組では持ち得ないでしょう。
どです?最高の負け惜しみです。。。
山のお話・・・
そか、くぅみんも得意なんだね、この話・・・。
私も大賛成です。
買ってするような苦労は、苦労の内に入りません。
いつだって放り投げられる苦労ですから。
そんなに嫌なら買わなきゃいいんです。
定めのように背負わされる苦労こそ、本当の意味での苦労なのでしょう。
それも知らずに、苦労しましたが笑えるんですよ。。。
くぅみん、いつに無く熱いね。
そういうくぅみんも、あるとおもいます!
人間のエゴか? 妬みか? ・・・ 。
価値観 確かに人それぞれ。それ故に学ぶことも多くあるのでしょうが・・・
この世では勝ち組・負け組と騒がしいですが どんなもんでしょう?
よは「自分」が価値観になってしまえば怖いもんないなのかもしれないですが・・・
かなりの風を前からも後ろからも受けるのかな・・・覚悟いりますね。
山のたとえ 私もよく考えることあります。
実は頂上で見る景色はひとつなんですよね・・・そこが味噌です(´∀`;A
よく言うじゃないですかぁ~
「若いうちの苦労は買ってでもしろ!」って。あれ・・・大嫌いかもですww
出来たらね・・・来る苦労は受けて立っても 買う必要ないって思うんです。
私 買った経験者で トホッ
結構 曲がったりしてね。まっすぐに戻るのにリハビリ中みたいな・・・クスクス(´艸`o)
でもね 美しい景色 汗して登ってこそ 「美しい」ことも知っています。
だから・・・何もかもに感謝しています。素敵な記事(✿ฺ◕‿◕ฺ)ありがとう。+.゚♪
熱く語ってしまった 私としたことがまずいww 自爆w
確かに全て選択する権利はあると思う。
ただし権利を行使して選択したことに関して、他人に迷惑をかけないという義務もあると思います。
それが出来ていない人が多いように思いませんか?
そして、他人に迷惑をかけなければ・・・という部分。
それは私も、以前はそう思っていました。
しかし、子供が出来てからはそうは思わなくなったんですよ。
やはり父として、せめて子供には少しでも立派な背中をみせたいなぁと・・・。
自己満足って言葉があるじゃないですか。
そもそも満足など、自分しか感じ得ないものなんですよね。
おかしな言葉であります。。。
登らないのも選択。(寝っ転がってるわけでもないかもだ。)
飛んでくんのも、選択で、
正解不正解ってないかもだ。
傷付いたって思うのも、自分の勘違いで、傷付いていないのかもだ。
って、このごろ思ったりする。