飛行船Gespenst號・夜間飛行案内Part1
- カテゴリ:小説/詩
- 2010/11/16 15:12:54
飛行船Gespenst號・夜間飛行案内
・本船のご案内
病院での検査があるもので、たびたび不在にしなければなりませんでした。
体調不良もあって、ほとんど談話室に参加できなかった人間ですけど、
ちょっとおしゃべりさせて下さい。
いえ、さしたる内容のある話しではありません。
私の話題は、すべて雑学とおしゃべりの域をでないのです。
ただ「こんな人間もいたな」という痕跡だけでも残しておこうという
孤独な人間の為せる技なのです。
・御搭乗までの手続き
自分の自己表現となるような仕事をしていきたいと思っています。
誰かが中勘助を評して「詩を書くより詩を生きる方に忙しかった人」と語っていました。
いい表現だなと思いつつも、それを私が語ってしまうと、
作品をつくることが面倒くさくなってしまった人間の言い訳にしかすぎません。
これといった作品を残せずともそれでいいと思いながら、
何かしら創作し続けていることの侘びしさ空しさ。
「そのうちいつかやるよ」といいながら、次第に何もできなくなってゆく、はっきりとした不安。
長い物語を書くのが面倒で、ふと思いついた時だけ筆を動かしていると、
なんとなく詩のようなものができていたりするのです。
・お早めに御乗船下さい
例えば…、例えば時々不意打ちのようにいい音楽にであう。
音楽はどこまでも音楽なのだから、そのままにしておけばいいのに、
なぜか言葉のピンで展翅版に留めてみたくなって、次のような詩を書いてみる。
この詩は、1996年に日本各地でロングランを行った
シルク・ドゥ・ソレイユの『アレグリア』の中で演奏された曲がもとになっています。
『アレグリア』は、そのプロモーションの仰々しさに辟易しながらも、
しかしスポンサーの現世的な思惑などすっ飛ばしてしまうほど純度の高い舞台でした。
籠の中の鳥たちの王国。
その閉ざされた空間に積み重なっている畸形の歴史。
日々繰り返す鳥たちのたわいない、しかし鳥ではない私たちにはちょっと驚きの仕草。
鳥たちが夜毎見る夢は、
草原に遊ぶ二羽の小鳥とその背後を横切る死の影を宿した大きな黒い鳥。
そして自由な空への憧れ。
その空を飛ぶ瞬間の陶酔。
だけど、誰も辿り着けない…。
・それでは離陸いたします
歌詞は、ラテン系の言葉(フランス語でしょう)でわからない。
でも、このような情景を歌っていてハズレということはないと思う。
南の国の私
昨日、窓辺にとまった小鳥
南の国へ渡るという
お金があったら、すぐにもゆくよ
鳥の心で飛んでゆくよ
季節の巡りは早いもの
もうすぐ冬が来るという
空に向かって手を差しのべる
私の願いを聞いてください
なくすものなど何もない
心は、とうにここにはなくて
あとはこの身を運ぶだけです
お金があったら、すぐにもゆくよ
鳥の心で飛んでゆくよ
南の国の私
見つめられて素直になる
あなたのそばで小さく囀る
そんな自分が愛しくて
心は、とうにここにはない
待っていて下さい
もうすぐだから
もうすぐですから
2010/11/16再掲、安寿
私に「夢」なんてあったかしら?
ブログの幽霊にすぎない私に
何かしら夢があるとしたら…、
それは、
もっと素敵な幽霊となること。
全天を覆うかのような巨大な虚無、
飛行船Gespenst號となって世界の果てへ飛んでいくこと…。
安寿さんは夢に向かって頑張ってくださいね^^
こんな風に願いながらも、
報われることがほとんどなくて
働くこと、生きていくことに疲れてしまう。
詩自体は、季節労働者や外国人労働者の歌なんです。
でも、そういう背景は伏せて、
自由に解釈できるようにしてみました。
人はだれでも人生では主人公ですから、幕が開くと踊らなければならない
そんな情景がうかびます
ドイツ語頑張ってね。
この作品は、
ブログ広場の「小説/詩」というお題に合わせて、
昔、書いたものを少し手直しして再掲してみたものです。
お話の中では、
ある女性が突然消えてしまうんですが、
その人が消えた後、
送られてきた謎めいた手紙というシチュエーションで書いています。
が、このブログでは、
完全に独立した読み物として掲載してみました。
これだけだと、
まったく意味不明なのですが、
この手紙文が持つアンニュイで不可思議な感じを
ただ味わっていただければ、
それでいいかと思って掲載してみました。
完全なフィクションとして、お読みください。
そして、「心は、とうに此処にはない」 という
二つのフレーズが、なんだか哀しく思えるのは 私の勝手な深読みですね
ゆらゆら揺れるかげろうのようで心細い感じに ドキッとしました
一日 どうぞゆっくりお休みください