Nicotto Town


ぎょろぎょろ


お前は目の前に海があったらどうする、続き


 大学から映画作製の課題が出たときに経済的に苦しく、フィルムが買えなくて困った。そんな時「ドクトル・ジバゴ」という映画を見た。(1965年のアメリカとイタリアによる合作映画。監督はデヴィッド・リーン)。監督は映画で主人公がロシアの雪の中を走るシーンを見て北海道を思い出し「主人公が雪の中で野宿しても死なないのだから暖かいカルフォルニアならもっと大丈夫だろうと勇気をもらった」と話す。また、この映画で、人間とは恐いものだとショックと感銘を受けたという。
 現在、映画館で上映されているのは作られている映画のほんの一握りだ。監督も作成した映画を上映してもらうため、自らちらし配りや公園化を行うなど大変な努力をした。「家のテレビでDVDを見て見た気にならないで欲しい。家で見ると気が散ってしまい集中して作品を見ることができない」としたう上で、「映画からは色々なことが学べる。でも、集中できてないとそれを受け取る事は出来ない。だから、映画はぜひ映画館に行って、大スクリーンの迫力で見てほしい」と訴える。
 監督は映画からが国の文化や歴史、恋愛のことを学んだ。特にどんな男がかっこいいのかということを学んだ。監督にとって映画とは「かっこいい男の教科書」だ。
 映画監督になるには三つの要素がある。一つ目は「声が大きなこと」。多くの人に指示を出すため。二つ目は「人がやらないことをやる」。なぜなら、人がやったことがあることをしても面白くないから。三つ目は「人の前で迷った顔を決して見せないこと」。何百人を率いる映画監督が迷いを見せずに指示を出すことは人を不安にさせない大きな要素だ。
 映画というのはカメラレンズを通して現場の役者の演技が二〇パーセント減少してフィルムに焼き付くものだ。ところが、映画監督は生で役者の迫真の演技が特等席で見ることが出来る。それが映画を撮っていて楽しいこと。また、自分が指示した以上の演技を役者がかいしてくれたときが最高に嬉しく楽しい。その時が自分が一番の観客になる。監督は思っていた以上の演技をかえしてもらう条件はこちらも相手に強く熱い感情を投げかけることだとだと言う。
 「子供はエネルギーや可能性の塊だ。大人は今後のことを考えながらやるが、子供は後先考えず全力でかえしてくれる。だから私は子供が好きだ」と話す。
 監督にとって映画作りとは「船旅のようなものだ」と言う。映画撮影は一度始めてしまうと完成まで降りることは出来ない。同じ運命を背負って皆で完成という港を目指す。
 監督が映画を撮っているときの心構えは「これがもし、自分の遺作になってしまっても恥じない作品にしよう」だという。
 監督に映画「ラストサムライ」(アメリカ、ニュージーランド、日本による合作映画。監督はエドワード・ズウィック)の出演の電話がかかってきた。しかし、監督はその誘いを断った。それは監督の「美しい日本、すばらしい日本」という理念に反した映画だったからだ。周りの知人達は「トムクルーズと仕事できることなんてそうそうないのにもったいない」と何度も言われたが、監督は断り切った。
 撮影中、監督は映画を見ない。それは今撮っている映画に全力で挑むためだ。
 「今の高校生には見ているだけではなく、自分の人生は飛び込んで思いっ切り生きて欲しい」と語る。
 「私が高校生にもし、戻れるのならば勉強をしたい。意味の分からないつまらない勉強でも、その中には人生を解き明かす鍵がダビンチ・コードのようにたくさんある。本当の答えは高校時代の勉強の中にある」と監督は語った。
 好きなものは子ども、命、花、映画。好きな言葉は「塞翁が馬」。
 監督の今の目標は「世界一長生きして映画を撮り続けること」。
 監督にとって映画とは「人生の原動力」だ。 

アバター
2010/11/17 21:53
「子供はエネルギーや可能性の塊だ。大人は今後の事を考えながらやるが、子供は後先考えず全力でかえしてくれる。だから私は子供が好きだ」という監督の言葉、本当にそうだと思います。子供は、エネルギー、可能性の塊そのものだと感じます。全速力で走ってくるんですよね。子供と接していると凄いといつも感じています。



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