さらば
- カテゴリ:人生
- 2010/11/22 13:54:34
ここの住人になってすぐ
こんなブログ記事を書いた。
父の背中
1967年、私は生まれた。
私が生まれて一番喜んだのは、祖母のようだった。
何でも、私の母から私を奪ってしまう勢いだったとか・・・。
私自身の記憶が無いのではっきりした事は言えないが、祖母の異常なほどの私への愛が原因だったのかも知れない。
私の両親はその後、私を育てる事を放棄して離婚した。
私はそのまま祖母に育てられ、父は失踪した。
それ以来、私の両親は死んだ事になった。
両親のいない子供である私は、祖母と2人っきりで生きてきた。
両親がいないというネタで、近所の子供からからかわれる事もあったが、私はからかう相手に哀れみすら感じていた。
「こいつはお父さんもお母さんもいるのに、なんて弱いんだろう・・・。」
少しスレた少年招き猫は、それでも明るく成長したように思う。
その頃父は、土方などの仕事を転々としていたようである。
自分の稼いだお金は、貯金するでもなく全てギャンブルと酒のようだった。
これが私の父が自分の息子を育てるという義務を放り出して、行っていた事の全てである。
父が再び私の前に現れたのは、私が小学4年生位の事だった。
学校から帰ると、その男は祖母と一緒に私の家にいた。
その男は私の叔父と名乗った。
一緒に食事をしてその日その男は帰ったが、それから私の前に時折現れる様になった。
休日などに現れては、私を遊びに連れて行ってくれたり、キャッチボールをしたりした。
その男はとても楽しそうだったし、私も楽しかった・・・。
それからしばらくして、男は祖母と大喧嘩をして私の前から姿を消した。
そしてその後、私は祖母からあの男が私の父だと聞かされた。
父が再び私の前に姿を現したのは、私が二十歳の頃だった。
話を聞くと、父は心を改め、私の為に貯金をするという。
”何時から?”と聞くと”明日から”と父はこたえた。
私は父が心を改めたとは、到底思えなかった。
それでも、たまに姿を現すようになった父は、他に迷惑をかけるではなく、自分の力だけで生きていた。
父が私に迷惑をかけたのは、私が結婚をする少し前だった。
パチンコ屋で突然具合が悪くなった父は、私の家に訪れしばらく泊めてくれと言った。
父は高熱の中意識が混濁し、私は救急車を呼ぶ事になった。
病名は髄膜炎だった。
そのままICUに入院し、医師は万が一の事もあると私に言った。
どうしようもない父だったが、悪運だけは強かったのだろう。
父は生還した。
著しい難聴という代償を払って・・・。
幸か不幸か、父は障害者の認定を受けた。
私は役所で手続きを取り、父の面倒を見る義務を解除してもらった。
私はそんな冷たい人間なのです。
父は今も私のマンションから程近い、ワンルームの賃貸住宅で一人暮らしをしてる。
市役所から出る生活保護を、自分の為に使いながら。
やはり貯金は全然していないようである。
そんな父を、私は月に一度家に呼び、孫の顔を見せてやっている。
しかし、父はかわいい孫の声を聞く事は、一生できないのである。
私の息子も父にとても良く懐いていて・・・。
そして父は孫である私の息子を抱く度に、とても嬉しそうに言うのである。
「やっぱり孫ってのは、かわいいものだなぁ。」
一昨日、2010年11月20日
父が遺体で発見された。
発見したのは、食料を持って顔を出した私の祖母だった。
父は実の母に遺体を見付けて貰ったのだ。
私が産まれてからずっとずっと、自分勝手ばかりしてきた父だった。
それでも父の孫である私の息子が産まれてから、少しずつであるが理解できつつあった。
自業自得ではあるが、かわいい孫の声を聞く事が出来なかった父。
最近は目も悪くなり、足もおぼつかなくなってきていた。
それでも父は、孫の顔を見て笑顔をうかべていた。
父よ、さらばだ。
まだその辺にいて、俺や息子の事を見ている事だと思う。
勝手ばかりしてたあんただが、俺を世に出してくれたのは紛れも無い。
初めて言わせてもらうがな・・・
ありがとうな。
父よ
もしもあんたが下の方ではなく、上の方へ行くことになったら
先に行ってしまった妻に、よろしく伝えてくれ。
あいつらは、どうにかやっているから、と。
それが辛くもあり、嬉しくもあったり・・。
放棄したといいつつ 遠巻きに子と接して痛かったのでしょうね。 いろんな感情が渦巻いてると思います。 どんな言葉も慰めには至らないことでしょう でも 心よりお父上のご冥福をお祈り申し上げます。
うちも 義兄が幼い子ども3人を置き去りにしたまま消失し、放蕩のていをくりかえした揚句に 体調を崩し自分の実家に舞い戻ってきたことがありました。15年も離れて暮らし、それでも父親への思慕を募らせていた甥は まっすぐに父の元に向かったのですが その人物はわが子の顔さえ見てやることもなく、わが子と気づいたそぶりさえなく、ただぬけぬけとそこにいた・・と 甥が悔し涙を流しておりました。
それ以来甥の口から 父親を語るのを聞いた事がありません。 のに、長男という責務から きちんと葬儀を出し、今も仏壇を守り、父方とのお付き合いを黙って続けています・・ 招き猫さんの姿が甥にかぶります。
たくさんのお悔やみのコメント、ありがとうございます。
父も小さくなって、我が家にやってまいりました。
契約していた部屋の解約や持ち物の処分など、まだまだやる事がたくさんあります。
当然財産などはあるはずも無く、数年前に父にくれてやったジッポを形見に貰っておきました。
ずっと疎遠だった父です。
気持ちの整理も何もありません。
いずれ父の整理の時が来ると思っていたのが、想像よりも早く来てしまったという印象しかありません。
父のような人間でも、畳の上で眠るように好きだった相撲を見ながら、競艇の予想なんぞをしながらの最後だったようで、救われた気がします。
この一週間、仕事もろくに出来ませんで、そろそろ動き出さないとと思っております。
皆様のお気持ち、本当に有難く頂戴いたしました。
色々とお気遣いいただきまして、感謝の気持ちで一杯です。
本当にどうもありがとうございました。
自分で親は選べない。。例え、どんな親でも血の繋がりは切る事は出来ない。。。
でも、自立は出来る。
繋がってるけれども、後々は自分で生きていかなければなりませんよね。
招き猫さんは、その自立する時期が他の人よりも早かったんですね。
辛かったですね。。でも、その分強くなられたのではないですか!?
僕なんか足元にも及ばない程、強い物を招き猫さんには感じますよ♪
それにしても、今回のお父様の事は残念でしたね。
もう少し、お孫さんを。。キアヌ君とお話させてあげたかったですね。
お婆さまにも、今回の事は辛い事でしたね。
親より先に逝ってしまう事は一番の親不孝ですから。。。
落ち着いたら、また伝言板でもいいし、馬鹿話しましょう。
その頃には、いろんなことも少しは落ち着かれているかもしれませんね。
もし、よかったら、戻ってきたら
招きさんのお父様のお話をしませんか。
わたしはすぐに忘れてしまえると思って
いろんな記憶を押し込めようとしたのですが
間違いでした。
人は話たい。
亡くなった人のことを
たとえ悪口であったとしても
それで、癒されていくものだと知ったんです。
叔母には「もう死んだんだから、許しておあげなさい」
と言われたんですね。
でも、誰にも話したことがなかったことが
次々と湧いてくる。
最初は怒りでした。
優しさや愛は、実は怒りが去って、大きな重しが取り払われた
一番底で、心細げに泣いていいました。
子どもは親を愛しているし
親も子どもを愛している。
人の気持ちは最終、分かりません。
でも、自分の中にある愛に気付けば、
たぶん、人はそれで、僅かばかりの慰めを得るものかもしれません。
もしよければ。。ですが。。
今はやることがいっぱいあるし、わりと気丈にいられるんだけれどね。
大変でしたね。
わたしは父が死んで半年間泣くことができませんでした。
たんたんとして泣けないのです。
招きさんと同じく、いろいろあったからね。
今もって、ありがとうとは言えません。。
言うならが、許してあげる、なんですね。
父が一人で死んだのも自業自得です。
それは招きさんと同じ想いです。
何度検証しても、変わらぬ決断をするに違いない。
今もそう思っています。
でも、やっぱり悲しいことには変わりありませんものね。
そうして自分をどこかで責めてしまう。
ずっと昔、父を救いたい小さな少女だったわたしを思い出し
自分の力足らずを責めてしまう。
一生懸命に、親の後ろ盾も庇護も受けずにやってきたつもりなのにね。
人とはそんな部分があるものなんですね。
少しでもキアヌ君と触れあえて、招きさんとも過ごすことができて
時間があってよかったと思います。
お父様、最期までお母さん、おばあちゃまに甘えられた人だったんですね。
息子の世話までさせてね。先に逝っちゃうんだからね。
招きさんは腹立たしいことかもしれませんね。
父のことは大嫌いだったけれど
愛していたんです。
当たり前のことに気付くのに、素直になるのに
わたしは何年も費やしました。
生きていくって、別れの連続ですね。
しばらく経って、自分を責めるような感情に突き動かされたら
みんなそうなのだと思ってくださいね。
そして、たくさん自分の為に泣いてください。
お父様はキアヌ君に会えて幸せだったと思いますよ。
ご冥福をお祈りいたします。
致しますが、ああ、逆縁にあったおばあちゃまを想います。
アナタのために、キアヌ君の為に、一生懸命生きてくれてるのだと思います。
ガッカリするヒマなんかなさそうに、お世話をしてるんだろうけど、おばあちゃま。
きっとコラエていますよね。。。
キアヌ君の笑顔が、おばあちゃまを元気づけますように。。。
招き猫さんに容認してもらえて、母親にも気にかけてもらえて、キアヌくんにも好かれて
きっと幸せな思いで旅立たれたことでしょう。息子の嫁にも会えるしね^^
感謝することも、許すことも、時には難しいことですが
そんな時は、一番難しいのが憎むことだったりします。
お父様のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、自分の母親に発見してもらって、孫にはなついてもらえて
息子にはお礼を言ってもらえたのだから、お父様は天国に旅立ったことでしょう。
お父様のご冥福を心からお祈り致します。