アート
- カテゴリ:日記
- 2010/11/27 10:52:57
アートの定義は簡単です
時間を越えられるか
時間を越えられるか
朝、ベートーベンの運命を聞きました 初演は200年前
音楽に疎い人間です、そんな私でも聞き入り、涙しました・・・
交響曲は小説と同じです、物語が音によって語られます
しかし 文字という媒体を介さないので、感情が、苦悩が、愛が、聴く者の感性を超越しそのまま時間を越え人々の右脳を同調させます
右脳を混沌の世界に引き込み左脳との微かな連携をとるベートーベン
右脳と左脳に、これ以上のない調和をもたらすバッハ
右脳をすれすれで押さえ込んだマーラー
時代が彼等をつくったのでしょうか
それとも 彼らの時代は音楽史の中の一瞬の輝きでしかなかったのでしょうか
もはや彼らのような偉人達の生まれる時代は終わったのでしょうか
今の時代、何でもあります、何でも出来ます
でも本当のものは あるのでしょうか
少しは客観的に眺められるようになりましたし、不安定な足場上の存在でも 感動はやはり感動なわけですので。
見聞を広げ、自分の感性を磨くこと、この一言に尽きますね。
中国の格言に「もって他山の石とすべし」という言葉があります。
どんなにくだらないと思われるようなものも、自分の感性を磨くための
石とすることができます。
この世は玉石混淆、石くればかりと思っていても、自分の感性が磨かれてくれば、
おのずと石くれの中の宝石が見えてくることもあると思いますよ。
蛇足ですが、私はピカソの作品では評価の高い「泣く女」や「ゲルニカ」のような
強烈な作品よりも、初期の習作である「初雪」と呼ばれるパステル画が大好きです。
冬の服を着た、10歳くらいの少女のふっくらとした横顔、ただそれだけの絵なのですが、
穏やかな色使いで見ているだけで気持ちが優しくなり、飽きません。
そういう名画の見方もある、ということで。
本当に今まで思ってました、しかし 自分の感性はどうなのか?
考えてみました
私は多分、自分の意見を持っていない事に気がつきました、今まで感動した物は全て”大多数の人々が傑作と認めたもの”です
素晴らしいと思ったものは、全て高い評価を得ているものに限定されていました
本当に良いと思ったのか疑問です、おそらく大勢に流されただけかと思います
私の”感動”は、他人の評価があって初めて成り立っている気がします
つまり、”感動している自分の姿”に感動していたのです。
鱗が落ちました・・・・・新しい視点から見ることができそうです
可能か? 疑問ですが・・・
その時代を飛び越えて普遍性を確率していることもあります。
哲学的に言えば、アウグハーベンされることに芸術の存在意義が
あるのかも知れません。
その作品の価値度は、時代により地域により変動はするでしょうが、
良い作品であることの普遍性は、一定の歴史の流れの中で
獲得することはできると思います。、
一番大切だと思うことは、その作品が自分にとってはどうなのか、
という自分の価値観での評価だと思います。
世間に認められた作品でも、自分の価値観に合わなければ
Sれまでの作品でしかありません。
その答えを見つけるのは、たぶん今を生きる我々ではなく、
100年後の人類だと思います。
ゴッホのように生前にその作品が認められず、死後になって
見いだされる芸術家も多いです。
日本では、明治時代、国内の美術品に対する評価はたいへん低く、多くが
二束三文で海外に流出しました。
人の価値観は変わります。
21世紀の人類にはただの石に見えても、22世紀の人類の目には宝石に
写るかもしれませんよ(^_-)-☆