広い海へ出てみよう
- カテゴリ:ニュース
- 2010/12/25 00:08:24
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(東京海洋大客員准教授/さかなクン)
http://www.asahi.com/edu/ijime/sakanakun.html
ゼネラリストか? エキスパートか?
古くて新し問いですが、
答えは「どちらも重要」と云うことになるのでしょう。
それぞれに半分半分で、ちょうど釣り合いが取れるのかもしれないのですが
今の世の中の仕組みは、どうもゼネラリスト優先で、エキスパートには分が悪い
ように思えます。
冒頭の引用は、時の人“さかなクン”の文章です。
彼は学生時代、肩書きにある東京海洋大学を受験し、失敗。
志望校ながら諦めた経緯があるそうです。
そう考えると、受験と云うシステムは誰にとって何を判断する試験なのか?
と考えさせられます。
知性とは欠損のない全方位な学力と、高潔な人格を意味するのでしょうか?
むしろ、一芸に秀でたものは他も人並み以上、と云う言葉を信じます。
その意味で、先にあげたさかなクンの文章を目にしたとき
素直に尊敬の念を抱きました。
秀才は量産できますが、天才はそうは行きません
一人ひとりがカスタマイズです!
しかし、過去の経験則から
時代を変えるのはたいていOnly Oneの天才クンではないでしょうか?
ひょっとして知らないだけで
実は身の回りに、才能を持ちながら発揮する機会に恵まれない
さかなクンがいるのかもしれません。
社会への適合を強制するのではなく
輝ける活躍の場を創造するキャパシティーが求められているのだと
胸に手を当てて、痛感する次第です。
近所に幼稚園があります。
以前は地域でも人気の幼稚園でしたが
園長が変わったとたん評判を落とし、経営の危機に瀕しているとか…
郊外の住宅地なので需要はあるはずなのですが
なかなか上手く行かないものですねぇ。。。
>鈴虫さん
私は意味があったと思う派です(少数派ですが)
スポーツ、音楽、サブカルチャーと若者が世界へ羽ばたいたのも
“ゆとり”の効用化と信じています。
いかがでしょうか?
さかなくん、天皇の誕生日に御言葉を頂いて舞い上がってましたね。
ダレもが、ぎょっぎょっと、びっくりするでしょうね。
好きと言うのは大事ですね。苦労や努力を惜しみませんもの(*^^*)
ステキな語録の掲載をありがとうございます。
また一つ、ライブラリーが増えました。
保育園・保育ママが増えるのは良いと思いますが・・・。
保育園の条件に庭が無くても開けるらしいのです(^_^;)
幼稚園は庭とか広い野外の遊ぶスペース設置が義務とされてるようです。
子供たちが外で伸び伸び走り回れる幼稚園を増やして時間延長を助成するほうが良いように思います。
都会では中々、庭など望めないですが屋内の広いスペースと言う手もあります。
興味の対象が自然界に向けば狭い世界の揉め事も無くなると思いますヽ(=´▽`=)ノ
「ゆとり」も、案外よいものかもw
絶対的な評価基準がないだけに、
他者を否定する基準もなかったと思えるけど、
それがいじめの克服にはつながってないところが、
難しい問題なのかな?