橋の上で
- カテゴリ:人生
- 2010/12/27 20:50:04
東京湾の新木場から15号埋立地へ渡る大きな橋がある。
若洲橋という橋。
中坊の頃、その橋の上からよく魚釣りをした。
セイゴやハゼ、アナゴや時にはカレイなどが良く連れた橋だった。
当時江東区の東陽町に住んでいた私は、チゃリンコを40分もこげば若洲橋にたどり着いた。
10年ほど前、私はこの橋を久しぶりに訪れた。
あの頃と同じように、様々な魚が釣れた。
天ぷらにすると最高に美味しい卵をもった30Cm近い落ちハゼ。
ちょうど一本揚げに出来るほどのいいサイズのアナゴ。
完全にリリースクラスのセイゴから、お刺身に出来るほどのフッコクラスのスズキ。
そしてから揚げサイズから、煮付けに最高の40オーバーまでのカレイ。
今でも釣っても食べても最高の魚が釣れる場所だった。
また、ロケーションも最高だった。
橋の遙か西方向には、天気の良い冬などは富士山が見えた。
富士の手前にはお台場の観覧車。
そしてその右方向には東京タワー。
橋の東側には葛西臨海公園の観覧車がまん前に見え、その右側には東京ディズニーランド。
夜釣りをすると毎晩8時半の花火も見えた。
夜景や花火も楽しめる釣り場。
私はよく妻も誘ってこの場所へ来たものだった。
橋の脇に車を止め、ぶっ込み仕掛けを付けたリール竿を端の手すりに立て掛ける。
竿先には鈴を付け、後はクルマに戻りカーナビでテレビを見る。
アタリが来れば竿先の鈴が鳴り教えてくれる。
真冬の夜釣りでも、寒さを感じずに釣る事ができる。
なんともずぼらな釣りである。
今までは15号埋立地で行き止まりだった若洲橋。
しかし、その先に橋が建設されている。
東京湾臨海大橋(仮称)。
その橋の先は、国道357の東京湾トンネルの手前に繋がり
万年渋滞の357号線の渋滞を緩和出来る貴重な道路となる。
つまり、私が子供の頃から親しんだ釣り場であった若洲橋は、魚釣りどころではなくなる。
先日、カレイのシーズンに入った事もあり、息子と共に久々に若洲橋へ出かけた。
ところがすでに、橋の両脇はパイロンと鉄パイプで仕切られ
車を止めるスペースは無くなっていた。
交通事情が改善されれば、流通がスムーズになり人々の暮らしは豊かになる。
しかしその豊かさの影に、ほんの一握りの人々のささやかな楽しいひと時が犠牲になっている事を、心のどこかに置いていただけたらと願いたい。
うん、そうでしたねぇ~。
来年もよろしくね!
招き猫サマ!もう友達では
無かったでしょうか!?Σ
まぁ、今回の事は私の負け犬の遠吠えなんですけどね。
でも本当に仕方なく捨ててきたものの中に、大切だったものがあった事は事実です。
そう考えるとですよ、些細な諦めを積み重ねた結果は恐ろしいほど大きくなっている気もします。
よく言うじゃないですか
「我人生に悔いは無し」
みたいな。
しかし、そう言った人はいったいどれくらい後悔を繰り返したんだろうって思うね。
それもまた人生ですねぇ~。
その通り。
私を含めたほんの一握りのささやかなひと時と
よりによって東京オリンピック招致のための、都と国の大事業を量りにかけよう等とは思いませぬ。
全く持って仕方の無い事であると、諦める事が私の唯一の選択肢なのでしょう。
ま、せいぜい新しい釣り場でも探してみますわ。
そだねぇ。
私なんかとはスタート地点がそもそも違う連中ですわ。
そういった連中が日本を動かし、法律を作っているんだもんね。
我々のためになる法律なんか出来るわけが無い。
いずれブログの本文で書こうと思っているんだけど
軽自動車税の7000円を30000円にしようというお話もあるらしい。
恐ろしか話ですばい。
いや、実際にですよ、この場所でいつも顔を合わせる釣り師がいたんですよ。
この場所を釣り場として愛していた人は、確実に私だけではありません。
私の街もですね、私が住んでから新しい路線が導入され、たくさんあった林が伐採されています。
小高い丘にはまだ自然が残っていますが、それもいつまで維持される事やら・・・。
その新しい路線であるTX線の我が家の最寄駅は
「流山おおたかの森」
と言う名なんです。
名前の由来は、以前このあたりには大鷹が生息した森があったというものです。
皮肉なもので、今ではその森も完全に姿を消し、巨大なマンションや戸建ての住宅地へと変わっています。
たいていは「些細なこと」の方を選んで諦めたはず。
でも、振り返ると、その「些細なこと」の大切さと
二度と取り返せない後悔に愕然とするんだ・・・・
日々の生活だってそうじゃない?
開発はやむなし。。。という場面はホントに多いのだろうけど
天秤にかけてもその「ささやか」が勝てる事はないのだろうけれど
その繰り返しでなくしたものが多い事に、今頃気が付いたりしてるはずなのだ、国だって。
受験受験で勝ち抜いて、政治家になった人ばかりだろう。
よっぽどのイマジネーションがなければ、下々の暮らしは良くわからないだろう。
そう考えると、私が否定的に見ていたタレント議員なんかは、下々を知ってる人なんだろうか。
使い方をこちらが学習する必要があるねぇ。
僕んち一応、東京なんだけど山の上でね。。自然がいっぱいの所なんですよ♪
でも。。。ここ2~3年の内にマンションがバンバン周りに建ち始めて、あれよあれよと言う間に。。。何も無くなっちゃった。
お気に入りの山ん中の散歩道もなくなっちゃった。。。何だかね~
こっちに家建てた意味が無くなったよ。
また、引っ越すかな~って思っちゃうよ。。。でも、今更なんで諦めムードです。
本当ですね~。
長い時間を経ても変わらない場所・・・。
難しい条件ですね。
人の手が加わる都会はもとより、自然の豊かな土地でさえ変ってしまうものです。
子供の頃の思い出の場所って、時が経って行って見ると思いのほか狭かったりするものです。
子供の頃から変わらずにあったこの橋も、今は架け替えられ新しくなっていました。
周りの風景も、以前の寂しさからはかけ離れたものでした。
でも、子供の頃のように魚が釣れたんですよ。
その釣りも、もう楽しむ事は出来なくなってしまいそうです。
寂しいものですねぇ・・・。
引っ越したりしてるので、昔、住んでた街の様子は知る由も無いのだけれど
子供の頃からの思い出の場所で残ってる所なんてあるんだろうか・・・。
あったらいいな。
やっと仕事終わりました。
ニコも出来ます。。。
あまりご無沙汰にならないように、顔を出しますね。
もちのろん!←
覚えてますとも♪
お久しぶりです◎
いや~この場所は子供の頃からの思い出の場所でもあったんですよ。
そして、妻との思い出もあります。
寂しいですけど、それも時の流れなのでしょうねぇ・・・。
そーなんですよ、何事にも光と影。
この場所も交通量が増えれば、きっと車を止めて魚釣りなど不可能になるかと思います。
そして何よりも、大きな橋げたの出現で魚の住処にも影響があるかと。
わが街も森林を伐採してマンションや道路が作られています。
CO2の問題を抱えていると言うのに、酸素を出す森林を伐採しているんですよね。
やはり人は愚かな存在なのかもしれません。
思い出の場所がなくなると寂しいですよね・・・
無駄と思えるスペースほど遊びが隠れてる。
新しい橋ができれば
たくさんの人には便利だろうね。
でも、橋建設で
海にいた生きものたちも、僅かだけれど
棲みかを壊されているのかもしれませんね。
光と蔭ね。
何事も。