前漢(西漢)・文景の治の後
- カテゴリ:日記
- 2010/12/28 11:19:35
国力の回復と共に、貧富の格差の拡大と諸侯王の勢力の増大が新たな問題となる。
農業生産の増大に伴い、商業活動も活発化、商人の経済力も飛躍的に増大した。
その財力で農民たちの土地を買い上げ、更に財を積み上げた。
物を生産しないで巨利を得る商人に対し、商業を抑え込んで農業を涵養することを提言したのが文帝期の賈誼、景帝期の晁錯だった。
文帝の観農政策は賈誼の提言に従った。
生産の回復は中央勢力を増大させたが、同時に諸侯王の勢力も増大させた。
諸侯国は中央朝廷と同様に官吏を置き、政治も財政も軍事もある程度の自治権が認められ、半独立国の様相を呈した。
これを抑圧することを提言したのが晁錯である。
晁錯は諸侯王の過誤を見つけてはこれを口実に領地を没収。
諸侯王の勢力を削りにかかった。
対して諸侯王側も反発し、呉王劉?が中心となってB.C.154年呉楚七国の乱を起こす。
乱は漢を東西に分ける大規模な反乱だったが周亜夫らの活躍によって半年で鎮圧。
これ以後、諸侯王は財政権・官吏任命権などを取り上げられ、諸侯王は領地に応じた収入を受け取るだけの存在になり、封国を支配する存在ではなくなった。
郡国制はほぼ郡県制と変わりなくなり、漢の中央集権体制が確立された。